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39.いじめ社会

2022年に、過去に総理大臣もやったことがあるような立派な国会議員さんが選挙中の演説で言った言葉を載せてみます。
 
“安全保障があるから、人がケンカをしかけてこないんだろ。

子どもの時にいじめられた子。

弱い子がいじめられる。

強い奴はいじめられないんだって。

違いますか。

国もおんなじよ。

強そうな国には仕掛けてこない。

弱そうな国がやられる。

そういうもんでしょうが。

やり返される可能性が高いと思われて、はじめて抑止力になる”
 
凄い人が言ったのですから、そういうことなのでしょう…。
 
その後の選挙で、この方の党が圧勝したのだから、国民も納得しているし同じ感覚なのかもしれません。
 
私は他の人よりもかなり頭が弱いので理解できないこともありました。
 
でも、全てがおかしいと言いたいわけではなく、違和感があったので“いじめ”についてお勉強してみます。
 
いじめ は、精神的、身体的な苦痛を与える犯罪行為あるいはハラスメント行為のことを言います。
 
現在の学校や職場などで、その行為が いじめ と認定されるかを判断するのは、いじめられた側の立場に立って行われることになっています。
 
いじめ は、被害者が一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの とされています。
 
起こった場所は学校や職場の内外は関係ありません。
 
いじめの場は、集団外と集団内の2つに分けられます。
 
集団外のいじめは、集団に属しない人に対する攻撃や排除として表現されます。

価値観の違いや外見の違いなどを理由に異質なものを排除する為に行われます。

集団内の場合は、内部の秩序維持や価値観の一体化の為に、集団内の弱い者に対する迫害、物品の強要や行動の強制などが行われます。
 
いじめは、加害者、被害者、観客、傍観者によって成り立ちます。
 
いじめの社会的背景としては、

1.家庭内的要因(乳幼児期から、基本的な生活習慣や生活態度が充分に教育されていない)

2.組織的要因(単一の尺度で個人を評価しがちな傾向が見られ、ひとりひとりの個性、特性を伸ばす指導が充分に行われていないこと。要するに、個人の多様な実態に対応できていない)

3.地域社会の要因(住民の連帯意識が希薄化し、地域社会全体で支え合うという意識が低下している)

…などが挙げられます。
 
いじめが起きると、まずは いじめた側が責められます。

それは当然のことで、いじめた側が悪いです。

ただ、それだけで済まされる話ではありません。
 
いじめが起きてしまう要因、環境を見る必要があると思います。
 
いじめを実行すると、いじめる側の結束が強くなります。
 
その集団心理は、いつの時代も変わらないようです。

大人の世界でも、親同士の関係、町内会、会社組織、国…いろんな所であります。

子どもがいずれは大人になるので、当然のことです。
 
いじめは子どもだけの問題ではありません。
 
ここで問題なのは、いじめたい人が明確にいるわけではなく、誰でも良いからいじめたいという空気感がまず発生することです。
 
その結果、相手は誰でも良いわけで、いじめられる側が学校や会社から去ると、今度は違う人がターゲットになってしまいます(全てがそうではなく、特定の個人をターゲットとするパターンも稀にあると思います)。
 
いじめをする側の言い分としては“いじめられる側に問題がある”ということです。

目立った行動をとったり、集団に合わせたことをしていないからいじめてやる…ということです。
 
でも、これは論外な意見で、いじめられる側に問題があるのではなく、いじめる側がめざとく、いじめる為の原因を見つけ出して理由付けしているだけのことだと思います。
 
肌の色が違う、髪の色が違う、目の色が違う、くせ毛だ、親がいない、純日本人じゃない、流行に乗っていない、みんなが持っているゲームを持っていない…などの自分たちと異なる部分を見つけ出して、それをいじめる理由にするわけです。
 
いじめは、自分たちと似た性質の人が多い、比較的閉じた集団で生じることが多いです。
 
地元の学校や小規模な職場では起こりやすいですが、全国から集まるような大規模な学校や企業では起こりにくいと分析されています。
 
まだまだ解決しそうにない、2021年の旭川市のいじめから自殺に繋がった事件もそうですが、加害者と被害者以外の観客、傍観者の存在がまた恐ろしいです。
 
周囲にいる同級生や地域の気付いた人、加害者側の親だけに限らず、それが先生や教育委員会もとなったら世も末です。
 
やられた方は、もう逃げ場が完全に絶たれたようものです。
 
子どもの社会に深く根付いた“いじめの体質”ですが、 それはそのまま、子どもを育てる大人社会の生き写しでもあると考えられます。
 
子どもの生きる上での最大の教材は大人の生き方です。
 
今の日本は抑圧が弱者へと向かう格差社会です。
 
学校のいじめ問題との類似点が指摘されるものに、何年も前の話ですが、社会からドロップアウトした少年たちが弱者に暴行し快感を得るというホームレス狩りがありました。

昨年も…今年か?…SNSの話題にする為に“御馳走する”と言ってコンビニに連れて行って、商品を手にしてレジに行ったところでトンズラして、その困っている姿を撮影して喜んでいるお嬢さんもいましたね…。
 
生活する上での社会の抑圧が、強い方から弱い方へ、弱い方から更に弱い方へと、確実にしわ寄せされていく今の社会です。
 
いじめや自殺やホームレス狩り、ドメスティック・バイオレンス、虐待などを考えてみると共通しています。
 
いじめの土壌に格差社会があると考えられます。
 
“負け組になりたくない、勝ち組にならなければ”という表現…。
 
子どもの頃から既に始まり、大人になればまさに命がけの厳しい生き残り競争の社会です。

他人を出し抜いてでも勝ちたい社会です。
 
弱者を切り捨てる … 日本全体がいじめ社会になっているのでは?

…と感じてしまいます。

冒頭にある国会議員さんの発言ですが“強い”、“弱い”という分断……。

やはり、こういう感覚だから格差社会になるのも当然かなと思います。
 
もし、いじめている側が強くて、いじめられる側が弱いというのであれば、無言で抵抗している人も弱いということになります。

いじめられて仕方ないと思っている人はいないはずです。
 
ただ、いじめる側と同じような…相手を不快にさせる形でやり返さないだけです。

やられたらやり返すというのは半沢直樹さんにスカッとやってもらって、やられた側は何があってもグッとこらえて、タイミングが来た場合だけ、やり返すのではなく、もっと上を行って見返してやるという方法もあります。
 
私も弱者なので、やはり弱者目線でしか物事を考えられなくなってしまいます。
 
強い方の気持ちがわからないので、このテーマは失敗かな…とは思います。
 
でも、この国会議員さんが言っている未然に対策を打って世界平和を守ろうと言うことには全く異論がありませんし、よろしくお願いします…という感じです。


写真はいつの日か…北海道大学構内で撮影したものです。

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