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偶然でありながら必然である 七緒栞菜

「偶然であり、必然である。」という言葉が矛盾しないことはありえないのだろうか。

私はあらゆる出来事に関して、その両方を感じている。それはただ単に「ある出来事が事実である。」ということに過ぎないのかもしれないが、私にとっては偶然も必然も、どちらも孕んだものに感じられるのである。

例えば誰かが、「私が私であることは偶然である」と言ったとする。でもそれは、「その人がその人にならざるを得なかった」という点において、必然であったと私には感じられる。

例えば、動物の進化について。キリンの首が長いのは、「生き物が進化する過程で様々なタイプのキリンがいた中で、偶然、首の長い種類のキリンが生き残ったからだ」と言われている。でも、これだって、「首の長いキリンしか生き残ることができなかった」という点において、必然であったと私には感じられる。

「偶然であり、必然である。」というのは、矛盾しないのではないだろうか。

あらゆる出来事は、もちろん偶然である。
でも、偶然でありながら必然である。

なぜなら、その出来事が起こった瞬間は偶然であるが、「時間」が流れることによって必然になるからだ。

ある高校の卒業式の答辞が話題になっているが、そこに出てくる「バタフライエフェクト」も「偶然であり必然である」ことを意味している気がしてならない。(予測困難性を表す言葉であることは知ってはいるが…。)

蝶の羽ばたきで竜巻が起こる。
風が吹いたら桶屋が儲かる。

予測不可能であることをわかっていながら手繰り寄せる糸のような、ひとつひとつの些細な出来事が、未来のひとつしかない現実に受け渡されていく。
というよりも、些細な出来事の後、少し時間がたってから、その時のひとつしかない現在が弱い過去を意味づけるのかもしれない。

最終的に何を言いたいのか、わからない文章になってしまった。「偶然でありながら必然である。」ということはありうる、ということをなぜか声高に言いたかった。ただそれだけなのかもしれない。


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