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とりあえず隠してやり過ごすしかないかなと思い、今もそうしているけど、その中で楽しめるようにね

私はここ2年くらい、円形脱毛症になっていて、あまり治っていない

円形脱毛症とは読んで字のごとく、円形脱毛症だ。とてもわかりやすい。

タイトルからどんな本だろうか?と想像させるような余白を一ミリも与えないくらいのクリアな名前の症状である。

私たちの脳みそ君は、何かに気を取られていると、本来そこに注ぎたいエネルギーを注ぐことが難しくなる。

で、自分は円形が複数で、絶妙な場所、サイズであるので「今、隠せていないんじゃないか?」みたいな不安感に苛まれることがわりとあって、それのせいでエネルギーのかなりが吸い取られているんじゃ、というのが結構悔しい笑

街中で強風が吹いた時の恐ろしさは、前髪が命のJKまでとはおこがましくて言えないけど、脳みそはその瞬間に緊急速報を鳴らし、瞬く間にフードを被せて、姿勢を丸めます。

本来はスタスタと歩き続けることにエネルギーを注いでるはずなのに、髪の毛に気を取られていることでそちらのアウトプットがままならない。

脳みそからすると、「ハゲてるのがバレるのは死」だと認識しているんでしょう。

実際、赤の他人にみられたところで自分の人生に影響やその人の人生にネガティブな事象が起こることはないとわかっていながらも、日の丸を背負って生まれてきた以上、「恥」に対するメーターがまあ敏感なこと。(これは、自己啓発で治る?笑)

そんな自分のQOLを爆上げしてくれているのは、帽子。
(今はパタゴニアのジェットキャップを主に愛用中、かぶりすぎて色褪せが・・・)

帽子をこの世に作ったのは一体誰なのでしょう、本当に感謝しかありません・・・
(グーグルに聞いてみたところ、古代ギリシャ時代の旅人が日除け用につかっていたらしい)

帽子をかぶっているときは、日常のパフォーマンスの何もかもが変わり、ジムでのトレーニングを何も気にせずできて、自転車も普通に乗れる、街中も普通に歩ける、人と話す時もカフェにいても、自分の髪の毛があるかないかなんてどうでもいい。

そろそろ、ヘッドバンドや他の形の帽子も手を出してみたいな、と思ったりして、帽子をかぶれる状況なら、なるべく楽しみたいと思えるようになってきた。良い傾向。

もっとも厄介なのが仕事中。

トレーナーという職業柄、帽子はまず被れないし、1対1でかつ、どちらかというと「健康的」でいなければいけない立場で、絶対にバレるわけにはいかないというプレッシャーがかかるのがきつい。

クライアントさんのことだけを考えられたら良いはずなのに、自分の見られ方がどうしても介在してしまうということは、パフォーマンスを出しきれていないと思っちゃう。

帽子をかぶって仕事ができたら、パフォーマンス上がるのにな、と思う笑ヘッドバンドくらいなら失礼じゃないかな?

とまあ、仮に読んでいただいている方がいましたら、「何を読まされているんだ?」という気にさせてしまいそうな文章ですみません笑

何の本に書いてあったか忘れてしまい、引用ができませんが「トラウマの事象そのものよりも、トラウマを誰にも話せないことの方が辛い」といったニュアンスのことが書かれていた記憶があります。

私は、トラウマとか言っていいほど(そこにレベルがあるかどうかはわかりませんが)というものではありませんが、それこそ彼女や親に知ってもらった時に一番楽になったな〜って。

些細なことでも、気にしてしまう何かがあるなら、それを隠してやり過ごせる何かを使ったり、信頼のおける人に話してスッキリして、なるべく楽しい時間を増やせるようにしたいものです。

それができない場合もあると思うけど。。。

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