#3 散文詩 逃亡 

前書き

 この作品を公開するにあたって、解説めいたものを何も加えずにただポンと放り投げて慧眼なる読者諸氏に解釈を委ねるか否か悩んだ。
 詩とは一見、作者による自己韜晦が最も許容される文学のようにも思われる。しかし実のところは、許されているのは読む人を煙に巻くことではなく、表現したいことを敢えて噛み砕かぬまま記すことである。換言すれば、詩に書かれたことの意図するところには、作者の意識が隅々まで巡らされていなければならない。(作者自身をも煙に巻く、何となくの雰囲気のために作られた詩に如何なる価値があるというのか)
 しかして現状を鑑みるに、投稿数も少なく素性も分からぬ作者が書いた詩に対して上記のような疑念が投じられるだろうことは至極当然である。したがって私は、予測される批判的視線に対して向き合い、また作品への深い理解を得んがため、末尾に簡単な補足を付すことにした。勿論、蛇足だと感じられる方は読み飛ばしていただいて構わない。

逃亡

 宛てもなく田舎ゆきの電車に飛び乗り、一ト眠りのちようやく起きた所。覚めた午睡の気怠さに身震い、ため息。ふと、薄汚れた硝子がらす越しに見えた変哲のない住宅街がにわかに憎い。俺がでっかい刀を持っていたら家ごと両断してやるのに残念だ、とても残念だ。無辜むこの住民(おそらくそれは柔和な老婆か、或は痩せぎすの中年サラリーマンだろう)が内臓をぶちまけて動かなくなる姿はきっと何よりナンセンスだ。生に意味がないように、殺戮さつりくにも意味はないのだ。だから良いのだ。可笑しさと虚しさの交流電流が頭を痺れさせる。麻婆豆腐が食いたい。あなたは犯罪者です、ブロック塀に張られた笑顔が断罪する。うるせえ、だったら憲法を改正してみやがれ。それができぬならお前はそれまでの男、そして俺はこれまでの男。進行方向に力を感じた、畜生こんなところで停まりやがって、ああ畜生。くそったれ、やけっぱちのもう一ト眠りのため瞑目。
 一向に眠れぬ時間はいらいら。五分もたたぬうちに川沿い。川、ああ良い群青色、ほとばしる水、水、水。有機物を抱えて海までひた走れ。魚、羽虫、永遠のプラスチックごみ。川を通り過ぎる、トンネル、これまた空虚。涓滴けんてきは石を穿つというが、ご都合主義は山をも穿つか。さればその穴をくぐる俺はもはや隷属者。良いとも笑わば笑え。いやいや。知らん。知らんよ。トンネルを抜けた、あ、また住宅だ、今度は爆破してやろうか。爆散する屍体は却ってグロテスクなものだよ。やはり暴力はよくない。そうかもしれない。腸ならぬ蝶が飛んでいる。未来へ、はばたけ。ふらふら。我ここに酩酊せり、見よかし。先刻から太陽が鬱陶しい。ああ太陽、すべての幻惑の根源よ、我が命を迷妄と断ずるにはこの野暮ったい車窓は厚すぎるか。この心には届かぬというのか。ああそんな輝かしい目で見つめないでおくれよ。頼むから。
 終点は案外近く、乗り継ぐも煩わしく改札を抜けて駅より出る。距離的の逃避はこれにて。さて美しいものが見つかるか否か、田舎。またすぐ川。あれ、何だか浅くて汚い。やんぬるかな。ここまで拒むこたないだろうに、畜生、畜生。この舗装を御覧ぜよ、しまいに無機物まで腐ってやがる。大根を抜く、すすぐ、放る。帰ろうかな、帰るまいかな、決めたどこまでも行こう。やけに快活に足は動く、まだ先に美しいものがあるやもと動く、まあ街より幾分か楽だよ。そうか。泡だらけの生活排水もか。うわ、道がぬるぬるしてやがる。魚は見当たらない。さぎのみ点々と。川より離れる。人に挨拶をする。刹那の逡巡、返答。……美しいだろうか。
魚屋、鮎や山女魚は居らず萎れたたいまぐろぶりの切り身。ギョッとして後にする。俺ァ冷やかしの積りでは無かったんだが、済まない。うう暑い、暑い、冷えた明かりに吸い寄せられて一服、また惨め。山のこなたに幸い無しと見つけたり、いざ帰るべし。帰りたくなくとも帰るべし。尿意のための迂路、いつしか夕の予感は芬馥ふんぷく、これもまた陳腐な郷愁に尽く。歩き疲れたでくのぼう、楽になれよ。駅、帰路。乗り込み座して発車を待つ。部活帰りらしき中高生の群れ。こちらへ来るな。
 列車が動き出す。水を飲む。疲れている。音楽を耳に当てると、これまでの失望が折り返したかのごとく、鈍色だった山肌が暖色に色づくような心持。瞼を閉じると音の世界はいっそうしみじみと広がりを見せる。勿体ぶるのには理由があるのだろうか。ある友人が音楽を聴くとき必ず目を閉じると言っていた、彼は余程解っているらしい。
(原初的心象風景は確かにこの散文的創作回顧録に暗示されている)
狂躁的で佯狂ようきょう的な逃避行はやがおわる。もうじき降りるべき駅に着く、それまでの暫時ざんじを仄かに愛おしく思った。

後書き(補足など)

 前書きの通り、ここでは些少の補足を加える。読者の自由な解釈を妨げぬよう、内容に直接関係する説明は最小限に留める積りである。
 まず、この作品は作者の実際の行動と、その際の実際の心境に基づいて作られたもので、冒頭からいきなり見られる雑駁ざつばくさはそれゆえのものである。人間関係による傷心に突き動かされた作者は、しかし、作品を作る為にこの逃避行を行ったわけではない。居たたまれない気持ちが少しでもマシになることを期待して彷徨したわけだが、結局帰りの電車に乗り込んで音楽を聴くときまでちっとも心安からぬ行程であった。作品にしようとおもったのはその暫く後、確か二、三か月前だったように思う。その時にも詩を書くという意識はなく、ただしっくりくる文体で言語化したら散文詩とでも呼べるようなものになったというだけのことである。
 次に、作風について。小説、特に全くの作り話には念入りな構想が必要である。しかし、この作品では構想を練るという一種の作為を行わないことにより、自然なテンポが生まれたのではないかという気がする。この自然ら体を小説にも活かせたら、と思う。
 最後に、これはもはや説明でも何でもないただの反省であるが、最終段の心境の変化についてはやはり描写が不足している感が否めない。しかし、それを整えようと試みて拙劣に説明的になるよりは、体感時間の密度を一定に保った方がありのままの心境変化を表現できると考え、改稿を断念したのである。この時間経過の自然さという問題は、詩作、延いては創作全般における今後の課題とも言えよう。
 

他作品紹介

↓初投稿挨拶

↓3000字程度の超短編小説。ちょっと変わったタイムトラベラーの話。

 ↓10000字程度の短編小説。思春期の少年の独白体による切ない?物語。



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