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神経症傾向の僕の話

意外かもしれないが、僕は完璧主義の傾向があるんだ。

親や家庭環境が原因みたいだ。

一つ言いたいのは親のせいだと親に怒りを向けいない。
怒りを向ける意味がないからね。

ただ原因を知る事で精神の不調から僕は楽になった。
家庭環境が悪いと他人は気づくが自分では当たり前だから気づかない。
全く不調には心辺りがないのに、当事者の自分は苦しいんだよね。

だから僕は親を責めるのではなく、不調が起こった事には原因があるんだ。
必ずね。

だから
親に怒りを向けるのではなく、原因を見つけよう。
僕が精神的に楽になった考え方だ。

母は神経症の傾向があったし、気に入らないと殴ったり怒鳴ったりした。
小学生の頃から怒らせないように毎日必死だったさ。サバイバル生活だ。
命の危険だからね。

そして、父は毎日夜になるとお酒を飲んでいた。
父がお酒を飲まなかった日を僕は知らない。
お酒を飲んだ父は僕の話に興味がなさそうで
お酒を飲み、会話を頑張ってしている僕の話には興味がなさそうだ。
お酒を飲んで2時間以内に座った状態で寝たりした。
結構危なくて注意をしても”うるせぇ”と怒るんだ。

僕はずっと父に迷惑をかけているから
「お酒を飲むことが父の癒しならば我慢するしかない」
そう思っていた。

こういう家庭を”機能不全家族”というらしい。



それで僕が神経症傾向になった原因は

①親は自分の意見に合う時だけは褒め、後は論破する、否定する(完全否定ではなかったから僕は最近まで分からなかったよ)
②常に最悪の事態を想定する。心配性。
③学生時代、僕は日が暮れて帰ってこなかったら親から電話がかかってきたし、一度家に帰ると外出をさせてくれなかった。過干渉。
④決めつけがちだった両親。ゲームは何も得るものがないなど(僕はゲームは無駄とは思ってないけどね)
⑤家族そろって食事をする事はほぼない。これは母が父の食事を作らなくなって、父が怒った結果、父は僕と母と食事をする事はなかった。

⑥僕は親に褒められた事が少ないんだ。だから自分の考えに自信はないし、基本的に相手が正しいと思ってしまっていた。(今は違うよ)
⑦家庭環境が不安定で僕はわりと学生時代の記憶があやふやなんだ。生きるのがしんどかったからね。だから父と母が仲良くしている記憶がないんだ。小学校低学年の頃は母と父が仲のよさそうな写真があったけど、僕は覚えていない。喧嘩ばかりだし、母から愚痴ばかり聞かされていた。

まぁこんな感じだ。

ちなみに僕が他人に対して涙を見せるのをしない理由は単純だ。

初めて僕が母の前で泣いた時、母は抱きしめて慰めるどころか、大声で僕の前で泣いて、僕が泣き止んだらぴたりと泣くのを止めた。
印象深過ぎて断片的に覚えている記憶だ。

だから
僕はあまり他人に期待をしないんだ。
まぁ親がこういう感じだから期待出来ないんだ。
他人は他人だし、面倒には巻き込まれたくないって雰囲気だしね。

親すら怒らせると殴られたり怒鳴られたりするから礼儀が必要だ。
赤の他人にさらに礼儀が必要だ。
怒らせるのは恐怖だ。
僕にはわりと常識がないから怒らせてしまうけど。

世の中には無礼講<ぶれいこう>という言葉がある。
だが僕は無礼講だと言われても親を怒らせるとわりと命の危険があったから、相手を怒らせないようにする癖がある。

僕にとって親しき仲にも礼儀ありなんだ。

長くなってごめんね。

決して僕が可哀そうなのを自慢している訳ではないよ。(過去に言われて嫌な言葉だからさ)
同情して欲しいから書いたのではないんだ。

これが僕の家庭環境の現実であり、変えようのない過去だ。

僕は受け入れているし。
これに関しては他人にどういわれてもあまり何も感じない。

これに気が付かなければ、僕は未来へと歩けなかった。

だから
もし僕と同じように神経症や精神的に苦しんでいるなら、色々原因を調べてみてよ。

僕は別に親を恨んでないよ。
辛かったけどね。

まぁ言わせてもらうなら

子供はね、親に愛されたいから頑張り、努力をするんだ。
子供が最初に愛されたかったのは親だよ。
そして親に諦めたり、怒りを持ちながらもまだ愛されたいんだよ。
僕は矛盾している感情は苦手だが、それが人間だ。

親が大切だから僕は憎めないんだ。

だが
親が変わってくれる事の方が少ない気がするし
過去の話をぶつけても意味がない。

なら
気づいた自分が未来へと歩かないといけない。

不調の原因を知る事が僕の精神的な負荷の軽減につながった。

だから
原因を見つけていく事で変わり始めるよ。

自分で見つけていってね。
諦めなければ、立ち上がれる日がくるさ。

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