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圧迫なの規律なの自由なの

子供をサポートする側の大人が理解しておくべき注意点をシェア。

ホームスクーリングを検討している親御さん
エデュケーターとして働いてみたい人は勿論のこと、
どの立場の大人でも子供目線の世界を想像してみることで、
理解を深め寄り添うことができる。


大人の認識として見逃せないのは

【ホームを奪わないこと】




/スクールの前に「ホーム」であることが大前提

ホームは、休憩できる、ホッとする、素でいられる。そのような場所ではないだろうか?
どんなにダラしなくても人様に見せるわけじゃないし、OK。
どんなに情けなく泣いても、狂ったように踊っても、OK。
だってお家だもの。
気なんて使わなくていい。家族に対してもそうじゃないだろうか?
「ホーム」とは大前提に、子どもが休める場所である。



/子どもの世界はいくつある?

家、学校、習い事(学童も含む)、友達、親戚。
この5つの世界の可能性あたりではないだろうか。

このうち子供自身が自由に行き来のできる場所はいくつある?
もし車を使わないと行けない距離にあるのだとしたら、それは子供自身の決定でどうにか出来るものではない。つまり、子供の逃げ場にはならない。

Hwaiiの例を挙げてみよう。
車社会のため、何処へ行くにも車移動。
学校、習い事、学童はそもそも概念がない、親戚は遠方。
自由に行き来できるご近所の友達の家は1軒だけ。
ということは目ぼしい子供の逃げ場所になる居場所は「家」だけなのだ。


子供は世界が限られている
そのうえで「家」がもつ意味は居場所であり、逃げ場であることは見逃せない。


/もしも、ホームスクーリングが学校と変わらなかったら?

唯一、素でいられる「家」がそうじゃなかったら。
ホームスクーリングのエデュケーターが学校と変わらない関わり方だったとしたら??しんどいと思わないだろうか?
学校にいた先生が今度は24時間、お家にいるなんて最悪だ。


/ホームスクーリングで「学校」を再現する必要はない。

学校において挙げられる不満の一例はこちら。
怒られる、叱られる、厳しく座らされる、融通がきかない。
個人の意思が尊重されない。


これらを先生(エデュケーター)が子供に要求するのはどうしてか?
それは「団体行動」だからである。

1)足並みを揃える必要性
先生1人に対して1クラスあたり10人以上40人未満が平均。
カリキュラムを行っていくには、少しのサポートが必要なグループ(平均)のリズムで進められる。個人のリズムで進めていくことは難しい。

2)受動的姿勢がデフォルト
受動的>
日本のほとんどの学校はこのパターン
が多い。
教え込まれる、暗記する、テストする。


能動的>
ホームスクーリングでこそ取り組めるパターン。

自ら進んで挑戦したいことを見つける、やる気からの提案、
試した結果を分析する。個人で判断。


つまりエデュケーターだからといって、
今までの団体行動前提のやり方を、ホームスクーリングでする必要はないのだ。

/結論

ホームスクーリングにおいて、
学校での態度のように指導をする先生に出会うことがある。
これは2つの誤解が招いている。
⚫️こどもの立場において「家」という存在の重要性を認識していない。
⚫️団体行動の規律をつめるやり方のまま。

世界が狭く逃げ場がない子どもの立場を理解すること。
彼らに取って休息できる場所である【ホームを奪わないこと】。
そのために、団体行動のために用いられてきたルールや規律、進め方、特に叱り方は見直すこと。
子供をサポートする側の大人が理解しておくべき注意点まとめ。


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