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音の風景

「例えば私の死後、私の記憶領域から、私の聞いた音だけが蘇生可能だとしたら、私の生はどのように再現されるだろう? 数々の会話、数々の雑音、こうして紙をなぞるシャープペンシルの音、本のページをめくる音、喘ぎ声、寝息、テレビの、電車の、自動車の、冷蔵庫の音、衣ずれ、食器のぶつかりあい、小銭の音、すれ違う人々の声や足音…この番組を聴いていると、音というものの与える臨場感にはっとさせられる。本当のところ、私を取り巻く環境のうちいったいどれほどを私が選んで経験しているか(経験とは無意識による恣意性からまぬがれえないものだ)、私自身は知りようがないのであって、だから音楽もなく、声も音もすべてをひとしなみに《風景》とみなすこの番組が、妙に新鮮で、同時にしかし、どこかしら痛い位に鋭い知覚をもった心の皮膚の擦れを、思わせるのである。」

日記からの、引用です。




今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。