75.フッゲライ
私はドイツが好きで、ドイツ人も好きで、ドイツ料理も好きです。
そして何よりも、ドイツビールが大好きです。
子どもの頃から“ゲルマン魂”という言葉も好きでした。
私は英語を話せませんし、ドイツ語も全く知りませんし、日本語すらも危ういです。
そんな私ですが、2005年の7月に10日ほどと2007年の9月から10月にかけて2週間ほどドイツ縦断の旅をしてきました。
クラフトワークの『アウトバーン』を聴きながらアウトバーンを200km以上のスピードで走る…なんていう夢も叶いました。
初めての旅の時は新千歳空港と成田空港の間は順調だったのですが、成田空港とフランクフルト空港の間は恐怖の旅でした。
初めて11時間も飛行機に乗り続けたので、揺れる飛行機の中で大好きな映画を観ながらではありましたが、いつ落ちるんじゃないかとビクビクしながらのフライトでした。
周囲からは日本語が完全に消えて、それ以外の言葉が飛び交い……フランクフルトからハンブルクの間の飛行機の中では、隣に座ったアラブな感じの金色のアクセサリーをジャラジャラ付けた御夫婦に、どこの言葉かはわからないのですが、おそらく“結婚してないのか?”とか“何回結婚したんだ?”みたいなことを何度も話かけられていたような気がします。
その時は、ほんの1時間弱という短い時間が永遠のように感じられました。
英語もドイツ語も話せず、日本語も危うい私が、1人でドイツに行けたのには理由があります。
兄夫妻が当時、ハンブルクに住んでいたので、無事にその地まで辿り着ければ何とかなると思ってのことです。
ままならない日本語だけで、世界を旅するほどの勇気を私は持っていません。
私の場合は、どのような場面でも1人で乗り越えられるような強い人間ではないので、必ず誰かに助けてもらっています。
感謝の気持ちを失った時点で、私の人生は終わると理解しています。
行ったことのない地を旅すると、自分の知らない文化や生活に触れることができて、その上で自己覚知ができるので、国内とか国外ということは関係なく旅が好きです。
前置きが長くなりましたが、私はドイツで福祉に興味を持つキッカケを得ました。
最初は2005年7月2日にベルリンのブランデンブルク門で開催された世界8カ国で同時開催されたチャリティーイベントのLive8を生体感し、その1週間後の7月7日にベルリンのオリンピックスタジアムでU2のLiveを体感したことがキッカケでした。
その後、児童施設のボランティアを経てホームヘルパーとガイドヘルパーの資格を取得しました。
それから間もなくU2が来日するというニュースが入り、そのコンサートに行く為には仕事をして金を集めないといけなかったので、慌てて就活して働かせてもらったのが高齢者施設でした。
そのU2の来日は中止になって延期されたのですが…、とりあえず、特に志もなく福祉の仕事を始めたことだけはわかります。
そして、介護の仕事を始めて1年半程経った2007年の9月27日にドイツのアウクスブルクに行った時に、世界最古の民営福祉施設を見学してきました。
あの天才作曲家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトさんのお爺ちゃんも入居したことのある施設です。
フッゲライという名前の施設でした。
アウクスブルクの都市名は、ローマ属州時代のアウグスタ・ヴィンデリコルムに由来していて、紀元前15年にローマ皇帝アウグストゥスによって築かれた城が起源になります。
ドイツで最も古い都市の1つに数えられています。
15世紀から16世紀にかけて、フッガー家やヴェルザー家によって金融都市として繁栄したことで“フッガーシュタット(フッガー都市)”と称されることもあります。
街の中には、モーツァルトさんがよく通っていたというレストランもあります。
アウクスブルクは、お父さんのレオポルト・モーツァルトさんの故郷なので、モーツァルトさんもここで育ったようです。
モーツァルトハウスも現存しています。
その行き付けのお店がバウアータンツというシュヴァーベン料理の専門店です。
シュヴァーベン地方の郷土料理は、ショートパスタのような料理がメインで、ラビオリの中にほうれん草などが入っています。
モーツァルトハウスとフッゲライからの流れで私も夕食してきました。
こういうお勉強中に、グルメとか観光を入れ込むと今の時代は酷く怒られそうですが、私の場合は自腹だから大丈夫です。
バウアータンツには、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテさんも来ていたようです。
私もゲーテさんが歩いたというハイデルベルクにある哲学の道とか行って、識者気取りになっていたことを思い出します。
話が逸れてしまいましたが、フッゲライは1521年から502年もの間、運営され続けていますが、家賃が建設当時から一切変更されていません。
2023年の家賃価格に比べるとかなりの激安価格になっていることから、経済的困窮者の拠り所になっています。
フッゲライは1521年に裕福な銀行家ヤコブ・フッガーさんによって建設されました。
フッガーさんは“貧しいカトリックの信仰者がコミュニティに属しながら無借金で暮らせる住宅”を目指してフッゲライを建設しました。
住民には家賃として当時の1ヶ月分の平均月収に相当する金額を1年に1回支払うことが求められました。
その家賃は502年が経過した2023年の時点でも変動していません。
家賃は1年間で僅か0.88ユーロ(約114円)で、激安価格になっています。
フッゲライに住む為には“経済的に困窮している”、“アウクスブルクに2年以上住んでいる”、“カトリックを信仰している”という3つの条件を満たす必要があります。
フッゲライに居住する人たちをソーシャルワーカーが支援しています。
現在は約160人が暮していて、その他に80人がフッゲライに引っ越す意向を示して順番待ちの状態のようです。
順番待ちの人々が実際にフッゲライで暮し始めるには5~7年待つ状況のようです。
フッゲライで暮す人々は“コミュニティに貢献する”、“庭の警備を行う”、“夜警に参加する”、“門限が22時”といったガイドラインがあります。
そのガイドラインは500年前に定められたもので、居住者はそれを守りながら生活しています。
また、フッゲライは現在もフッガー家によって管理されていて、林業や不動産業で得た収益とフッゲライに訪れる観光客が支払う1人当たり6.5ユーロ(約850円)の入場料などを基に運営されています。
私もその入場料を払ってきました。
現在のフッガー家の主であるアレクサンダー・フッガー・バーベンハウゼン伯爵は“家賃を上げると、フッゲライの中心的な目的が損なわれかねません”と仰り、今後も家賃を上げる可能性がないとのことです。
こうやって異国の地に行くだけでも、大きな刺激を受けて価値観が変わるような体験ができるのですが、私のようにもぐりではありますが、福祉に少しでも絡んでいる人間には、フッゲライの空気を吸えたことはとても大きな経験でした。
これからも、フィンランドやスウェーデンなどの現在も福祉国家として成り立っている北欧の国々は生で体感してみたいな…なんて思います。
私はここ4年ほど、福祉から離れて別世界を見てきましたが、来週からはまた、しばらく実働期に入ろうと思います。
ふくしのおべんきょうは、その合間に時々…ということになります。
“こういう時代だからこの仕事が必要なんだ”と思えれば、モチベーションは自然に上がります。
いつか北欧に行けるようにお金を貯めつつ、人の役に立てるように精進していこうと思います。
写真はフッゲライです。
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