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寂しさと隣り合わせの四半世紀~中高生~

ふつうの家族ってなんだろう。
人生の節々で、そんなことを考えていた。

高校生の頃、同い年の友人(と呼べるのかも微妙だが)が一人亡くなった。
自殺だった。

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彼女とは『School of Lock』というラジオ番組が運営する掲示板サイトで出会った。「未来の鍵を握るラジオの中の学校」として、お笑い芸人が校長、副校長に扮してリスナーに電話をつないだり、様々なアーティストをゲストとして迎え、トークを交えながら他愛もない会話を繰り広げたりする番組だ。

当時実家には私の部屋はなかったため、夕飯後のリビングで宿題を片付けながらウォークマンのイヤホンを片耳につっこんでいた。

東日本大震災から3年経った中学三年生の終わり頃、私は初めて彼女の声を聞いた。
地震が起きた時、ちょうど小学校で卒業式の練習をしていたこと、妹は授業が早く終わって家に1人でいたこと、校庭で母と妹が迎えに来てくれるのを待っていたこと、待っても待っても会えなかったこと、とても寒かったこと。

そして今、学校に通えていないこと。

苦しかった。とても、とても苦しかった。
色んな感情が入り乱れた。

当時から両親と同じ空間にいることが辛かった私は、部活後に意味もなく寄り道をして、家にいる時間をあまり作らないようにしていた。

学校でもめちゃくちゃハッピーに楽しかった訳ではない。特に中学三年生のクラスは特段悪かったと記憶している。都内私立中高一貫の女子校のため、みんなそこそこのお家柄で、そこそこ賢くて強か。くだらないいじめはないものの、目に見えないカーストや常に空気を読まなければ爪弾きにされてしまう怖さと緊張感が漂っていた。

きっと彼女は両親に愛されて、その愛情を素直に受け止めてきたんだろうな。

震災で母と妹を喪い、父と二人暮しの彼女。
大きな愛情を素直に受け止めてきた彼女。
私には無いものを持っていて、私にはあるものを持っていなかった。

涙が溢れて止まらなくて、掲示板を通して彼女にメッセージを送った。
何を書いたかは、忘れた。

高校一年生の冬、久しぶりに開いた掲示板の通知が赤く光っていた。
彼女の父からだった。娘の遺品整理をしていたら、この掲示板にたどり着いたとのこと。

悔しくて悔しくてたまらなかった。
私は結局、何者にもなれなくて、何の役にも立てなかった。
ただ、とても美しい家族の形を見せてもらった気がする。


今でも会ったことのない彼女を思い出すことがある。

赤の他人なのに、切っても切り離せなくて、ごめん、と思う。
同時に、あなたの家族への愛情を見せてくれて、ありがとう、と思う。

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