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言わなくていいこと言わないって大事

心が安定している、とか、安心できてる、とかそういう状態って、『大好きな人に囲まれている時』じゃない。『周りに誰も嫌いな人が居ない状態の時』だよ。と、いつかみたYouTubeで言ってたな。

私は最近、とても心が堕ちているのを感じる。
嫌いな人が生まれかけているのも感じている。でも、諦められないでいる。嫌い!さいなら!と言えたらどんなに楽だろうと思う。

でも心が抵抗する。話せば分かってもらえるはずだ。こちらが軟化すれば、相手もほぐれるはずだ。大丈夫、きっと関係は修復できる。そう信じたくなってしまう。

ぴこの放課後デイサービス

ぴこは、昨年、人間関係のトラウマで不登校になっていた。
ギャングエイジと言われる同級生たちのブラックユーモアを受け流すことができず、しっかり受け止めて飲み込んでしまい、消化不良を起こしていた。

そんななか、学校や学童での人間関係に不信感いっぱいのぴこを救ってくれたのが放課後デイサービスだった。スタッフをほぼマンツーで配置してくれ、大人のサポートのもと、同世代の子どもたちとの関係性のリハビリを支援してくれた。

ぴこは、行きつ戻りつしながら、少しづつではあるが、再び人間を信じてみようかな、という気持ちになっていた。ありがたいことだった。

ぴこは昨年、3年生でありながら、不登校であった為に、同じ放デイに通う1年生と同じカリキュラムで通所することを放デイにお願いされていた。学校に放デイから迎えに行くのに、下校時間を合わせたほうが都合が良かったのだ。

しかしぴこは学校の昇降口に立つことにも恐怖心が満載で、放デイの迎えの車には乗車できず、母が放デイまで送り届けていた。

それでもぴこは、母が送れば放デイに行けた。
1年生に利用時間を合わせたことで平均して14時には放デイに行き、3時間利用して17時に帰宅した。母としては、不登校のぴこが、3時間でも社会と関われたことが嬉しかったし、励みになった。

◇ ◇ ◇ ◇

ぴこが4年生になり、昨年通っていた同じ小学校の1年生(現2年生)の二人が放デイを辞めた。放デイとしては、ぴこの通う小学校の利用者は、ぴこのみ、となった。ぴこのためだけに往復40分送迎することになったのだ。

たぶんそういったことが背景となり、放デイの運営者から母に打診があった。
「ぴこさんの利用は、15時に統一して頂けませんか?」と。
4年生の時間割を確認すると、ぴこが学校に行った場合、下校は15時半だった。

母は疑問に思い、登校した場合の下校時間を放デイの運営に告げると、
「学校に登校しても、しなくても、15時でお願いします。」とさらに混乱することを言われた。

どういうことだ?としばらく考え、運営資料を確認する。『学校休業日と給食がない日には自宅へ送迎する』と書いてあった。
なるほど、学校昇降口への迎えから、自宅への送迎に切り替えるということか、と合点した。ぴこは学校を休むことのほうがレギュラーなので、15時に迎えが自宅に来るなら大変ありがたいと思った。

自宅へ15時にお迎えという認識で合っているか、と運営者に確認すると、
「やっぱりやめます。イレギュラーはナシです。下校時刻に学校昇降口に迎えに行きます。お母様が送るの場合は下校時間プラス15分後に放デイに到着するように送り届けてください。」と言われた。

混乱した。不登校であっても、下校時間プラス15分で?!しかも送り届けるのは母ということか。学校に行っていない状態で15時45分まで待ち、1時間15分ぴこが放デイで過ごすために、母が往復40分…。ガソリン代もかけて。タイムパフォーマンスが悪すぎる…。

母が送り届けるのであれば、昨年の条件同様、新一年生の下校時間に合わせられないだろうか、と交渉した。1時間でも30分でも利用時間が増えれば、送る労力も報われる。しかし、答えはNOだった。

不信感の募り

ラインのやり取りではあったが、結構な労力を使った。混乱させられたおまけに、振り回されたと感じた。結局、条件は改悪され、一歩の譲歩もなく押し付けられた感覚だった。

ふー。と深く息をつき、ふと気がついた。この条件設定の交渉をした今日が、『日曜日』だという事実に気がついたのだ。放デイは休業日だった。

母は、その事実に気がついて、ラインのやり取りに対して
「勤務時間外に失礼しました。ご対応ありがとうございます。」と返信した。

次の週、ぴこが学校に登校した。短縮時程だったので放課後まで母同伴で過ごせることになり、放デイが小学校の昇降口に迎えに来た。昇降口に運営者が立っていたので、先日のラインのやりとりについて、今一度陳謝しようと考えて、挨拶に向かった。

「日曜日は、ラインありがとうございました。お休みのところ、失礼いたしました。」

すると返ってきた答えは、
「はい。日曜日はやめてください。」だった。

フリーズした。
「いえ、こちらこそ。」とか、「とんでもないです。」とか、さらりと社交辞令を交わして済むものだと思いこんでいた。

「その陳謝、お返しします。僕の不満も上乗せして。」というまさかの返品作業が行われた。
陳謝と社交辞令の交換で私の罪悪感は相殺される予定だったが、全くそんなことは無かった。

心にモヤっときな臭いものが湧き上がったが、ま、そりゃそうか。とその場は一礼してぴこを託した。

◇ ◇ ◇ ◇
その後、幾日かがせわしなく過ぎ、5月の利用日の提出を母が失念してしまっていた。運営者からラインが来ていた。気がついたのが夜遅かったため、次の日に返信しようと考え、翌日のAM9時を過ぎたあたりで、謝罪とともに5月の利用希望を伝えた。

すると返ってきた答えが
「日曜日のラインはご遠慮ください。」だった。

様子がおかしい。確かに土曜日にラインをもらっていたので、返信は日曜にはなってしまっていた。
私は心のシャッターに手をかけ始めていた。「ちきしょう!もうやめちまえ!閉店だ!閉店!!」と。知るかボケ!という気持ちになっていた。

利用希望日の提出が遅れたら、スタッフ配置などが滞り、余計な負担をかけてしまうことが想像できたのでラインを返信したのだが、事務より休日を優先したかったようだ。

それなら、そうしてくれて良い。既読スルーで良い。むしろ日曜日ブロックしてくれて良い。そもそもラインという形態を取らず、営業時間内の電話を主力やり取りにすりゃぁ良いだろう。

「日曜日のラインはご遠慮ください。」の一言、いる?わざわざ相手をザワつかせる一言、いる?これは、何だ??悪いのは期限を守らなかった私ではあるが。ダメ出しをゴリ押しされたこの感覚は…私がおかしいのか?

そんな時、放課後デイサービスのコーディネーターさん(外部の第三者)とお話するタイミングがあり、母は抱えている違和感をお伝えした。

なんだか、ちょっと噛み合わなくて。やりとりをすると、モヤついてしまいます。と相談すると、コーディネーターさんが言った。

「そうですか…。そのお気持ちは、お母様だけが抱えているものではございません。以前も、運営者は利用者トラブルで裁判になったこともあるんです。発達系、というか…。運営者の考えを変えようとするのは、ちょっと無駄骨ですね。」

一意見として受け取ることにした。他者のフィルターを通して人を見ない!と私自身は心がけている。過去に何か抱えるものがあるのは、多かれ少なかれ誰にでも言えることだ。そして、私は私の感覚でその人を判断したいと思っている。

「曇りなき眼で見定め、決める!!」

万策尽きた感じ

そしてまた、日々を過ごしていたある日。

ぴこが登校すると、放デイを利用する今日が、短縮4時間であることが判明した。ぴこは、下校まで学校に居られるよ、と言った。

当日の放デイのお迎えは無理だろうとは思ったが、ワンチャンあるかもしれないと考え、連絡をした。
「下校時間にお迎え対応は可能ですか?」と。

もちろん答えはNOだった。そりゃそうだよな、と思う。スタッフ配置や運営上の都合があって当然だ。

受けたラインには追記の情報も記載されていた。
「※お母様より3月21日に頂いた、利用予定表には、3時30下校と記載があり、その後変更連絡は受けておりません。」

そりょそうだよ。母だって、今日学校で知ったんだから。
私はこの追記を受けて、
(放デイ側に、非は一切ございません。お母様の責任です。)という裏のメッセージも読み取ってしまう。
だから、その追記の一言いるのか?って。わかっとるがな。モヤつかせてくれるなよ。と思う。

ここでコーディネーターさんの「発達系、というか…。」という言葉が脳裏をよぎる。そうか。運営者は”暗黙知”が苦手なのかもしれない。きっと悪気はないはずだから、私の受ける印象を言葉にして伝えよう、と考えた。

私事で恐縮ですが、と前置きし、以下の内容を伝えた。
新学期の子どもに追われる日々で、母のメンタルに余裕がないこと。追記の情報から、自分の非を責められているように感じてしまうこと。お忙しい時間手間を取らせたくはないので、簡潔な返信を希望すること。

をラインで伝えた。返ってきた答えは
「①責めていません。②お迎え不可の理由を明記しました。お母さんのメンタルに差し障るので結論を記載します。私も大変忙しいため、簡潔に文章を作成いたします。」

・・・カッッッッッチーーーーン。瞳孔が開いて敵意が湧き上がって止まらない。
そゆとこーーー!そうゆうところがメンタルに来るって言ってるんですーーー!!

言っても伝わらないパターンのやつだ。
責めてないことも、理由の明記も、忙しいのも分かってるっつってんの。わざわざ言わんで良いよ、っつってんの!!
そう書かれることで、(お母様にはお察し頂けないようなので、お伝えします。)と逆エッジをかけられた気分だ。そして、相手の大変忙しい発言は(あなたのように自分は暇ではない。)と言われている不快感も感じてしまう。

これは良くない。私自身、今とても過敏になっているときなのだろう。これ以上関わったら、傷を深堀りすることになりそうだ。撤退だ!!そう思った。

『発達障害は人間の色彩で、良いも悪いもない。』と私は考えていきたい。しかし、相手の赤と、自分の緑がガチンコして、ドス黒いものが生まれることもある。にんげんだもの。合う・合わないは当然ある。

歩み寄れないことも、まぁあるか。諦めも肝心だ。

ぴこの暗黒期に、ご尽力頂いて、救ってもらった記憶がある。母の相談にも、時間を作って乗ってくださった記憶がある。めっちゃムカつくけど、良い人なんだと思う。と頭では考えていたい。

しかし、心が拒絶反応を示している。今は自分のメンタルを優先して撤退だ。それも風通しの良い人間関係に必要な隙間だと考えて、積極的に撤退しよう。

めっちゃムカつくけど。

自分への教訓

  • 自分のメンタルに余裕がないと、些細なこと、許せなくなることあるよね。

  • にんげんだもの、合わない人もいる。今は距離を置くときなのかもしれない。




学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。