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現実逃避を分析してみた


疲れた。何もしたくない。

そんな時こそ、対して意味のない動画を見続けるのはどういうことなのかと気になった。


(仮説1)それはきっと、現実逃避


考えなくてはいけないものを考えずに、別のことに縛り付けておく状態。
向き合わなければいけないことに向き合えば、学びが大きいことは分かっている。でも疲れるのだ。


(仮説2)オンとオフの切り替えが苦手


仕事でも好きなことでも、一度始めてしまえば終わりがくるまで止められない。パズルは完成が分かり易いから好きだ。
全てのピースがハマる瞬間が完成であり、終わり。そして休める。

一時中断はどこかで区切りをつけるのだが、いわゆる「丁度良い」と言われるところだ。丁度良い区切りってなんだ。
それは例えば、もう夕飯の時間だとか。
もう赤色のピースは全てハマって次に青色に着手する前とか。
他へ移行する前という事なんだろう。

その移行のタイミングで他のことへ意識も移してしまうのが苦手なのだ。
朝、目が覚めた瞬間から
「これをするにはどうしたら良いんだっけ」
「このタイミングでこれをしておかないとスムーズにいかないな」
寝る直前も同じように
「今日はこれをしたから明日とこれからの1週間を考えるとまとめておかないとな」など。
完全に休めるのは寝ている間だけなんじゃないだろうか。
本音は寝ている間の脳も休息しているか怪しいところだ。




(仮説3)受け入れるだけのEasyモードで考えない休憩をしている


体が起きていて、目も開いていて、脳が考えごとをしている時は、休息にならない。だからこそせめて、仕事や、やらなくてはいけない事に引っ張られないように、他のこと(対して意味のない動画鑑賞)で埋めてもらっているではないか。それらは娯楽とよばれるもので、無限にある。


(仮説4)何も考えない状態でいることには訓練がいる。

瞑想。それは1日でできるものでなく、毎朝なり、毎晩なり、習慣を身につけて、1分、2分とすこしづつその時間が長くなり訪れるものである。
急に自然の中に放り込まれても、落ち着かない人や。テレビの音がついていないと不安になる人も同じ。それすらもできない時はキャリーオーバー。
疲れすぎた。一定の線を超えていたのだろう。
またやってしまったと思う。「〇〇し過ぎ」だ。

【結論】限界を突破している。

疲れて何もしたくないのに動画ばかりを見てしまうのは、
オフに切り替えができず、
「考えない」という十分な休息が取れないままの期間が続き、
瞑想する気力もなくなり、キャリーオーバーしているためだ。
今年はそれを緩めていこうと思う。無理は続かない。
そして、そのパターンももうやめたいところだ。


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