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音楽、アート、映画、文学、、、人生を彩ってくれるそれらについて。そして生活、あるいは自…

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音楽、アート、映画、文学、、、人生を彩ってくれるそれらについて。そして生活、あるいは自分自身のことについて書いています。 音楽の話は書ききれないのでインスタはじめました。よかったら遊びにきてください。

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最近の記事

平熱

混沌とする社会情勢に、いちいち感情を昂らせるのはいやだ。自分の思念にのぼせるのもいやだ。かといって、白けて無気力になるのもいやだ。そもそも上がり下がりするのがいやだ。 何かこの感情をうまく言い表せないかと思っていたところに、表題の二文字である。 そうだわたしは平熱でいたいのだ。茨木のり子はいつも的確である。

    • おいしいコーヒーの真実

      スターバックスの第1号店というだけあって、米シアトルにあるその店はずいぶん繁盛している。新人店長は目を輝かせながら自社の理念を語っている。 「まだ道半ば、未来は明るい。」 同じころ、その「スタバ」で飲まれているコーヒーの原産地では、ひどくやせ細った子供が、お腹をすかせて泣いている。この地域では人々が深刻な飢餓状態にある。 彼らが必要最低限を満たされた生活を送るには、生産したコーヒー豆に、現状(当時)の10倍の値がつかなければならないという。なにも車や家電を買うためではない

      • 争う

        ああ、そうだ。 なぜ、静 と 浄 は 争う という字を書くのかな。 この詩に出会い、 深く納得し、また 大変な難題を与えられ、 深く考えこむのである。

        • しんでくれた

          都会に一人で住んでいると、死を忘れて生きていることがある。自分の死にかぎらず、生きものの死、植物の死、誰かの死、いろんな死である。 こんなわたしだから、田舎の実家に帰ると、頬をぶたれたような気持ちになる。 父と弟は、「あすこの〇〇さんが死んだ」「明日は通夜だ」云々、と、そんな会話ばかりしている。母は「悔やみの封筒ってすぐなくなるわよねえ。」とぼやく。 誰もかれも老いていく。迫りくる死も、現在進行形の死も、過ぎ去った死も、ぜんぶがごく身近にある。 ところでわたしの家は牧

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        記事

          愛と苦しみの音楽

          大好きなエッセイストの本を読んでいて、ある章でパタリと閉じてしまった。ちょうど、「文化の素晴らしさ」を語る章の最初のほうだった。 そこには、「黒人がつくったロックやヒップホップや諸々の文化こそ、みっともなく低俗だ。」と書かれていた。 たしかに、ヒップホップもジャズもR&Bも、アフリカ系アメリカ人がつくった。そのルーツは奴隷制時代に遡り、彼らのもっていた16ビートを主とするリズムや、音感、恵まれた声や体格、そして過酷な生活を強いられる中で救いとなったキリスト教の教義が融合し、

          愛と苦しみの音楽

          まっている

          NHK 『Dearにっぽん』という番組を観て、医療をおこなう人、医療を受ける人と、またその家族が、物心を超えたところで「関係していくこと」について、いろいろ感じることがあった。忘れないよう、詩にあらわしてみる。

          あたたかいはなし

          例えば猫と接するとき、「粗相をしない対策」とか、「猫に嫌われない方法」とか、そんなことをネットで調べて答えを探そうとする。やって効果がなくても情報は無数にあるので、ひたすらに検索をつづける。 このとき猫と私は、その時間を共有していない。私は目の前に「リアルな猫」がいるにもかかわらず、頭の中の「猫の虚像」と安易に入手した情報とを照らし合わせて作業する。 皮肉なことにこの一連の作業は、猫とさらにつながろうとするためのものなのだが。つい先ほども生身の猫を差し置いて、私は試行錯誤

          あたたかいはなし

          「時間」は存在するか

          ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で、主人公が大切な人を亡くし悲しむ場面がある。たくさんの人に観てほしいドラマなので詳しくは書きたくないのだが、そんな主人公に、ある数学好きな男性がこんなことを言う。 「過去とか未来とかって、誰かがつくったものなんですよ。本当はそんなものはなくて。それぞれ部屋みたいなものがあって、その中では今も、(亡くなった)その人は笑ってる。今も、その人はいるんです。」 パラレルワールド、、、?なんともファンタジーな、、、と思ったのだが、よく考えてみると

          「時間」は存在するか

          悲しい1月の短歌

          年初から悲しかった1月。平時よりたくさんの短歌を書いていた。 いつも悲しんでばかりいることと、悲しみを忘れずに生きていくことは、違う気がする。 この1月のことを忘れない。 忘れないで、なんとか力に変えられたなら。 *** 自分の周到さが嫌いだあの人にしんでほしくないと思いながら喪服の心配などして *** ネイルが八ミリ浮いてるそっかあれから三週間たつんだ生きてたんだわたし *** 被災地にニコニコの雪マークがついててでもアナウンサーの声は沈んでて *** も

          悲しい1月の短歌

          うそ

          黒澤明監督の『羅生門』を観た。 人間は弱いからうそをつく。わたしも弱いからうそをつく。 本当のことを「本当に本当のまま」言う人間などいるのだろうか。 事実とはおそらく、人を媒介する以上、ありのまま保存されることはない。映像や紙面はさることながら、人の言葉だって、都合よく切り取られたり色付けされたりして伝えられ、それを見聞きした者を媒介して、また違うモノへと作り替えられていく。幾度も伝達と編集を繰り返した「事実」は、原型をとどめているはずがないと考えるのが普通だという気がし

          SnowManに学ぶ

          はじめてアイドルを好きになった。推しって本当に尊い。(界隈の先輩方の受け売り) 新曲MVを鑑賞して浮かれたところで、誰に聞かれたわけでもないけれど、なぜ彼らが好きなのか、ひとつ書いてみようと思う。 雑な言い方でごめんなさい、SnowManって、とってもすごいんです。 何がすごいかって、「善なるものにお金を使っている喜び」をファンに味わわせ続けてくれること。彼らはそういう意味で極めて「善」なのだ。それこそがSnowManの最大の強みなのではないかと思うのだ。 「善」を徹

          SnowManに学ぶ

          ねこ

          ねこといると、実に多くの学びがある。本当に見ていて飽きないし、あらゆる自己問答がうかんでくる。 兎にも角にも生活。食事からトイレの世話まで、まるで人間の人生の縮図を見ているみたいだ。 誰かと一生添い遂げようと思うとき、ちょうどねこと暮らすのと同じように、徐々に自分の手を離れることと、徐々に自分の手でやらなければならないことの両方がある。最終的には、後者が生活の大半を占める日もくる。そうなったとき、自分とパートナーを結びつけるものは一体何だろう。「絆」とは何でできているのだろ

          『生きる』

          黒澤明監督の『生きる』を観た。 このところ自分の深い深いところで燻っていた感情に、意味を与えてもらった気がする。 けれどそれらは、「日常」に戻ればまた見失ってしまうものだ。映画の最後、いつもと何ら変わりなく役所仕事をこなす同僚たちのように。 気付いたからといって、自ずから人生が変わってくれるわけじゃない。 「あの公園で、死ぬ間際に主人公がうたった歌。あんな歌をいつかわたしは歌えるのか。」 そうやって喉元に刃を突きつけられている気分だ。 なのに今のわたしには泣くことしかでき

          防災をかんがえる

          元旦以降、どうしても気持ちが落ち着かないので、防災用品をしっかり準備してみることにした。ただ「非常用持ち出し袋」の必要性は認識しているものの、いざという時にこんな大きなものを持ち出せるのか、また出先で災害に遭ったらどうするのかと不安だった。 色々調べてみると「防災ボトル」というアイディアがあることを知り、早速用意してみた。 ボトルを含めてほぼ100円ショップで揃えることができる。500mlサイズもあれば必要なものは入れられると思うし、災害時にはこの容器自体、非常に重宝する

          防災をかんがえる

          祈る

          この正月は思い描いていた正月ではなかった。食べ物の味がしない。何を食べたかも覚えていない。ニュースを見るたび涙があふれる。申し訳ないほど僅かな募金をしたけど、こんなことしかできない。テレビではもうどこもニュースをやってないけど、私はそんなふうには切り替えられそうにない。 感情の行き場がなくてSNSを流し見ていると、こんな文章が流れてきた。どなたかの、東日本大震災のときの言葉だそうだ。 そうか。 とにかく栄養のあるものを食べて休むんだ。まずは自分を守るんだ。そして祈る。「何

          2023年、幸せだった瞬間

          2023年、幸せだった瞬間