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受け継がれ、継ぎ足されていく愛

 夫が他界して3か月。
冷蔵庫に彼の作った焼き肉のたれがあったので、野菜炒めや中華スープに使わせてもらいました。
…ニンニクとショウガのいい香り。
このたれを入れると、素材がぐっと引き立って味が決まるので、
とても重宝していました。
これを作ってくれたのは、12月かな… 
その前に作ってくれたたれがとても美味しかったので、もう一度作って欲しいとねだって作ってもらった、第2弾のたれです。

 夫のガンが分かってから、私たちは治療や医療機関を探し、
紹介されたクリニックの先生から食餌療法の内容も見ていただき、
彼の身体にあった食事も模索しました。
小麦がどうやら合わないようだったので、お米に切り替えていたところ、
パン好きの夫は、米粉パンにチャレンジし始め、
最終的に、水に浸した玄米や白米をミキサーにかけ、それで食パンを焼くところまで行きつきました。
とても美味しいパンで、私たちはみんな彼の恩恵にあやかりました。
他にも蕎麦を打ったり、デザートを作ってくれたり。
夫の食いしん坊は、彼を助け、私たち家族も喜ばせてくれました。
打ちたてのお蕎麦は本当に美味しくて、蕎麦が苦手だった息子も、催促するほどでした。
病気が治ったら、仕事を辞めて、私たちリトリートでもすることになっちゃうんじゃないの?と半分本気で笑いあったりしてました。

 今、私の手元には、彼の書いたレシピノートが残っています。
最初の手術から1年経過し、痛みが出始め、彼が葛藤の中で、鬱々としていた10月。
料理が楽しいなら、レシピノートを作って、改良したのも書き込んでいくといいよと妹から聞き、
彼が書き始めたノートです。
キッチンのテーブルで、コツコツと書いていた姿を見て、
彼が喜びを見出せますように、
楽しくて美味しい毎日が続きますようにと祈っていたけれど、
結果的に、このノートは、彼から私たちへの贈り物として遺されたように感じています。

 彼からは
遺言も、手紙も、メッセージも、サプライズも遺されておらず(笑)
いつもの夫として、いつも通りに、This is all. 通常運転、という感じで
日常の中で身体を卒業してしまった夫だけれど、
私たち、
これまで通りに、
彼と居て、彼と過ごし、彼と話しながら暮らしています。
親友が家に来てくれたとき、
「〇〇(夫)くん、全然死んでないんやね、ここにおるんやね」
と、家や私たちの顔や、私たちの暮らしを見て言っていたけれど、
幻想を見ているわけでもなく、記憶にすがっているわけでもなく、
本当に彼と一緒に生きている、という感じがぴったりくるのです。
私が、心強いのは、
それが自分の妄想ではなくて、
家族みんなで体験させてもらっている、という事実だなあと思ったりします。一人だったら、私、悲しくておかしくなっちゃってるのかなと不安に思っていたやもしれぬ(笑)。
彼とつながる暮らしが、一時的に薄らいでいくことがあっても、
家族の誰かがつながっていてくれていて、そのリンクを再入手して、復活しちゃうのが不思議です。どういう仕組みなんだろう。でも、そうなのです。
だから、いつでも、つながっておきたい。
誰かが、彼とのつながりを思い出したくなったら、そのリンクを分かち合えるように。
私がつながりを見失ったときはよろしくねと言えるように。
なんだか、体感として、彼を知っている人は、他人に思えなくなってきました。
【家族】とは、夫と共につながっている人全員のこと、くらいの広い感覚になったりするので、彼のしでかしてくれた魔法に、つい笑ってしまいます。


 私たちは、彼と生きていて、
焼き肉のたれがなくなったら、作り手は変われど
レシピノートを使って、再現されます。
改良されたり、更新されたりするかもしれません。
たれが冷蔵庫から一時的に切れることがあっても、
受け継がれる愛は物質ではないので、物質の有無とは無関係に脈々と引き継がれ、
必要に応じてまた形作られていくのだと思います。

 レシピノートは夫の遺品ではあるけれど、
ノートそのものはただの文字の羅列。
私たちが彼の本当の思いを受け取るには、ノートを使って、実際に作ってみるプロセス、食べるプロセスが欠かせない気がします。
彼と一緒に、彼がかつて喜んで作った料理を作る。
そのたれは、過去のものではなく、古くない、今ここにある新鮮なものなのです。それはずっと、これからずっと、続いていくのです。

 ここにいる彼は、決して死んだり、いなくなったりしない、完全無欠性を私たちに見せてくれるスーパービーイングです。
焼き肉のたれ同様、私たちは古い過去を見ているわけではなくて、更新された今の彼と出会っていく。
私たちの中の光の入り口に立って、案内役を買って出てくれる彼は、生前よりさらに生き生きとして、まぶしいくらい。

 完成したたれは、また私たちの炒め物に入り、スープの隠し味になり、肉料理にかけられたりして、私たちの口に入っていきます。
私たちの口から入るのは、愛そのもの。
私たちは、愛によって生かされていくのです。


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