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酷いアトピーが体質改善と薬でなんだかんだ運良く治った話に、松坂投手を添えて

私は元プロ野球選手で元大リーガー、松坂大輔投手と同い年の、松坂ど真ん中世代だ。
でも、この表現もいい加減古いし、そもそも松坂とは?といった向きもありそう。
今ならむしろタイムリー(?)に上重世代だろうか。
あるいは、いっそ"広末"か。
個人的には山﨑裕太(ex.あっぱれさんま大先生)世代と言いたい。

若い頃は、今日1日の給料は彼の1球分にも満たないのだなと、そんな自虐も言っていたが、それは生意気にも多少は意識していたからなのかもしれない。
そんな分不相応な自虐は、とうの昔に無くなったが、給料だけはあの頃のまま。

同投手は、日本球界に復帰後の数年間は登板の機会がなく、野球ファンも期待しつつ、半ば諦めていたところで突然、新天地、中日ドラゴンズでの復活劇があった。

それまでの、肘や肩の故障に悩まされていた数年間は、ありとあらゆる方法を試し、思い当たる病院や整体を片っ端から回っていたと言う。
そして、そういった中で行き着いた先の病院だか整体の施術が、ちょうどその時の自身の状態に合致し、回復したとのこと。

それならば最初からそこへ行っていたら良かったというわけではなく、あくまで、あれこれ散々試した後の、その時のその状態だったからこそ治ったのだと回想していた。

そして、この話しを聞いた際、自身の胸の中でストンと落ちる感覚があった。

私は20歳を過ぎた頃に、顔や身体に湿疹が出始め、それは後にアトピー性皮膚炎と判明する。

最初は近所の皮膚科へ行っていたが、芳しくなく、その範囲も徐々に広がり出したため、少し離れた場所にある評判の良いところへ通うこととなった。
そこはいつも大変に混んでおり、受け付けから3時間ほどは待っていたと記憶する。

以前のところでは出なかったタイプの軟膏や飲み薬を出され、症状は幾分緩和したように感じたが、でもそれは、あくまで一時的に抑えられただけであり、しばらくすると、また徐々に悪化し始める。

そうなれば当然、強い薬へ変わり量も増えるが、それにより胸の辺りが詰まるような息苦しさを感じ始め、しかし、その割に症状は芳しくない。
そんな状況を憂い、また病院を変えるも、改善せず。
その間、1年ほどだろうか。

そんな中、母の友人の勧めで、とある企業の体質改善プログラムなるものを始める。
薬を用いない、いわゆる民間療法というやつで、これは賛否あるものだが、"藁をも掴む"当時の私には、それを試さない手はなかった。

毎日、多くのサプリメントと、水を2、3ℓ飲む。
油分を含んだ食事を避け、カフェインなども控える。
それを3ヶ月ほど続けるというプログラムで、私はそれを2回実施した。

開始当初は、その回復する過程で体内の毒素が表面に出て悪化するという症状、いわゆる好転反応なるものにより、顔を含めた全身に蕁麻疹が出て、我慢出来ずに掻きむしり、パンツも履けないほど、全身がグチュグチュの状態に陥った。

軽い引きこもりのような生活となり、精神的にも辛かったが、この好転反応という症状をあらかじめ知っており、また「これで改善するかも」という希望的観測で、何とか持ち堪えていた形であった。

結果としては、とりあえず、この好転反応は次第に緩やかになり落ち着いてきたが、肝心の、元からある症状はさほど回復することはなく、何なら、その好転反応で負った症状が少し残ったような感もある。
端的に失敗であったと、そう認めざるを得なかった。

しばらく途方に暮れ、完全に塞ぎ込み、鬱々とした日々を過す。

そんなある時、イボが出来始め、両手指の至る所に伝染してしまい、その手であちこちを掻きむしるものだから、さらに伝染して収拾がつかなくなり、仕方なく皮膚科へ行くこととなる。
泣きっ面に蜂。

そこは比較的近場で初めての病院だったが、多分適当に探して決めたように思う。
診察室に通されイボの施術をするのだが、先生は私のアトピーにも気付き、そっちの症状も尋ねてきた。
一応、民間療法で云々(うんぬん)と伝えたところ、「まぁ、薬で治すしかないからね」と言われる。
「そりゃ、立場的にはそう言うよな」と思いつつも、促されるように診てもらい、薬も一通り出してもらった。
以前に病院で処方されていたのと似たようなもので、それは半ば「どうにでもなれ」といった気持ちだ。

ところが、みるみると嘘のように回復して、ものの数ヶ月ほどで、ほぼ完治したと記憶する。
それよりもイボの方がしつこく、それのためだけにしばらく通っていたほどだ。

その時は、単純に嬉しい晴れやかな感情が強かったが、時間が経つにつれ「いったい今までのは何だったんだ」と、随分と無駄な時間と労力を費やしてしまったことへの後悔、そして誰にも当たり用の無い自責の念が湧いてきた。

ただ、あのまま病院へ行くことなく彷徨い続けるという最悪のシナリオも十分に考えられたから、それを思えば不幸中の幸いだったと、そんなところで気持ちを落ち着けた。

それから15年ほど経過した頃に、先の松坂投手の話しを聞き、あるいは自分のアトピーもそういうことだったのではないかと感じた。

アトピーは未だにはっきりと原因が解明されておらず、これといった特効薬もない。
ゆえに、症状は抑えられても完治は難しい。

それが、あの時期だけでほぼ完治したのは、結構な奇跡であったと、改めて思う。
ちなみに、その後は特別なケアをせずとも、たまに顔の肌質を褒められるまでになった。
一時はグチュグチュで、眉毛も無くなった程だ。

正確な分析ではなく、あくまで憶測で、さらに私の症状の場合、といった断りも入るが、最初の薬による治療を続けても、やはり一時的な抑制にしかならなかったと思う。

体質改善により体内が更地に近付いたため、薬の効果を直に受けやすくなったのだろうと推測する。
海外でホームシックになっている時に、久々に飲んだ味噌汁が五臓六腑に染み渡るような、ちょうどそんな感覚だ。
その経験は無いが。

胡散臭く感じていた「体質改善」なるものは、結果的には効果があった、あるいは役割を果たしていたと言えるかと。

ただ、この体質改善、民間療法は危険を伴う場合があるため、そこは注意が必要である。

実際に自身も危うい体験をした。

体質改善はデトックスの要素もあり、汗で毒素を出すべく、半身浴も推奨されていた。

ある日、いつものように長めの半身浴を終え、のぼせながら上がったところ、頭の先から足の先、あるいは頭皮から足の裏まで、全身に蕁麻疹が出て、さらに呼吸困難に陥った。

しかし、好転反応うんぬんで蕁麻疹に慣れっこになっており、そこにたまたま貧血が合わさった程度のことだと楽観していた。

しかし何年か前に、同じような状況と症状で中年の女性が亡くなったとのニュースがあり、その死因は、"サプリメントの過剰摂取によるアレルギー"とのことだった。

私も当時、日に軽く茶碗一杯程度のサプリメントを服用していたため、それと同様だった可能性は高い。

そして、「好転反応」という症状。

これは今現在、科学的には何の根拠もないとのこと。
世の中、科学で証明されたものが全てというわけではないが、とりあえず保証はなく、あるいは自己責任という言い方が、今時だろう。
河童やツチノコほど不確かではなく、UFO、宇宙人くらいの信憑性はあるかと、個人的にはそう思う。

酷いアトピー、蕁麻疹によって、不自由を強いられていた頃は「これが邪魔をして、やりたいことが出来ない!これさえ無ければ!」と、そんな思いに打ちひしがれると同時に、この困難を乗り越えたら何でも出来そうな、妙な自信みたいなものが奥底で、沸々と湧き立っていた。

しかし、いざ回復してみると、そこにはただ「痒みが治まり、そのストレスを脱した」という状態になった"元の私"が変わらずそこに存在していただけで、それは極めて不精で面倒臭がりでダラけた"安定の私"であるのだが、これはこれでまた、幸せと言えるのだろうとか、思ったり思わなかったり。

そして、人って、そう変われないものだなと。
死にかけたものの結局、

「バカは(本当に)死ななきゃ治らない」

この言葉を、我が身を持って体感した。

ちゃんとしている人は元よりちゃんとしているし、凄い人は出だしから凄い。

カエルの子はカエルで、歌舞伎の子は歌舞伎で、政治家の子も大概、政治家。

何だか変な着地をしてしまった。
歳をとり、ちょっと意味ありげな風刺みたいなものを入れたい衝動に駆られるようになった。
その実、意味はない。

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