見出し画像

[私の人生②]私の人生が180度変わった出会い

*はじめに。

前回までは、自分が外国文化に興味がある理由、大学2年生までの自分の考えをを綴らせていただきました。今回は、大学3年生になる私が松木太、石原総一郎という2人と奇跡的な出会いを迎え、地域にどっぷり浸かる前までのお話を書かせていただきます。

これから、みなさんに読んでいただく文章は私が大学4年生の頃に書いた文章です。以前からこの文章を投稿したかったのですが、私の中ではとても大事な出来事だったので、なかなか投稿ができませんでした。眠らせること2年。これ以上眠らせると、記憶が薄れてしまう!と思い、投稿することを決めました。

長文にはなりますが、もしよければ私の人生をチラリと覗いてみてください。

*過去の記事


*太とそーちゃんとの出会い

(2019年4月9日、記)
4月になり、新年度が始まった。4月の初めは大好きな人たちと将来暮らす地で迎えることができた(大分から戻って、千葉で書いています)。振り返ると昨年度、大学3年生は私にとってかなり濃い一年だった。私の人生を変えた一年。忘れたくないので、今回ここに記録する。

大学2年生の12月からことは始まった。サークルやバイトに追われる日々を過ごしていたある日、1,2年生対象の企業セミナーがあった。早め早めの就活が良いと聞いていた私はとりあえず行ってみようと思っていた。ただ、実はその日サークルの打ち上げと重なっており、企業セミナーにいくか、打ち上げに行くか迷っていた。私は「将来のために!」と思い、企業セミナーの方への参加を決めた。この選択が自分の人生を変えるとは知りもしなかった。

企業セミナーに行った時、たまたま同い年の友達ができた。彼は「インターンを紹介する会社で働いている」と言う。彼が紹介するのは長期のインターンで、有償。社会経験もできるなどと、インターンの魅力を彼から聞いた。それにつられ、私もせっかくだから、と長期インターンへの参加を決めた。彼に面談してもらい、企業探しが始まった。その時の私はなんとなく地域づくりに興味を持っていた。(当時は「地域づくり」という言葉も知らなく、「過疎地域を、困っている人を助けたい」とぼんやりした考えを持っていた。)そこで、地域に関係するものといえば「農業」だと考え、株式会社アグリメディアで働くことを決めた。エントリーシートや面接も無事通過し、大学2年2月からインターンが始まった。

さあ、始まってみたものの大変な日々が始まった。私が所属されたのは収穫体験付きバーベキューを運営している部署であった。業務内容は営業の電話、予約・問い合わせ対応、現場での接客、ECサイトの管理など。初めて経験するものばかりで、しかも大きな研修もなく、ぶっつけ本番。なかなか大変だった。でも社員さんやインターン生の方に助けていただきながらなんとか成し遂げられた*。ただそれ以外にも自分の中で大変なことが他にもあった。

(*本当に優しい方が多かった。忙しい中、私からの質問攻めでも、優しく一つ一つ丁寧に答えてくださったり、相談にも乗っいただいたり。この経験・出会いに感謝です。ありがとうございます!)

週3回の勤務。毎回ラッシュの時間に通勤、退勤。しかも勤務地が新宿だということで人の量がとにかく多かった。仕事も、本社の時は一日中パソコンの前に座っての作業。当時の私は「働く」にはそれが当たり前だと思っていた。

ある日、仕事から帰ろうとしたら、新しく入ったインターン生とばったり出会った。彼の名前は立石さん。東京農業大学に通う、4年生。(私の一つ上)話を聞いていくと、なんと、全く同じ地元。衝撃だった。まさかあんなにたくさんの人がいる新宿の、一つの会社の中の、同じインターン生で、地元が同じだとは。その帰りは一緒に帰った。そしてそこからある話が出てきた。彼は神奈川県の小田原にて地域活動を行っていると言う。その報告会兼ミーティングが今度行われるから、よかったら来ないかとお誘いをいただいた。そこには起業した人や大学の先生、屋久島移住から帰ってきた二人、など面白い人が集まるという。私はその話に興味を持ち参加を決意した。

当日、慶応大学のキャンパスにてその報告会が行われた。そこで初めて会ったのが松木太と石原聡一郎。20人くらいが集まり、円になって座っていたのだが、太は私の席から斜め前、そーちゃんは私と同じ列に座っていた。その時の二人印象は、まず太は最後に私に挨拶に来てくれた礼儀正しい人、そーちゃんはミーティング中、私に質問してきた人、と言う印象だった。まさかこの二人と一緒に暮らすことになるとは想像もしていなかった。

その日の報告会が終わり、別日に再び立石さんと会う約束をしていた。そしたらなんとその日、私と会う前に立石さんは太とそーちゃんの3人で別件があり、そこに私が後から合流するという流れになていた。そこで再び太とそーちゃんの二人にも再開し、4人でカフェに行き、いろいろ話した。すると、立石さんがまた別件があるからと、私たちをおいて次の目的地へ行かれた。残された3人。せっかくだからということで、サイゼで夕飯を一緒にした。今思えば、この時が初めての3人でのミーティング(?)になった。

サイゼに移動し、私は二人から屋久島生活のこと、耶馬溪のことをたくさん聞いた。そして将来やりたいことも。太は自分で作ったHPを見せてくれながら将来の夢を語ってくれて、そーちゃんはそれを隣で見ながらうなづいていたり、発言したり。二人の考えに心から共感した。「百姓になりたい」と言った太の発言、里山で暮らすこと、地域と関わること、「暮らし」に着目する事 、これから農家さんを巡る旅をすること。短い時間だけど、このサイゼご飯の間に多くの発見、刺激があった。それまでの私はなんとなく地域づくりに興味を持っていたものの、どうやって地域に入ればいいかわからなかった。地域のことを調べる方法もわからず、インターンはしていたものの、関東圏メインでサービス業務がメイン。地域に関わりいという理想だけで、何も行動にできていなかった。それまで私が抱えていたモヤモヤがこの二人に出会ったことで一気に払拭された。

こうした二人の出会いをきっかけに、私(たち)の地域巡りが始まり、私の全てが始まった。


*追記

以上までが大学4年生の私が書いた文章。ちなみに、サイゼで話した後の私のTwitterではこんなことをツイートしていました。

”今まで頭の中にあったことが、今現実にあってほんとに驚き。私の感覚だと絵本の中が現実に!ってかんじ。(もちろん、現実問題はそんなファンタジーではないけども。)人のためになることをしたいと漠然に考え、時に悩んでたことが一気に道ができた感じ!今までにない興奮というか、感動というか、感情というか。だから逆に、その中でもあれもこれもやらなきゃ、勉強しなきゃ、となって頭が追いついてない。”

本当に興奮していたのをよく覚えています。笑

よく、「なぜ千葉県出身の人が縁もゆかりもなかった大分で住んでいるのか」と聞かれることがありますが、この出会いが大きなきっかけです。

改めて、読んでみると、自分が興味あること、ワクワクする方向を素直に選んできたことが本当に良かったなと思います。その時は何気ない選択だったけど、もしこの選択の一つでも、違うものを選んでいたら、太とそーちゃんには出会えませんでした。運が良く出会えたとも言えるし、この出会いは自分で選んだものだとも、今では言うことができます。

ついつい人目や周りの声があって、他の人の意見に流されることがあるかと思うけど、自分の気持ちに素直になって、一つ一つ、選択して欲しい。そしたらきっともみなさんにも人生が180度変わる出会いが訪れるはずです。

今後の投稿では、2人と出会ってからの活動内容(地域・農家さん巡り、など)や、私が空間、インテリアに興味を持つまでの背景をお伝えできたらと思います。

最後まで長い文章を読んでくださり、ありがとうございました!

次回もおたのしみに❁


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?