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ゆきてかえりし物語:ハーミットイン創業にあたって

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ようこそ。

俺は、小さなホビービジネスを日本で始めることにした。その経緯を書く。


ハーミットインを始める前の話

知らない人も沢山いると思うから、ここから話そう。俺は以前、ゲームズワークショップの社員だった。考えてみれば、1997年に俺がイギリスに渡り、「ウォーハンマー入門/趣味人への道」を仕上げた時から、実に20年の歳月が流れたことになる。ガキの頃からウォーハンマーとシタデルミニチュアが大好きで、日本に紹介したいばっかりにイギリスへ移り住んだ20歳の俺は、ゲームズワークショップのシャツを着た最初の日本人になった。

企画製作部を立ち上げ、ウォーハンマー日本語版を送り出したのが98年。2005年の国内直営一号店オープンとあわせ、ウォーハンマー40,000日本語版も発表した。その後、イベント企画、直営店トレーナー、広報も担当。実にたくさんの仕事をさせてもらえたと思う。2011年から2015年までは、正規販売店の拡充とSNSでのプレゼンスを強化しつつ、日本支社長としてホビーの広がりに貢献することができた。

若さと未熟さから、あるいは俺の不徳ゆえ、たくさんの失敗もした。それでも俺は俺なりに、そのつど自分の任された仕事の中で、ホビーのために自分のできる最善を尽くしたつもりだ。その評価には色々あると思うし、それでいいと思う。俺から言えるのは、ウォーハンマー、ウォーハンマー40,000、ロード・オブ・ザ・リング、そしてホビットのシタデルミニチュアを愛してくれた、あるいは今なお愛してくれている趣味人たちへの感謝だけだ。

ウォーハンマーが刷新され、シグマーの時代が到来することを世界に発表した日。俺のゲームズワークショップでの仕事も終わった。2015年春のことだ。シーンを見渡したとき、ゲームズワークショップホビーはその時、確かに日本でも根を張っていた。沢山の人たちが、それぞれの楽しみ方でホビーを楽しんでいるのを、肌で感じることができた。満足してゲームズワークショップのシャツを脱ぐことができたのは、沢山の趣味人たちのおかげだ。これからも、ゲームズワークショップには頑張って欲しいと思う。そして俺は一人の趣味人として、変わることなくシタデルミニチュアを愛し続けるだろう。

その後すぐ別の仕事につき、俺は再びひとりの趣味人に戻った。そして、今まであえて見ていなかった場所に、俺は注目していた。

「ゲームズワークショップ/シタデルブランド以外のミニチュアは、今どうなってる?」


久しぶりに見た「シタデルブランド以外」

国内で、ゲームズワークショップ以外のメーカーやブランドが提供ミニチュアゲームのコミュニティがあるのは知っていた。新しいゲームやミニチュアもどんどん出るし、新進メーカーもたくさんある。素晴らしいことだ。

一方、キックスターターも大きな盛り上がりを見せている。世界のミニチュア・インダストリーは今、80年代と同じような戦国時代の様相を呈しているのだ。無数のスモールビジネスが、クラウドファンディングやSNSをうまく活用し、市場でのプレゼンスを高めている。また、老舗ブランドの数々も今なお、あるいは会社の名前を変えて、海外では今でも普通に流通していた。加えて元シタデルのレジェンド級デザイナーやペインターが、色々なブランドで活躍している。


ミニチュアメーカーに制作側で参加

2015年秋には、新しいミニチュアブランドの立ち上げにも携わった。米国に本拠を置くマジックリアリティ・ミニチュアでは、モダンなアプローチのミニチュアレンジ、また、PCゲームにもなった「SteamCity」の原作者として深い関わりを持つに至った。自分の手でゼロから作るのは楽しいし、才覚にあふれた数多くのクリエーターたちと仕事ができて嬉しい。

当初は、マジックリアリティ以外、ミニチュアは仕事と分けた趣味として向き合おうと考えていた。それが変わったのが翌年、2016年春のことである。


やはり、日本でホビービジネスをやりたい

春のある日。俺は、久方ぶりに集った旧知の悪友たちと話しこんでいた。かつての同僚や仲間たち、そしてその友人たちだ。ある者は、独立系のミニチュアメーカーを立ち上げていた。ある者は、自分のブランドを大切に育てていた。ある者はキックスターターで多数の支援を集め、スモールビジネスでは成し得ない大規模での製品展開を始めていた。Facebookでは、シタデルやグレナディア、ラルパーサなどのメタルミニチュア(当時日本ではメタルフィギュアと呼ばれていた)に育てられた世代が、黄金期の薫りを今の環境で愉しむ「オールドスクール」なる流れを作ってもいた。様々なグループで、凄腕の海外ペインターたちが、昔では考えられないようなクオリティの作品を次々と発表していた。

それらの会話はすべて英語でなされた。その場にいる日本人は俺だけだった。楽しい時間だったが、直後、沢山の疑問が一気に湧いて出てきた。

こいつらの製品を知っている日本人がどのくらいいる? キックスターター系の製品が、ごく一部の盛り上がりに終わっていないか? リスクを取って海外通販に乗り出す人はどれだけいるのか? 世界中から人が集まる海外コミュニティに、日本人がほとんどいないのは何故だ? 日本のコミュニティは、あまりに小さく切り分けられ、分断されていないか? 売れそうなモノじゃなく、良いモノを置いている店は、日本にどれだけある?

そして何よりも、海外の連中が現在進行形で楽しんでいるモノが、日本では過ぎさった昔のモノ扱いを受けていないか? 「古きよき時代だね」「懐かしいね」で終わらせていないか? 

俺は日本のホビービジネスでやり残したことがある。ホビーに無関係の外資企業に入って日本法人を立ち上げ、一等地のバカデカいオフィスに陣取ってみたり、コンサル面して講習会でエラそうに説教をしたり、六本木でパーティーなどしている場合ではない。いい服を着て、イカす車を乗り回して、通帳の残高を増やすのが俺の人生でいいはずがない。俺の人生は、ミニチュアが変えてくれた。恩返しはまだ終わっていない。


オールドスクールファンタジーは現在進行形だ

アザーワールド・ミニチュアのリチャードは、オールドスクールをどう今の時代で広められるかを考えていた。ラルパーサ・ヨーロッパのポールとマルティンは、ラルパーサが過去のメーカーではないことを訴えていた。ナイトメア・ミニチュアのディエゴは、「パンテオン・オヴ・ケイオス」のキックスターター後、どうすれば自分のブランドを広げられるかを考えていた。レッドボックス・ゲームズのトレは、自分の信じるファンタジーミニチュアの形をどう広めるか探っていた。コートデアームズのマイクは、すばらしい水溶性カラーの知名度を上げたがっていた。

だから俺はハーミットインを作った。 世界から選りすぐったオールドスクールな、しかし現在進行形のファンタジーミニチュアを、新たに日本全国へ届けるために。

ハーミットイン。ここは小さな宿屋だ。酒場に行けば、小さな暖炉の周りに集まった冒険者たちが、色々な冒険譚を聞かせてくれるだろう。商店では、君が見たこともないような、あるいはどこかで見たような品々が、ろうそくの薄明かりに照らされて君を出迎えてくれるはずだ。張り出した塔の頂上を訪ねてみるといい。隠された工房の秘密を覗けるかもしれない。森に行くなら気をつけろ。そこは怪物たちの棲む場所だ…。

好きだから日本に広めたい

オールドスクールなファンタジーミニチュアを扱うスモールビジネスは世界に数多くある。懐古趣味でも、絶版趣味でもなく、まさに現在進行形で販売されている素晴らしい製品群を、どんどん日本に紹介したい。俺は、この素晴らしいホビーを、もっと多くの人に知ってもらいたいのだ。

俺はオールドスクールなファンタジーが好きだ。ミニチュアが好きだ。この重さが好きだ。この面倒くささがたまらなく好きだ。俺の人生を変えてくれたホビーだ。だから、もっと多くの人に伝えたい。オールドスクールファンタジーは死んでなどいない。生きているのだ。ハーミットインの商店に並ぶ製品を見てくれ。ここは骨董屋じゃない。すべて現行品だ。

この人生には、毎日馬車馬のように働き、家賃を支払い、疲れた顔で満員電車に揺られる以外の側面が必要だ。子供みたいに興奮したり、夢中になる時間が必要だ。

そうだ。これは面倒くさいホビーだ。重たいホビーだ。手軽でも気軽でもない。だからどうした。スゲー面白いぜこれ。一緒にやろう。楽しもうぜ。

風が吹こうとしている。それは古風だ。古い風が、新しい時代を連れてくる。

オールドスクールファンタジーミニチュアの世界へようこそ。

2017年 1月

新たなる冒険のはじまりにあたって

ハーミットイン代表
籾山庸爾

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ハーミットイン商店で、世界中から集ったミニチュアが君を待っている。

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