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Dancing Zombiez/加持祈祷-4 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS

急に走り出したおれをメンバーは当然訝しんだろうが、振り返ると皆着いてきてくれていた。おれは階段を一心不乱に駆け上り、上階に構えるテナントの中にずかずかと足を踏み入れた。背後から九野ちゃんの声が飛ぶ。
「え? 本屋さっき見なかったっけ?」
そう、ここはさっき覗いたサブカルお洒落本屋である。入口を入ると壁一面に棚が配置してある。どうやら特集コーナー的な扱いのようで、観光ガイドブックから吉本ばななの『もしもし下北沢』まで、下北沢にまつわる書籍が所狭しと並んでいる。もうひとつ扉をくぐると店内の照明はすっかり真っ暗になっていて、青白い常夜灯だけが店の奥で光っている。清潔感のある白系の壁紙にみっしりと配置された本棚の中にはこれでもかと本が詰め込まれていて、咄嗟につけたスマホのサーチライトを静かに反射している。

おれは呼吸を落ち着かせて、足は止めずに九野ちゃんの尤もな問いかけに応じる。「実はな……まだちゃんと見とらんねん」
この店はただのお洒落本屋ではなかった。さっき覗いたのは新書から年代モノの古本まで本という本が並ぶ店内だったが――実はその奥にもスペースがあるのだ。
実はおれも実際にそこに足を踏み入れた事はなかった。ただ、よく店先に看板が出ていたのだ。「本日〇時より〇〇先生のトークショー開催 店内BARスペースにて」。
さながらホラーゲームのプレイヤーの素振りで周囲を照らしながら、店奥にある会計の更に奥、さも「staff only」とでも掛け看板がされていそうな引き戸を引いた。


「ここがよくわかったね、オニーサン達」


三方の壁を本棚で覆われた、十畳程の狭くも広くもない部屋の右手壁際に設けられたバーカウンターの背の高い椅子に腰掛けた針金細工のように細く小さな人影は、青白い常夜灯とおれのスマホに照らされてそのぼんやりとした輪郭を現した。


「やあ、まず一杯やろうよとりあえず」



******************

「やあ驚いた」フッちゃんが爺さんのような声を上げて驚愕を表明する。「こんな隠し部屋があったとは」

正にホラゲーのギミック的なシチュエーションで、おれ達が探し回ったヤッコさんは美少女のような見た目に不釣り合いな程こなれた所作でグラスを掲げ、ひと口啜ってみせた。そのまま流れるように傍らの灰皿から吸いさしの細い煙草を、黒く塗られた爪で挟んで桜の花びらのような唇に挟む。見ているだけで不安になってくるな、自分幾つやねん。
キヨスミが飲み会でも断るような語彙で、若き天才の誘いを受け流した。
「ごめんネ、この後ちょっと予定あるからやめとく」
水島空白は真っ赤なエナメルブーツの厚い踵をカウンターチェアの足置きにぶつけ、やや苛立ったような素振りを見せる。背もたれに身体を預けると鶴のような首を仰け反らせ、天井に向かってなあんだ、とさもつまんなそうに呟いた。
「オトナってもっと心の余裕があるもんだと思ってた。飲みニケーション? っての? 僕も憧れあんだよね〜」
「あのねえ」こういう時に一番度胸があるのは、なんだかんだでキヨスミかもしれない。各所で“令和の若きポップロックの旗手”と名高いメインコンポーザーは、若干十七歳の天才に引き続き果敢にも食い下がる。
「イマドキそんなの時代遅れよ? アルハラって言葉知ってるよね、若いんだからサ。俺達の方がお縄になっちゃうジャン」
それより俺達が何しに来たか、わかるよね? 珍しい程に静かな迫力を醸し出してくるキヨスミ。いつもの軽薄そうなトーンの声に、明らかな気迫を湛え、未就学児のいたずらを咎めるようなニュアンスで噛んで含めるように言う。

「何で、あんな事したの?」

水島空白は意外と素直だった。

「気に入らないから」

そして、感じていた以上にクソガキだった。

気に入らねえ、ただそれだけでやべークスリを配って歩くとは末恐ろしいガキだ。一体バンドマンに何の恨みがあるというのだ。ヤツはサテンのようなおかっぱの黒髪を掻き上げて、ふてぶてしく脚を組みガラス玉のような大きな目をおかしそうに細める。
「でもオニーサン達は別。今日見たバンドの中で一番好みだったんだ、音数が多くてカッコイイしボーカルがふたりいるのも良かった。その辺の売れ線ワナビーバンドみたいに上手く歌おうともしてないし、青春パンクって言っときゃ演奏ヘタクソでも許されると思ってるクソ雑魚バンドみたいにやかましくもないし」
辛辣な講評をつらつらと述べた水島は、風を起こせそうなまつ毛を伏せ、す、と一瞬だけ目を閉じたかと思うと、手にしたグラスをカウンターに置いて勢いよく立ち上がった。


「だから、他の奴らよりももっと、気に入らない」


その機械音声のように冷たい中低音が、部屋の入口で間合いを取ったおれ達の元に届くか否かという時。壁際の本棚に収められた夥しい数の本が、あろうことかひとりでに飛び出しておれ達の目の前に降り積もりだした。


ディズニーアニメの物々達を想像してみてほしい、手足が生え、元気良くピョンピョンと飛び跳ね、縦横無尽に動き回る。それの手足のないバージョンが、自分らの家たる本棚から大量にやってきて目の前に折り重なり、雑然とした積み本地獄を作り出した。さながらガサツな読書家の四畳半といった赴きだ。あんまり量が多いもんでおれ達の視界は一瞬で覆われ、バーカウンターの前の水島空白の姿はすっかり見えなくなってしまった。

「あいつらを元に戻せ!!!」思わずついつい少年漫画の主人公のような声を出してしまうおれ。だってこの状況で、冷静な説得が相手に効くとは思えない。聞く耳すら持たなさそうだし、似非脳筋のおれにはとにかく威嚇あるのみとしか思えなかった。しかし案の定だが、おれの在り来りな威嚇の言葉なぞ効くはずもなく。
「やーーーだね!!!!!!」半沢〇樹さながらの威嚇返しが本の壁の向こうから轟く。あのお上品なビスクドールにもどうやら香川照之にも負けない豊かな表情筋があるらしい。どっちかと言うと田中みな実かもしれない。

「大人しくしなよ、オニーサン達も一年前のあいつらみたいな目に遭いたい? ま、どーでもいっか死に方なんて。どーせ逝くトコは一緒だし?」

小憎たらしい少し篭ったハイトーンが言葉を続ける。一年前? まさかやっぱり、と思ったその瞬間、おれの脳内に身に覚えのない景色のイメージが飛び込んできた。


そう――あの夜、一年前の、渋谷の夜だ。これは、あの残虐な事件が起きた一年前の渋谷のライブハウスだ。おれの視覚は薄暗い店内に放り込まれ、決して広くはないフロアをいっぱいにした人々の乱闘を見ている。自殺行為のように繰り出されるパンチをするりと避けながら振り返ればスローモーションのように細身の人影が倒れていく様が見え、YouTubeで一昨年ぐらいにMVを観た記憶があり、Skream! で「ピックアップルーキー」として紹介されていたバンドのボーカルである事がわかった。思わず両手で頭を覆うがそこにいるおれは視覚だけの存在なのでスローモーションの大乱闘はおれの存在なぞないかのように続いていく。
おれの視界は壁まで辿り着き、そこに蹲って震えている人影を見つける。おい、こんなところにいたら危ないぞ、思わず己が置かれた状況を忘れてそう呼びかけようとした瞬間、世界の全てが、時を止めた。


折れそうな程細い膝を両手で抱えて肩を震わせていたその人物の、オーバーサイズの黒いパーカのフードの影からちらりと見えたその目が、確かに笑っていたのだ。


水島空白だった。



「やっぱりあれも自分の仕業やったんか!?」夢から目覚めたようにおれは叫んだ。実際、次の瞬間おれの視界は下北沢のお洒落本屋の隠しBARスペースに戻ってきていた。山のように雑然とした本の山の向こうから、動かざる事山の如しという趣きの声が聴こえてくる。
「だったらなんだっての? ウザイ虫がたかってきたらみんな指先でプチって、殺すよね? それと一緒じゃない? 違うの?」
水島空白のその言葉には、決して敵を煽るような過剰な攻撃的さはなかった。あくまでも自分が思う当たり前の事を口にしている、というその淡々としたトーンは小憎たらしいを通り越して恐ろしく、おれはその場で小さく地団駄を踏むほかなかった。

ふいに、背後でキヨスミが声を上げる。
「あーあー、これだから真面目が取り柄の正義さんは駄目駄目なのよ」
ここでおれをdisる!? 仮にも仲間なのにか!? 大変ミザリーな気分になりながら身を翻すと、ベースボーカルはここにいる誰よりも落ち着いた素振りで堂々と慎ましやかな胸を張り、腰に手を当て小首を傾げる。

「要はそこの美少年はカルト王国の王子様だったわけでしょ? 多かれ少なかれ洗脳受けちゃってるんだから正義さんのクソつまんね正義なんて通じないよ、誰もがいわゆるマトモな倫理観ってヤツを持ち合わせてると思ったら大間違い」
淡い常夜灯に照らされながら上目遣いにこっちを見上げるキヨスミ(♀)は正直めちゃめちゃ可愛いが、“あの日”の初恋を思い出しているような情緒は流石にこの場にはない。一瞬のドキッとした隙を狙ったかのようにその激エグいスラップベースを得意技とする白海老のような指が、おれの顎をくいっと捉えて白い歯がニコリと微笑む。

「サイコパスにつける薬はありません。組長はわからない? 理屈が通じない相手にどう太刀打ちすればいいか」
……わからん。
「簡単だよ、――それは」

不敵なベスボは“らしくない”程に思い切り良く言い放った。


強行突破、実力行使あるのみだよ。



続く


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