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後見制度ってどうなってるの?! 〜介護と癒し〜

先日からオンラインで参加し始めた講座があります。

母が介護サービスを利用し始めて、はや2年半。

この間、施設関係を含め、家族として様々なことに関わってきました。

銀行や生命保険などの手続き、衣類や日用品などの買い物。

買っては、好みと違うと言われ、再び試行錯誤しながら、購入し直したり・・。

その度に感じる一抹の疑問。

おせじにも、私が母のサポートを完璧にできているとは言えませんが、少なくとも今までは、曲りなりにも、何とかなってきた(汗)

と同時に、一人の人生を支援するって、何と細やかなあり方が必要なのだろう・・と身に染みて学んだところもあります。

で、、子供のいない私のために、これをしてくれるのは、一体誰??(笑)

そんな時に、目にするようになったのが「後見人」という言葉。

こ、この「後見人」という存在が、私の老後の「スーパーマン?」「スーパーウーマン?」になってくれるのだろうか?(笑)

学ぶに至った経緯は・・

以前より、私は「終活」にかかわる講座を受講し始めていました。

もちろん、ネット検索しても様々な情報を得ることができます。

が、、私には、この「後見人」という存在が、一体どのような役割を担っているのか、今一つ全体像を理解することができませんでした。

母の介護に携わりながら、、
施設で対応していただけると思っていたことが、「これはご家族で・・」とか、個人情報の扱いとなると、「お母様ご本人の確認が・・」とか、その度に「すみ分け?」というか「線引き?」のようなものがあることを知りました。

困っているから、何とか助けてもらえる・・というわけでもない。

母の場合は、娘の私が策を練ればOK!

しかし、いざ自分に介護が必要になった時、「現状こういう世界はどうなっているのか?」「一体何ができて、何ができないのか?」事前に知っておいたほうがよい!

少なくとも、私には、今後の安心材料だと感じ、そこで受講を決めたのが「市民後見人」を養成する講座。

これなら詳しく学べそう♬

第1回の講座で納得させられたこと

まず最初に、「成年後見制度」とは、認知症その他の精神上の障害により判断能力が不十分な人を保護する制度。

「法定後見制度」と「任意後見制度」があります。

簡単な言い方をすれば、
「法定後見制度」は、判断能力が不十分になった人に、その人を保護する人を選任する制度。

「任意後見制度」は、判断能力が不十分になる前に、信頼できる人を自ら選定する制度。

事前に準備万端にしたい私にとっては、ゆくゆくは「任意後見制度」だなと。

しかし、一回目の講義で、「なるほど」と思わされたのは、、弁護士の先生の言葉。

「任意後見」は、「自分のことはなるべく自分で決めたい」「自己決定」という発想・姿勢がベース。
(まさに私はこれ)

それに対して、「法定後見」は、「あとは野となれ山となれ」という感じ。

しかし、「法定後見」が不合理かというと、そうでもない。

認知症になる人は、今後「5人に1人」と言われているものの、必ずしも自分がそうなることが確実でもない。

加えて、今後の社会情勢(物価高・地震やら)がどうなるかも、分からない。

信頼できる人に頼んだからといって、今日、その人は、信頼できる人でも、来月は保証できない。

何年、何十年先も信頼し続けるられる人なのか?という不確実性がある。

任意後見を頼んだからといって、将来のことに関しては、予測できる部分とそうでない部分があるということ。

そうすると、自分で決めずに、その時々で周囲の人に判断してもらい、流れに任せたほうが、案外うまくいく可能性だってある!

確かに、そういう考え方もできるな~と、自分の考え方にゆとりができた感じがしました。

理想は、何かとガチっと決めてなくとも、社会に柔軟性があり、ゆるやかにつながり、助け合いがあることだと感じます。

この講座、レポート提出やら、最後に確認テストなるものもあるのですが(汗)、これまでの思考の枠を超えて、将来像を描きながら、しっかり向きあっていきたいと思っています。

#介護 #介助 #家#感情 #コミュニケーション #母

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