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革命、哲学、フェミニズムー性から読む「近代世界史」①

 革命はつねに哲学を必要とする。しかし哲学はつねに革命的であるとは限らない。革命は自由のためにあるはずだが、哲学はしばし誰かの自由を閉ざしてきた。誰かとは貧しい者、黒人や黄色人種、そして女性である。ここにおいて、フェミニズムが求められた。

第一章 名誉革命、啓蒙主義、独立革命

ー1688~1780s

・名誉革命、創世記、ジョン・ロック

 17世紀末、時のイギリス議会は悪政を働いたジェームズ二世を追放し、王女メアリと夫のウィレムを新たな国王として迎えた。議会は「権利の宣言」を両王に提出し、承認をうけて「権利章典Bill of Rights」として発布、ここに王に代わって議会が主権を握る立憲君主制が成立する。名誉革命Glorious Revolutionである。
 
 革命に呼応するようにして、『統治論』という名の本が出版された。著者は哲学者のジョン・ロック、その要旨は次のようになる。元来、人間は自由で平等に暮らしていた。政府(社会)は人々が自らを守るため、あとから契約を結ぶことで作られたものである。もとは自由に結ばれた契約によって作られたのだから、その政府が人民を脅かしたとき、人々は社会契約を解消して抵抗する権利(抵抗権)をもつ。王、貴族、聖職者、政治を担うのがいかなる者であれ、人民の反抗を軽んじることは許されない。
 以上がロック流「社会契約説」の一般的な説明である。この主張は多くの人に受け容れられて革命を正当化し、以降の歴史に決定的な影響を及ぼすこととなった。

 一方、彼は当時の他の思想家たちと同じく、聖書の『創世記Genesis』についての伝統的な解釈に従っていた[1]。『創世記』にはこう書かれている。神は天地を創り、動植物を創り、そして自分に似せて人間=男性=アダムを創った。神はアダムに楽園を与え、「善悪を知る木」の実を食べるのを禁じる。次いでアダムのあばら骨から彼を助けるものとして女性=イブを創った。その後、イブは蛇にそそのかされてアダムとともに禁じられた木の実を食べてしまい、二人は神に楽園を追放される。さらに神は罰としてアダム=男に労働すること、イブ=女に「出産の苦しみ」を与えて「男に支配される」ことを命じた。
 この「原罪」について、初期のキリスト教父であるアウグスティヌスは性欲もまた罰として神に与えられたものだと主張した。自らの意志で禁断の果実を食べたことへの罰が、意志によってコントロールできない「性」なのである。彼によって男女の性は「原罪」と結びつき、この解釈は一千年以上にもわたって西洋における性の抑圧を正当化してきた。そして創世記に女性が「男性に支配される」よう記されているのだから、女性の従属は当然とされたのである。

 ロックは基本的に上の解釈に従いながら、独自の考察を加えていく。彼は政府が作られる前の状態を「自然状態」と呼んだが、自然状態では人間はみな自分の身体とその身体を用いた労働によって得られたもの(財産)について「所有権」をもつという。だが神に労働を命じられたのは「男性」だけであるから、ロックのいう人間は常に男性ということになる。さらに社会契約を結ぶのは自らの「所有権」を守るためなので、社会を作るのも男性だけとなる。
 
 ロックは結婚についても論じている。彼は結婚は男女の契約に基づくとしているが、神が男性による女性の支配を命じた以上、この契約で女性が従属するのは当然だという。そして家族は子供を育てるための一次的なものであり、子育てが終われば解消される。一見すると男女とも家族の役割から解放されるように思われるが、契約によって社会を作るのは男性だけであるから、男性が社会の公的活動に参加するために子育ての責任を放棄してよいという論理が成り立ってしまう。社会形成に加わることのできない女性は家族の中で子どもを育てる役割しか残されておらず、男女を分け隔てる「男=社会=公的領域」/「女=家族=私的領域」という構造が生みだされる。
 政治学者のキャロル・ぺイトマンは、このように女性が公的領域から締め出される仕組みを「近代的家父長制」と呼んだ[2]。革命を支えたロックの思想は、同時に女性の抑圧をも支えていた。

・デカルト、経験論、メアリ―・アステル

 『統治論』が出版された数年後の1694年、『女性たちへの提言』と題された一冊の本が出された。この本の著者はメアリ―・アステルMary Astell。イギリスで最初の女性哲学者と言えるだろう。17世紀の西欧では、ロックに代表される経験論と、ルネ・デカルトに始まる合理論とが鎬を削っていた。人間の心はもともと何も記されていない「白紙tabula rasa」であって、知識は感覚と経験によって得られてゆくというロックの経験論に対し、合理論は精神に価値を置き、理性的な思考から得た知識の方が経験から得るよりも確かであるとする。デカルトによると全ての人は生まれながらに不滅の精神を持っており、精神の働きである理性の正しさは、人間を創った神によって支えられているという。

 アステルもまた、デカルトの思想からロックを批判した一人である。彼女は不死の精神が存在するとし、物質である肉体よりも優れた精神により多くの気遣いをむけるべきだといった[3]。そして『女性たちへの提言』において、そのような精神や理性においては女性と男性は同等であると主張する。両性の能力に本質的な差はないのだから、男性と同じ教育を女性に禁じるべきではない。女性に教育を与えない社会の中で、女性は能力の発揮を妨げられているのである。理性と道徳を磨くためには女性だけの教育施設をつくり、一人ひとりの自主性をはぐくんでいかなくてはならない。

唯一わたしの努力だけが、わが胸の内の絶対的支配者になりうる

アステル『女性たちへの提言』

 女性が知性を深めれば、慣習の抑圧や感情の乱れから自由になることが出来る。これがアステルの女性たちへの提言であった。
 
 当時のイギリスでは結婚した女性は夫の権力の下にあり、権利も責任もない保護された存在とされていた。女性の身体も、労働や財産も夫のものであり、従わないときは夫が暴力を用いることも許されていた。妻が自身で契約したり訴訟を起こしたりすることは認められず、家族や子供についての決定権は夫に握られていた。結婚によって妻は夫に自身の身体を委ねるものとされ、妻に暴力をふるうことが正当化された。アステルの批判はそのような女性を抑圧する慣習や制度に向けられていたのである。
 アステルはまた、男性は暴力や権力によって女性の理性や自主性を損なわせるのであり、結婚は女性にとって有害なことがほとんどだと主張した。彼女は言う、「腰を据えてじっくり考えれば、おそらく結婚したいと思う女性はまずいないだろう」。

 このようにラディカルな主張を含んでいたアステルの思想は忘れ去られた。一方、デカルトやロックの思想は理性によって進歩を遂げてゆくという啓蒙主義へと受け継がれることになる。18世紀の法学者ブラック・ストンは、人々は理性によって決定する力をもつという啓蒙主義に従い、女性が契約を結ぶ能力を認めていた。だが、妻の無権利上体は女性が結婚の際に自らの意志で「合意した」ものとし、かえって女性の抑圧を強める主張をした。革命や啓蒙を謳う男性は、女性にとってはむしろ理性や自由を奪う存在となっていった。

<参考文献>

[全体]木下康彦ほか編『詳説世界史研究』山川出版社 2008
[1]中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』集英社 2021
[2]ペイトマン, キャロル『社会契約と性契約 : 近代国家はいかに成立したのか』中村敏子訳 岩波書店 2017
[3]バクストン, レベッカ、ホワイティング, リサ編『哲学の女王たちーもうひとつの思想史入門』向井和美訳 晶文社 2021 pp57-65
 


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