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キュヴェ・イケガワが生まれるまで~2012年密着取材記

※この記事は2012年に取材し、執筆したものです。今後続きを執筆していく予定です。

1.想い

「いやあ、実はこれ、どうかなと思って、みてもらおうと思って……。」
そう言って振り返り、大きなタンクの並ぶワイナリーの片隅に、数樽だけ並ぶ樽のほうを見ながら、私と、その頃、私の上司でもあった醸造家、現Cfa Backyard Winery代表でもある醸造家、増子氏に、少し不安げな顔で井島さんは促し、テイスティンググラスとピペットを手に、その樽の脇へと促した。その樽に入っていたのは、その頃ようやく、勝沼などの地域で上手くいき始めた樽熟成の甲州ではなく、さくらんぼのような明るい、赤い色をしたワインだった。
グラスの中のワインの香りを確かめる。アロマ、ブーケ。
明らかに、よく知っているぶどうから生まれるワインの香りだった。
「これは……?」
「ベリーAだね。」
「ですよね?」
グラスを振り、香りを確かめながら、口に含む。
不安そうな顔がそれを見守る。
「これは……」
「……違うね。」
ふたりで、少し見開いた目をさっと元に戻し、慎重に香りをかぎ、味を確かめる。
色も、香りも、ちゃんと知っているはずのものなのに、
これまでと装いの違う味わいがそこにあった。
様子をうかがいながら、井島さんが言う。
「ちょっと、社長に内緒で、樽に入れてみたんです。」
やわらかく、可愛らしく、それでいて落ち着いて、エレガントな印象。
……ソムリエの口から語られる言葉で伝えたら、そんな雰囲気だろうか。
けれども、それは明らかにそれまで、実験的に樽熟成されたものとは違っていた。
「これ、ありだと思うよ。」
普段通りの、朴訥とした口調で、けれどもまっすぐに井島さんを見つめて、増子氏が言う。
「これ、美味しい。今まで飲んだ樽に入れたものとは全然違う。」
ワインの色を見ながら、私も思わずつぶやく。
「社長に言えば良いのに。これ、もっとたくさん作ったほうがいいし、みんな樽に入れちゃえばいいのに。」
すべての始まりは、そこからだった。
本当に、井島さんがひとりで、ひと樽だけ寝かせたワインから。
幸運にも、その後の判断を仰ぐ瞬間に、私は出会ったひとりだった。

当時はカベルネソーヴィニヨンやシャルドネといった欧州系品種を栽培し、それをワインにすることで「世界的評価を得る」ということが盛んな時期だった。
甲州やマスカットベリーAといった「国産品種」はほとんど見返られることなく、こんなものでいいワインが作れるわけがない、という風潮があった。
辛口一辺倒で作られる傾向にあった甲州は、有名ソムリエのひと言でほんのりと甘みを残したタイプに、右から左へと造りが変わった。
そんな中でのひとこまだった。

それから1年ほどしたあとだったか、ふらりとワイナリーに立ち寄った時に、井島さんが言ったのは、私にとっては思いもかけないことだった。
「この近くの、生食のぶどうを作っている農家さんと今やりとりをしてるんですけど、その人のぶどうがすごいんですよ。今まで自分が調べたり勉強したりしてきたことと、栽培の仕方とか全然違うんですけど、すごく納得がいくし、いいぶどうを作ってるんです。やっぱり、専業でやってきた人は、いろいろわかっているなと思うんですよね。」

生食用ぶどうを作っている農家が、ワイン用のぶどうを作っていい結果を出している。
それは、ワイン用ぶどうの栽培のことだけを聞いてきた自分にとっては、ちょっと信じがたいことだった。
自分自身の勉強不足は今思うともちろんのことで、本当に恥ずかしいくらいのことだが、当時のワイン用ぶどう栽培を取り巻く環境や意見を考えると、それは当然だったかも知れない。
けれども、それを「当然」とは思わない人たちがそこには、いた。
そして、それはワイナリーを訪れるたびに熱をまして井島さんから語られ、その人の名前が私の脳裏に刻まれていった。
そして、そのひとの名前がやがてワインに冠せられた。
「キュヴェ・イケガワ」
それまで、日本ワインのエチケットには記されることのなかった、ぶどうを造った人の名前。
それは、ワイナリーと、醸造家からの、最高の賛辞とも言えるだろう。

ワインの原料となるのは、当然だけれど、ぶどうなのだが、しかし、そのぶどうのことをどれだけ、ワインを飲むときに、飲み手が知っているだろうと考えることがある。
これはお酒全般に言えることだと思うが、原料を作っているひとたちというのは、なぜか消費者から一番遠い存在だ。
「いいワインはいいぶどうから」という言葉が表すように、また、その年のぶどうの出来がワインの出来を左右する、というように、ワインの場合、非常に「農産物」としての側面が色濃く出るものであるにもかかわらずだ。
しかしその逆もまたしかりなのではないだろうか。
今でこそ、ワイナリーツアーやメイカーズディナーが一般的になってきたが、その表舞台に立つのは大概の場合、醸造家やワイナリーの社長たちだ。ワイン用ぶどうを栽培している人たちは、更にその先にいる。

飲み手がぶどうのことをどれだけ知っているだろうか、ということは、ぶどうを作っているひとたちが飲み手のことをどれだけ知っているだろうか、という裏返しでもある。よく農産物を売買するときにいう「顔が見える」ということが、ぶどうがワインに姿を変えることでなんとなく見えづらくなってはいないだろうか。
ワイン用ぶどうを作っているひとたちが、果たして飲み手の満足まで考えているかということだ。

「自分が作ったぶどうが、最終的に飲み手の元にどうやって届くのかを見届けたい。」
その想いから生まれたのが、栽培家のグループ、Team Kisvinだ。ワイン用ぶどうの質の向上を、栽培の側から考えるために結成された。
そこに集まっているのは、いわば「プロ中のプロ」とも言える栽培家。池川さんに関していえば、近くの小学校のぶどう栽培の講師から、山梨大学の非常勤講師まで、多くの年齢の人たちをカバーしているのはもちろん、ワイナリーの若手に栽培技術の甲州をするなど、その活動も多岐に渡っている。
池川さんはワイナリーに来ると、節目節目で自分たちの作ったぶどうで作られたワインのテイスティングをして、様子を見る。2月の終わり、そんな場に立ち会うことが出来た。
「これ、ちょっとブレット来てるね」
「うん、そうですね」
「これVL1だっけ?」
「そうです」
微生物や酵母の名前が飛び交う。
造りの現場ではよくある会話だが、ぶどうを作っている人からこうした言葉が聞かれることはあまりない。
「普段はこんな酵母の知識とか、必要がないんですよ。でもワイン用のぶどうを作る以上は、最低限の醸造の知識も必要。それを知ることで、自分たちに出来ることや必要なことも見えてくるからね。でも飲み手はそこまでの、作る側の知識を持とうとしないんじゃないかな?」
池川さんはひとりの「飲み手」としても、世間一般でいうところの「ワイン愛好家」についてそんな風に語る。
そして「もっとぶどうを作っているひとたちが前に出るべき。」という井島さんの想いが形になったのが、井島さんと池川さんの関係性だ。
「栽培家がぶどうを作り、醸造家がそのぶどうのポテンシャルを引き出すことでいいワインが生まれる。」言葉にするとごく当たり前のことのように聞こえるが、それはワイン用ぶどうの栽培にどんな思い入れを込められるか、ということにも繋がる。ワイナリー主導の形で、ただ原料を渡しているだけでは見えてこないことに、いかに想いを寄せて考え、それをぶどう作りに
反映していくか、ということだ。

「僕たちは畑の中で出来ることをやって、ぶどうを持って来て井島さんに渡す。それは外からの刺激でもあって、それがあるからこそ、醸造も変わらざるを得なくなる。変わらなければ意味がないし、それがあるから僕たちもまたどうやるか考える。どちらかに問題があれば、どちらかがそれに対してのアクションを起こさなければならない。だから、どちらかが向上心をなくしてしまったら、止まってしまうんですよ。」

そう、まさにぶどう作りと醸造は、ワインを造るための大切な「両輪」でもあるのだ。そのどちらかがかけてしまったら、前に造ったものよりもさらにいいものを、という考え方を維持できなくなってしまう。
「土や環境を変えることの出来ない栽培と、酵母などの環境を変えることの出来る醸造がかみ合うことで、どんなものが生まれるのか、ということでもあるんです。」
栽培の環境は変えられない。ならばどのような工夫や研究をすることがいいぶどう作りに繋がるのだろうか。

よく、日本のワイン用ぶどうの栽培技術は、世界に比べると遅れている、といわれる。日本は雨が多く、気候的に難しいとか、適地かどうか、といった話は、ワイン好きの間ではよく出る話のひとつではないかと思う。

「実際、栽培技術自体がこの100年、進んでいなかったのは事実なんですよ。ちゃんと研究する人がなぜかいなかった。こんなに栽培している人がいたのに。100年レベルで見ていくとTeam Kisvinのような組織ってなかったんですよ。」と池川さんは言う。
実際の所、日本のぶどう栽培の歴史を紐解けば、そこに出てくる人たちは明治期頃までで、川上善兵衛がいた頃から、大きく変わることはなかったのかもしれない。
ただ、そうして100年以上の時をかけ「産地形成」がなされた。今や山梨はワインの一大産地である。しかしながら、高齢化や後継者不足など、農業そのものが一歩間違えれば衰退する一方である中、その中に少しでも新たなことを見つけられたら、と池川さんは続ける。

それは新しい文化へのステップでもあるだろう。
いかに日本の食卓にワインを乗せていくか。堅苦しさのあるガストロノミックな側面からではなく、家庭料理という視点から見ると、同じテーブルの上に和洋中を問わずさまざまなものが食事に出てくることも多い日本のそれは、非常にコスモポリタンなものだとも言える。
そうした食事の傍らであったり、せめて洋食を食べるときに、そのテーブルに日本のワインがあるような、従来のような堅苦しいイメージのない提案の仕方も重要になると言える。
その一方で、いわゆる「ワイン愛好家」をどう日本ワインに引きつけていくか、ということも当然考えなければいけないことだ。

「例えば、自分のぶどうを搾ってもらうのならこの人になら、と思う人はいる。自分が作った同じぶどうを何人かに振り分けて造ってもらったとしたら明らかにそれぞれの個性が出てくると思う。それ、飲み手としてはどれも飲んでみたいと思うでしょう?」
ひとりの栽培家の作るぶどうで、実力ある醸造家たちが造るワイン。
ワイン好きならば、想像するだけで楽しくなるのではないだろうか。

「飲み手の満足だけではなく、これはまた新たな世界も生みだすんです。栽培家と飲み手がダイレクトに繋がる感覚を生み出すだけではなくて、実は造る側にとってもとても大きな事です。だって、1社だけが抜きんでるわけではないのだから、地域全体の底上げに繋がっていくわけです。農業は、英語でアグリカルチャーというでしょう? カルチャーなんですよ。それが農業の基本。そうして産地形成をしてくれた先人たちに敬意を表しながら、これからのことを考えていくのが僕たちの役目。だから、100年後のことをイメージしてやっていかなくちゃいけない。今農家は目先のことしか考えていない人がとても多いと思う。目の前の補助金やどんな値段でものが売れるかといったようなことは、ある意味ではスケールの小さいこと。けれども僕たちは、先の世代に農業を残して行かなければいけない立場でもあるんです。」

100年後の農業。それは100年後の食卓にももちろん繋がって行くだろう。
作る人が食文化を作る。
もしかするとこの時代に生きる私たちは、その黎明に立ち会っているのかも知れない。

(2012年執筆)

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