「母語」

 ここで扱う「母語」とは、

ぼ‐ご【母語】
読み方:ぼご
mother tongue訳語》人が生まれて最初に習い覚え言語
同じ系統に属する諸言語共通の源とする言語フランス語イタリア語などに対するラテン語の類。祖語

https://www.weblio.jp/content/%E6%AF%8D%E8%AA%9E

のうちの、のことです。まず、本論から外れたことをわらわら書き連ねますが、どんでん返しの本論は後半で。ダメですね、こういう書き方は、読者さんにとっては読みにくいんでしょうなあ。

 さて、わたしの母国語も母語も日本語です。さらに言うと”母方言”は今治弁ですが、東京界隈に住んで40数年、いまはもう今治弁をちゃんとしゃべることはできません。そもそも、父親が瀬戸内海の島の出身で、その島は平成の大合併で今は今治市となってはいますが、その言葉は広島の言葉に近いイントネーションでしたから、母親は今治市内出身だとはいえ、わたしが家庭で自然に獲得した言葉が、今治弁の標準語であったかどうか…なんのこっちゃ。

 まあ、我が家のことは措いておいて、子育ては母親の役目でしたから、mother と言うのでしょう。一応、辞書を見ておきます。

母語の英語
英訳・英語mother language
ぼご 母語 one's mother [native] tongue.
「母語」を含む例文一覧
one's native tongue - Eゲイト英和辞典
one's native language - Eゲイト英和辞典
彼の母語はスペイン語だ.His mother tongue is Spanish. - 研究社 新英和中辞典
英語を母語とする地域.the English‐speaking world - 研究社 新英和中辞典
私の母語は日本語です。My mother tongue is Japanese. - Tatoeba
母語はフランス語です。My native language is French. - Tatoeba

https://ejje.weblio.jp/content/%E6%AF%8D%E8%AA%9E

 motherのほかにnativeも使われているようです。子育てを母親の役目とするのは、今では某方面からの要請・圧力で「不適当」視されるかもしれませんので、語学教育の世界では、最初に獲得した言語という意味で「第一言語」と言ったりもします。ただし、第一言語とは「いちばん得意な言語」のことも言います。


 その定義から、母語と母国語が違う場合もあります。WBCの侍ジャパンチームで話題になったラーズ・ヌートバーは母語も母国語も英語です。国籍はアメリカです。同じくダルビッシュ有は、日本で生まれ育って日本国籍だし、母語も母国語も日本語です。ただし、幼稚園に上がるまでイラン出身の父と日本人の母の共通の言葉である英語で育てられたそうで、でも、場所は大阪だから、これをもって英語も母語というのは…無理筋かな。
 以前のサッカー侍ブルーで活躍した田中マルクス闘莉王は母語・母国語ともブラジル語(ポルトガル語)です。国籍は日本に帰化していますが、母国語といった場合は「出身国」であってもいいからです。
 ノーベル賞作家のカズオ・イシグロと、このところ赤丸急上昇中のポップス歌手リナ・サワヤマ(澤山理奈)は、ともに日本人の両親のもと日本で生まれ、幼少期に英国に移住(当初は父親の転勤による赴任)しました。イシグロは5歳、サワヤマは4歳のときです。日本人学校にも通って、30歳近くまで母親と暮らしたサワヤマは日本人向けのファンサービスとして、ごくふつうの日本語をしゃべったりしますが、イシグロはもう日本語をしゃべりません--しゃべれなくはないようです。この2人の母語は日本語と言っていいのでしょうか。「イシグロやサワヤマの母語は日本語だった」と表現すると、「今は違う」という含意がでてきますが、それでいいのでしょうか。イシグロは「母語だった」で、サワヤマは「母語です」となるんでしょうか。そうすると、「じゃあ、イシグロの母語は現在、何語?」という質問が成立しそうですが、母語に今も昔もないはずだから…わかりません。なお、こういうケースでは、彼らにとっての日本語の立場を表す「継承語」heritage languageという概念があります。また、サワヤマは日本国籍--少なくとも2021年時点では、そう--ですから、「母国語は日本語」として問題はなさそうです。仮に国籍が変わったとしても闘莉王と同様、かまわないと思います。しかし、イシグロの場合はすでに長く英国籍でもあり、公式の場でほとんど日本語を使わないので、「母国語は日本語」とは言いにくいかな。

 いずれにせよ、母語や母国語とは、定義とは別に、各個人にとってのかなり主観的な概念と言えそうです。とくに「母国語」は、本人の帰属意識に左右される政治的な意味合いが強くなるため、言語研究の世界では取り扱っていません。たとえば日本語を母語とする在日コリアンで、韓国語がまったくできなくても、「韓国語が母国語だ」とは言えるのでしょう。つまり、政治用語ですね。



 さあ、「わらわら」はこれくらいにして、本論へ進みましょう。

 ハプログループというのをご存じですか。かなり単純化して説明すると、生殖が行われるとき、精子が連れてきた男親のミトコンドリアDNAは卵子の中で排除され、その子が男であれ女であれ、必ず女親のミトコンドリアDNAが子に継承されます。一方、23対ある染色体のひとつ性染色体は、男ならXY、女ならXXの組み合わせとなっていますから、男の子が生まれれば、その子は必ず男親のY染色体を受け継ぐことになります。つまり、女系の先祖をたどることができるのが「ミトコンドリアDNA」、男系をたどることができるのが「Y染色体」です。

 この片親由来の遺伝子は、長年の突然変異により何種類ものグループが存在します。それをハプログループといいます。ハプログループの分布により、人類の移動の足跡がおおむね明らかになってきました。5~20万年前にアフリカを出た人類は、アラビア半島を経て、今のイランへ。そこからヨーロッパへ向かうグループと、インドを経て東南アジアへ向かうグループに分かれ、後者はさらに東アジアからシベリアへ北上します。それらの複数支流が日本列島にも流れ込みます。そして、1万数千年前、凍てついたベーリング海峡を越えてアメリカ大陸へ渡り、たった1000年で南端まで到達云々という、グレートジャーニーです。

 そのY染色体ハプログループの系統分布が、言語の系統分布と大いにリンクしていることがわかりました。女系のミトコンドリアDNAではなく、男系のY染色体のほうです。それで、2000年前後から、「ヒトは父親の言語を話す傾向がある」という仮説が提唱されるようになりました。これをfather tongue hypothesis、訳して「父系言語仮説」と言います。おや、mother tongueが母語なら、father tongueは父語じゃないのか?

 さて、「子育ては母親の役割」という実態は、多くの国や民族で長い時間、観察されてきました。しかも、赤ちゃんへ話しかけるときの独特の話し方は、言語や文化が違えどほぼ似たり寄ったりで、その話法や態度にmothereseマザリーズという造語が名付けられてしまいました。日本語では「母親語」とか「母親言葉」などとアテたようです。ソノ筋の理念も意向も威光もスルーして、子どもが言葉を覚えるのは母親のおかげだという観念が広く定着していてのmother tongueやmothereseなのでしょう。

 ところがどっこいの、父系言語仮説ですね。それが何を意味するか、あるいはしたかは想像をかきたてられますね。歴史には、それを示唆する記述がたくさんあります。これまで糊塗してきた人類のおぞましい行跡を赤裸々にするしかないんでしょうかね。


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