見出し画像

名曲のアルバム

ここ1年ほど、芸能人の訃報が相次いでいるように感じる。
あの人亡くなったのかと、しばし"しみじみ"とするやいなや、また別の悲しい報せ。

ファンでなくとも、さして思い入れがなくても、やはりどこかショックである。

しかし、こう矢継ぎ早に続くと、自身の中できちんと消化されない内に時が過ぎ、それがゴチャゴチャッとなり、何年か後にまた別の人の訃報を聞いた際に、「あれっ?この人、生きてたんだっけ?」といった不謹慎な誤解を招きやすくなる。

それでなくても、特に高齢の芸能人に対しては、そういった勘違いは付き物である。

それの、ひと昔前の代表格と言えば「森繁久彌」だろう。

誰かの葬儀で、彼が出席しているニュース映像を見た人の反応の多くは「あっ、まだ生きてたのか」であり、それがお決まりになっていた節がある。
たけし辺りもネタにしていたように記憶する。
本人の心中は別として、そこまで余すことなくネタにされるのは、ある意味、これが本当の「生涯現役」と言えなくもない。
骨までしゃぶり尽くされるような。

今なら誰に当たるか、なんて不謹慎なことは、言えない。

でも皆それぞれに人知れず、無意識に死なせている、または生かしている人がいるように思う。
しかし、もうとっくに亡くなっていたと思っていた人の訃報を聞くと、なんとも申し訳ない気分になる。

その前段階で言えば、まだ活動していたのか、舞台とかライブやってたんだ、見ないと思ったらいつのまにか引退していたんだ、なんてことも、しばしばあるが、大きなお世話だろう。

作品は死なない」というような言葉があったように思うが、またはこのニュアンスのことは、たまに聞く。
それはその通りで、とっくの昔に亡くなった人達が手掛けた創作物、映画、音楽などは変わらずに残るが、例えばその死が日の浅い内や、その迎え方いかんでは、それに触れる側の意識は変わるように思う。
その作品が悲しいものであれば、より悲しく感じるし、明るく楽しいものであれば、それはそれで、逆に"より"悲しく感じてしまうこともある。

しかし、そんな感情は別として、良いものは良いし、名曲は名曲

bice(ビーチェ)という女性シンガーソングライターは、2010年に亡くなった。
私は彼女の「An apple a day」という曲が非常に好きで、私的、生涯の"名曲のアルバム"に勝手に入れている。

後期渋谷系に入れられている節があり、実際、小西康陽をプロデューサーに迎えた作品もある。
また、松本隆が作詞を手掛けたり、あるいはCMや劇伴など、その活動やジャンルは多岐に渡る。

彼女の亡き後に聴くと、やはり幾分、切ない気持ちは芽生えたが、それより、エバーグリーンや永遠といった感覚が加わり、より名曲感が増したような印象がある。
もっと言えば金字塔、あるいは伝説のような。

死後に評価される人がおり、もちろん全てではないが、そこの感情が加味されることは往々にしてあるのだろう。
本人にしたら知ったこっちゃない、何の足しにもならないが。
生きている側の勝手だが、特権でもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?