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2. 兄と床屋へ

小学生の頃、僕は兄が床屋へいくのに一緒について行っていた。いや、無理矢理僕も連れて行かれたのだ。
兄は僕より一つ年上でかなりの無口だ。当時小学生だった僕は兄の同級生からよく「お兄ちゃん全然喋らんよな。」と言われていた。
僕もなぜそんなに無口なのかは理由が分からないのだが、喋りたくない理由があるわけではなく、喋らないのが自然体なのだろうと思っていた。
ただ、家では僕と普通に会話をしているのだ。学校であったこと、テレビについて、ゲームについていろいろなことを話していた。
内弁慶なのだろう。
そんな兄は、なぜだか床屋へのこだわりが強かった。家の近所の床屋は、バリカンが丁寧じゃないと言って、一度行ったきりになり、また別の床屋では、気に入らない髪型にされるからと言って、行かなくなった。そんなわけで、家の近所の床屋は悉く兄の世界から消滅した。
近所で通える床屋の無くなった兄は、家から二駅以上も離れた床屋に通い出したのだ。
小学生が歩いて、1時間半近くかかる距離があったにもかかわらず、兄はそんなことはどこ吹く風といった具合で意にも介さないのだ。ただ、やはり、一人で行くのはどうも寂しく感じたのだろう必ず僕も一緒に連れて行ったのだ。
僕はそんな遠くにわざわざ行くのが面倒臭くて、「行かない。」と言って拒否していたのだが、兄は嫌がる僕を強引に連れ出したのだ。
『スタンドバイミー』じゃあるまいし、死体もないのにそんな距離を歩くなんて馬鹿なのだろうかと思っていた。まあ、死体があったらなおのこと行く気はないのだが。
床屋へ向かう道は河川敷沿いをずっと歩いていって、そこから河川敷から隣町に下り、コンビニの前を通り、あとは、住宅街を中心部へ入ればすぐに床屋が見つかる。
兄は、一緒に歩いていると、連れ出したくせにすぐ僕を置いてきぼりにしてしまうのだ。
そうして、5歩くらいの距離が空くとしばらく僕が追いつくのを待って、またぐんぐん進んでいってしまうのだ。そういえば兄は僕と違って、かなり運動神経が良かった。
習い事でスポーツをやっていた訳でもないのに、少年野球をやっている子やサッカークラブに所属している子でも追いつけないくらい足が速かった。
小学校の運動会でも必ずリレーのアンカーを任されていた。リレーのアンカーで走っている兄が最下位の順位からどんどん追い抜いていって、しまいには1位の走者とゴールを競っているのを見て、僕はなぜ兄弟でこうも運動能力に差がつくのか不思議だった。周りの同級生からも、「お兄ちゃんは足はやいのに、なんでお前は遅いの?」とよくからかわれていた。そんなことこっちが知りたいよ。一応言っておくが、兄と僕はちゃんと同じ両親の元に生まれてきている。
顔やスタイルがとても似ているので、よく兄と間違われたものだ。
一見無愛想な兄でも周りの同級生に一目置かれるのは、この運動能力の高さ以外にも、わりかし勉強ができたことも理由の一つなのだ。僕は、その正反対で愛想笑いと受け答えの良さで周りの同級生から多少の支持があったのだ。勉強はボチボチだった。
河川敷では必ず一回は兄と足の速さを競うレースを開催した。そのレースで僕が勝ったことはもちろん一度も無い。そもそも勝てる訳はないのだが、なぜか兄の方からいつも誘ってきたのだ。
当時の僕からしてみれば、どうせ勝てるからレースを挑んでくるのだろうと思っていた。
その他にも、腕相撲でも、ゲームでも勝ったことなど一度も無かった。いつも負けていて、僕がふて腐れてしまうと、「この次は手加減してやるから、もう一度やろう。」と誘ってくるのだ。
そうして手加減をしてもらった試しがない。
河川敷を下ると、コンビニがあり、そこで兄と僕は一旦休憩をしていた。兄は、時々、僕にジュースをおごってくれた。僕は大の甘党で、飲み物は『コカコーラ』と『ポカリスエット』が大好きだった。特に『コカコーラ』を飲んだときに喉を通るチクチク刺す刺激がたまらなく好きだった。兄は、これまた正反対で炭酸が嫌いだったので、リプトンの『午後の紅茶ミルクティー』をよく飲んでいた。
そしてしばらくコンビニで休憩をして、住宅街に向かうのだ。
この間で、小さい橋があり、その下に流れる用水路に兄と二人して、魚はいないかと眺めるのが恒例行事になっていた。大きなコイやフナ、ときにはナマズや外来種と思われる緑色のカメを見つけては、またここへ来て捕まえに行こうと言い合うのだった。
橋を越えて、ようやく住宅街に入っていきそこで兄はどうか分からないが、二階建ての家を見る度にどうして自分の家はアパートなのだろうと思っていた。
なにがこの違いを作っているのか。
当時の僕は、現実的なことは何ひとつ分かっていなかったが、直感的に自分とその家の子供とでは『持っているもの』が違うと分かっていた。
そんなことを考えているうちに床屋へ着くのだ。
僕は、ただついてきただけなので、床屋の中に入っても漫画を読んでいるだけだった。
そこで『ドラゴンヘッド』や『行け稲中卓球部』という漫画を知ったのである。
この作品と出会えただけでも、この長い道のりの苦労が報われる思いがした。
漫画を読んでいるうちに兄の散髪が終わり、理容師のおじさんから僕と兄にアメが渡され、それを舐めながら帰路に就くのだ。
帰りは兄も、ナイスな髪型にしてもらい気分が良いのか、たくさん僕に喋りかけてくるのだ。
僕も床屋で素晴らしい漫画を読むことができて気分が良くなっていた。なので、僕もたくさん喋ったのだ。
だから、帰りの家までの道のりは、あっという間だった。たいてい帰る頃は夕方なので、河川敷の景色はオレンジ一色に輝いていてまるで桃源郷かと思わせるものだった。そして帰りの河川敷でのレースで負けても何一つ悔しい気持ちにもならなかったのだ。
そんなことを振り返っていて思ったのだが、やっぱり兄弟は似ているのだ。
学校では喋ろうにも喋れないところと、気の許せる相手とはとことん喋るところ。
運動能力も性格も頭の良さも正反対ではあるが、そんな共通点があったのだ。
中学校に上がるとほとんど会話を交わさなくなってしまったが、僕は大学生になり、一人暮らしをしている兄の家に行くと、また、あの頃とまでは言わないが、喋るようになったのである。
今、河川敷でやったようなレースをしたならどっちが勝つだろうか。
きっと、また負けてしまうかもしれない。

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