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今日、お母さん辞めます

特段、何かがあった訳では無い。
不登校の3兄妹との日常も、そつなくこなしていた。
ある朝、急に虚しくなってしまった。それは、いつもとなんら変哲のない、日常だった。

日常

朝4時半に目覚ましが鳴る。昨日は22時過ぎても寝れなかったんだ。体が重い。布団の中でまどろんで、起き上がって時計を確認する。5時半。あぁ、起きるまでに1時間過ぎてしまったか。調子、あんまりよくないかもな、なんて考える。

カーテンを開けてお湯を沸かす。今日も一日をはじめなくちゃ、と思う。手帳を開いて予定を確認する。
10時にちぃの病院。15時にぴこの放課後デイの送迎。17時にちぃの習い事の送迎。予定は3つか。

15時にぴこを送ったらその足でちぃの習い事に行かなきゃ。習い事は付き添うから90分拘束される。そうなると帰宅が19時近くなるから、15時前に夕飯を作らなければいけない。14時から夕飯を作り始めるとしたら、13時には買い物に行かなければ。
10時の病院はどれくらい時間がかかるだろう。大きな病院だから1時間は見積もっておこう。帰ったらすぐにお昼ご飯を作らなければ。

そんな事を考えながら、パソコンを開く。6月に簿記の試験を受けようと勉強を始めた。朝やっておかないと、時間に追われて、何もできないまま一日が終わってしまう。そんな日々をずっと過ごしてきた。一念発起したところだった。1時間余り勉強をすると、時計が朝7時を回っている。

洗濯機のスイッチを入れる。これを干すのは昼食後の時間になるか。日中は子どもの学校に付き合うことになるかもしれない。

出欠連絡のアプリを入力しなくちゃとケータイを開く。たこの中学校とぴことちぃの小学校に。出席か欠席か。出席したなら何時に行って何時に帰るのか。不登校の子どもたちは1日学校に居ることができない。3人にどういうつもりか確認して、親として先生にお伝えする責任があった。
誰か一人でも、短時間でも学校に行きたい気持ちがあるのなら、母親同伴で行けるのであれば、付き添って応援したいと思った。
子どもたちに「朝だよ」と声をかけカーテンを開く。

雑多な部屋を片付けて、朝ご飯の用意をするんだ。おにぎりを握ろうか。焼きおにぎりの方が食べてくれるかな。卵は卵焼きと目玉焼きとどっちがいいかな。そんなことを昨夜の茶碗を拭き、食器棚に片付けながら考える。

時計を見る。7時50分。子どもたちも、夫も起きてこない。静寂な時間と雑多な部屋を見た瞬間だった。
「疲れた。」
そうつぶやくと、椅子に座って動けなくなった。


家族を思っていたのに。

自分の中に、空虚な領域が広がっていく。
「どうでもいいや。」という気持ちが全身を倦怠感とともに覆っていく。
”お母さん”も。”妻”も。”真面目”も。”優しい人”も。全部全部辞めたいと思った。

そして空っぽの自分の心に、淀んだ不快感が充満した。イライラする。夫にも。子どもたちにも。何なんだ?もう8時なのに、誰一人起きてこない。

夫は、学校に行かない子どもたちに、毎朝ため息をついた。
「もっと早く起こして、生活リズム整えてあげなくちゃね。」と言う。
言うくせに。自分は起きない。

夫が起きられるわけは無かった。21時近くに帰って来て、10分もリビングで過ごさない。夕飯を短時間でかっこんで、2階に上がってZOOMで会議をしていた。

母が子どもたちと布団に入った後も、会議進行中の声が夫の部屋から響いていた。

休ませてあげたかった。夫には、元気で居てほしいとずっと願ってきた。早く帰ってきてね。寝る時間を一番に確保してね。と言い続けていた。けれど、聞いてはもらえなかった。夫は日に日に疲れが溜まっていた。

少しでも栄養のあるものを食べさせよう、とお味噌汁にお野菜をいっぱい入れた。子どもたちには「この味噌汁ヤダ〜」と文句を言われながら、食べる味噌汁を意識して作っていた。

夫は夕飯時もとても急いでいて、出されたものしか食べなかった。ラップをかけた夕飯は温めて食べても、コンロに置かれたお鍋は意識になかった。私が台所に立たなければ、栄養満点の味噌汁は放置された。

夫を責めることはできない。一生懸命家族のために働いているのだから。そう言い聞かせてきた。妻がしっかりしなければ、安心して働いてもらえない。子どもたちのことは私が責任を全うしよう。と疲れゆく夫を見ながら、母は自分を鼓舞していた。

昨年より不登校の子どもたちは、新年度を迎え動き始めたと思われた。ちぃとぴこは、新しい相談員の先生に心を開き始め、火曜と木曜は相談室で過ごす時間が持てていた。午前中の2時間だったり、給食まで食べられたり、日によってまちまちだったが。それでも、子どもたちが学校に行けたことが嬉しかった。夫もそれを喜んだし、それを見て私も安心した。

たこは相変わらず、中学校を欠席していた。それでも母子の会話は増えた。一時期よりたこの表情は良くなり、ゲームの話を沢山教えてくれるようになった。夫はたこを心配し、進路や学力の話をたこにしていたが、たこは無感動なリアクションをとった。なぜなら、たこはもう理解していて、現実から目を背けているからだ。たこ自身、よく分かってる。

響かないたこに落胆する夫に対して、母は「たこは大丈夫だよ。きっと考えてるよ。」と虚勢を張った。母だってたこを心配しないわけはない。けど、それは私が背負うから良い。夫には余計な心配をかけたくなかった。

家族が元気になれば良い。日々を充実して過ごしてくれたら良い。そうずっとずっと願って応援してきたつもりだった。
それは、『無理をしている』とか、『頑張っている』とかではなくて、『私がそうしたいから』していただけの事だった。

今日、お母さん辞めます。

ずっと願ってきた家族の健康。日々の充実。それが「どうでもいい。」という感情によって風化していく。

感情が無に帰し、座り込んで朝ご飯も作らない私を、やっと起きてきた夫が心配そうに覗く。とても困った顔をして「大丈夫?」と聞いてくる。「大丈夫じゃないよ。」と熱のない声で答えてしまう。

そうしたくないのに。本当は元気に笑顔で「心配しないで」って言いたかった。けれど、夫の困惑顔にイライラが募った。
「もういいよ。仕事行きなよ。」と”出ていけ”という不快感も乗っけて伝えてしまう。イライラが止まらない。

「子どもたち、起きて。ママに負担をかけないで。」と夫が私から離れて子どもを起こす。

虚しい。なんだその茶番は。もういいよ。今更何?

ドス黒い感情が私を覆っていく。このままでは傷つける。夫も。子どもたちも。離れなきゃ。私が凶器になる。

◇ ◇ ◇ ◇
精一杯の正気を保って夫にお願いをした。今日、私を一人にして欲しい。と。子どもの習い事や、いろんな予定あるんだけど、私をフリーにして欲しい。と。

夫は「分かったよ。無理させてごめん。ゆっくりして。」と言ってくれた。私はケータイの電源を落とし、1日過ごした。

デイキャンプ場を予約して、焚き火をした。積読してあった本を持って。
10時から15時くらいまで焚き火をして読書をした。ヒューマンドラマ系の短編小説に涙して、(私まだ、感情あるじゃん。)と少し安心した。

芝生にシートを敷いて寝っ転がってみた。お日さまがぽかぽかだ。水色の空をバックにシイノキが揺れる。ヤマボウシの黄緑色が輝いていて眩しい。これをきっと”気持ちいい”とか”清々しい”って言うんだろうなぁ、と、とても客観的に捉えている自分がいる。

お腹がすいて、何か食べに行くか、と片付けをしていると、デイキャンプの管理棟のおじさんに声をかけられた。
「随分と頑張りましたね。」と。
長い時間、一人で火を見て過ごしていたからだろう。”頑張って”休んでいるように見えたんだと思う。笑える。真面目を辞めたくてここへ来たのに。真面目に頑張らないと休めない。いや、むしろそれはポーズで、実際本当に休めていたのか分からない。現に何も満たされていなかった。

夕方になっても帰りたくはなかった。切っていたケータイも気になっていた。一瞬電源を入れる。小学校、放課後デイからの不在着信、友人たちからラインが数件入っていた。そのラインの中に、「子どもたち、我が家で預かってますよ」というラインもあった。夫と共通の友人だった。

それを見て、心がざわついた。小学校への連絡、放デイ、習い事を欠席する連絡、滞ってしまったのだろうか。友人からのラインは午前に来たものだった。学校に行かなかった子どもたちの昼食はどうなったのだろう。

折り返そうとしたが、やめた。悔しさ?戸惑い?不条理?分からないが折り返して連絡をしたくない!と思った。親は私一人じゃない。夫だって子どもたちの親だ。私が居なくても大丈夫だ。親は、もう一人居るんだから。

ケータイの電源を再び落とし、カフェに行った。コーヒーをゆっくり飲んで、陳列されている本の中から適当に選んで席につく。3時間くらい本を読んだだろうか。時間は20時になっていた。

帰りたくない。
私は、全く満たされていなかった。「なにやってんだろ。」と虚しい気持ちが色濃くなっただけだった。
(私は何がしたいんだろう。仲直りしなくちゃ。家族と話さなくちゃ。)と正論を自分に言い聞かせて帰宅した。

車のエンジンを止めた音に反応して、夫が玄関から出てきた。せわしなく片手で電話をかけながら。
(また仕事か。)と呆れて車のドアを開けると、電話を切った夫が私に言った。
「子どもたちは友人宅でまだお世話になってて。俺も今帰ってきたところで・・・。」

目の前が真っ暗になった。
今帰ってきた?子どもたちはまだ友人宅?今20時半だぞ。私は今朝『限界』を伝えて家を出た。それを知っていて今帰ってきた?子どもたちの身の安全は?子どもたちのご飯は?

怒りが吹き上がった。悲しさと悔しさで前が見えない。
夫の顔も見たくないと思った。一緒にいたら罵ってしまうと思った。私は再びエンジンをかけ、車を走らせた。子どもたちを迎えに行ったのではない。友人のことは信頼している。私は、夫から離れなければいけなかった。全部壊してしまいそうだった。

行くところもなく、広くて暗い病院の駐車場に車を停めた。
子どもたちのご飯、身の安全、か。夫を責められるわけはない。私が居るんだもの。夫は仕事を頑張っているんだもの。私がわがままに、自分勝手に責任を放棄したんだ。ネグレクトって、こうやって起きるんだ、きっと。

夫に当たるのは八つ当たりだ。世間には仕事して家庭に協力できない旦那さんは沢山いる。夫はそれでも思いのある人だ。子どもたちのことも、私のことも精一杯の愛情をもって大事にしてくれている。

分かってる。分かっているのに。辛い。

やるべきことをやるだけだ

ひとしきり泣いて、家に帰った。粛々とこなそう。日々、やるべきことを淡々と。粛々と、こなしていこう。そう心に決めて帰宅した。

感情が凍っていた。
「へーろーさん・・・」「ママ!」
夫や子どもたちに話しかけられても応える気にならなかった。粛々とこなせ!頭が命令する。
「ごめん、今、話す気になれない。」
それだけ答えて、シャワーを浴びると、誰とも目を合わすことなく布団に入った。
深い深い闇にゆっくり堕ちていくように睡眠薬の力を借りて眠った。

次の日も力が入らなかった。私はここで母として、妻として、家族の為に過ごすんだ。無感動だって、別にいい。やりたいことなどないもの。昨日やってみたけど駄目だった。もう手がない。どうでもいい。私が表面上でも機能すれば、誰かに迷惑をかけずに済む。夫にも。友人にも。

粛々と。淡々と。

精神保健福祉士さんと面談があった。子どもの不登校の相談をきっかけに定期的に面談していた。福祉士さんに家族の状況、昨日から今日の自分の心の動きを話す。
「そんなわけで。やります!私が倒れたら、誰かに迷惑をかけてしまう。夫のことも、子どものことも、支えるのは私しかいないのがよく分かりました。甘えてられないな、しっかりしなくちゃって思って・・・。」
話しているうちに喉の奥が締まって声が出なくなった。嗚咽していた。涙が溢れて止まらなくなった。

福祉士さんは言った。
「ヘーローさんのご家族と関わってきて、御夫婦も、親子関係も、とても仲が良く団結力があるな、と感じています。けれど御夫婦が今、お二人共が少し疲れていて、本来の力を出せていないと感じます。ヘーローさん、少し休みませんか?」

どうやって休めばいいのかわからない。困惑した。昨日やってみたけど休めなかったんだ。戸惑う私の反応を受けて福祉士さんは言った。
「ご実家に子どもたちと帰ることは可能ですか?ヘーローさんのお母様にお願いはできそうですか?ご飯や、子どもたちの事、ちょっと頼るべき時だと思います。」

子どもたちの学校、夫のご飯、自分の仕事、人間関係、いろんなことが逡巡した。
福祉士さんは
「大丈夫です。何も失くなったりはしません。実家で過ごしている間も、みんなここに残ります。今はヘーローさんがしっかり休んで、本来のヘーローさんを取り戻しましょう。」

背中を押してもらった。

泣きながら実家に電話をすると、
「おお!いいよ。来いや!わかったー」と明るいお母さんの声で二つ返事が返ってきた。

実家に帰らせていただきます

そんなわけで、今実家に帰ってきてみた。
子どもたちも3人全員、連れて来るつもりだった。

しかし、意外なことにたこは、夫と残る選択をした。
私は娘二人とともに、田舎に帰省した。

田舎に帰ると、美味しいご飯と、娘たちをじいちゃんとばあちゃん(実父・実母)に見てもらっている安心感で、だいぶと肩の荷が降りた。

こんなに情緒不安定では人に会えないし、たぶんばあちゃん(実母)に生活の負担をかけてしまうと心配したが、ばあちゃんと一緒に(手伝いではあるが)、家事もできた。情緒も安定している。

少しずつ回復できそうな予感がしている。

夫とたこには毎晩ラインビデオで通話をしているが、たこに元気がないことが気がかりだ。たこが夫と残った真意は分からない。パパを心配していたのか。友だちと過ごす日常が大切だったのか。一人でゲームを存分にやりたかったのかもしれない。

母としては混乱したが、たこと夫の二人暮らしが、二人にいい影響を与えることを期待して、たこの意思を尊重した。

家族が、それぞれの場所で。家族再生に向けて、前向きに進んでいけたらいいな、と思う。

自分への教訓

  • ”どうしてこうなったか”は、決して「誰かが悪い」というものではない。精一杯生きていても、追いつかないこともある。

  • みんながみんなを大切に思っていても、歯車がズレてしまう時には、思い切って休んで自分に余白を作ることが必要だ。

  • 私の家族は絶対また、笑顔で集結出来る。今は安心して、”お母さん”と”妻”を休んでしまおう。

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