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自分のために髪を切った日

本記事は、昨年(2023年)に書き、長らく下書きに入っていたものです。当時から内容は変えず、少し加筆修正したものをお届けします。(記事内で触れている怪我については、どちらもすでに完治しています)

美容室の鏡の前で、肩の辺りで綺麗に内巻きに整えられた自分の髪を見たその時、「そう! こういうのがよかったの!」と、自分の心が喜ぶ声が、聞こえた気がしました。

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私は、物心ついてからというもの、ずっとロングヘアーでした。

理由は、ひどいくせっ毛だから。

ショートにしたが最後、あらぬ方向に跳び跳ねた髪は、素人の手には負えない代物になってしまうから短くしてはいけないと、母に言われていたのです。

そんなわけで、世の中には好きに髪型を決めている人たちがいるらしいと気づいた後も、ロングヘアーを貫いてきたのでした。

とはいえ、長年ロングのみというのも、飽き飽きしてくるものです。ショートだった頃の記憶のない私は、中学生くらいになると、母に迫りました。

私の髪は、こんなにストレートなのに、昔のことを引っ張り出して切るな切るなって何なのよ、と。

でも、母は、切ったらいかにひどくなるか、ということしか話してくれませんでした。確かに、長い髪の重みのおかげでストレートが保たれている、という母の説明にも納得できるものがありました。

私は、好きな髪型にしている子達を横目に、自分はずっと、ロングヘアーでいるしかないのかな、と自分の髪質を恨めしく思っていました。

高校生になったある日、私は、「ヘアドネーション」と出会いました。

その頃の私は、両足を怪我していて、思うように動くことができませんでした。誰かのために何かしたくてもできない状態でしたが、その時にふと思ったのです。

「誰かのために切る」。その大義名分があれば、切っても許されるんじゃないか、と。(その後大学生になってからもヘアドネーションをしたことがあります。その時の記事がコチラ↓)

私は腰くらいまで髪を伸ばし、高校を卒業する前に髪をばっさりと切りました。

実際、いざ切ってみると母の言った通り、私のひどいくせっ毛は健在でした。ロングの重みから解放された髪は、少しも思った通りにはいってくれません。結局、扱いにくい髪にイライラしながら髪が伸びるのを待ち、さらに伸ばして伸ばして、大学4年次にバッサリと切ってまた寄付したのでした。

社会人になってからも、私は、ずっと髪を伸ばしていました。帰宅時間が遅く、帰宅後は夕食を食べることもなく、何とかお風呂だけ入って寝る。そんな生活のなかで髪を伸ばすのは至難の業でした。(何だそんなこと、とお思いになるなら、ぜひ試してください!)

それでも、いつかまた寄付をしたい。その一心で伸ばしていたのです。けれど、その思いが揺らいだのは、昨年(2023年)の立て続けの怪我でした。

左手を3針縫い、その直後に足を捻挫して、松葉杖の生活に。松葉杖を握ることすらできず、移動もままならない日々が始まりました。当然、お風呂の時間は困難を極めました。

髪を切りたい。好きな長さに。

そうは思ったものの、もう少し我慢すれば、寄付できそうなのに、切ってしまうなんてもったいないと、なかなか踏み出せませんでした。でも、ある時、我慢というのも違くないか、と思うようになったのです。

それよりも、髪を切りたい、という自分の心の声を聞いてあげた方がよくないだろうか、と。

そう、そもそも自分には、いつか好きな髪型にしたいという夢があったのです。「自分のために髪を切ろう」。そう思い立った私は、少し歩けるようになると、美容院に向かいました。

ボブくらいの長さにすると、結ぶことができなくて、いざという時に困ります。だから、確実に結ぶことができる長さにしてもらおうとは決めていました。

でも、それでも、こんな風に自由に決められるなんて!

半年ぶりくらいに訪れた美容院の鏡の前で、これくらいの長さにしてほしいんです、と言った時、「ほんとにこんなことしていいのかな」という気持ちもなくはありませんでした。

いつも、切るなら2~3センチ。5㎝も切ることはあまりありませんし、あとは、ヘアードネーションの時に35㎝くらい切ってもらうだけです。

これくらいの長さで、なんて言う日が来るとは、と驚きと戸惑いを抱えながら、私は美容師さんにオーダーしました。

普通、こんなことで躊躇したり感激したりすることはないと思うのですが、私は、自分のために髪を切ることへの抵抗感と、喜びとの間にいました。

でも、いざ切り終えてみると、いままで感じたことのない清々しさに身が包まれたのです。

美容室の鏡の前で、肩の辺りで綺麗に内巻きに整えられた自分の髪を見たその時、「そう! 私、こういうのがよかったの!」と、自分の心が喜ぶ声が、聞こえた気がしたのです。

自分だけど自分じゃないような、新鮮だけれどずっと求めていたような……。

美容師さんの魔法の手によって整えられた髪は、お風呂に入って、髪を洗って乾かすと、好き勝手な方向に跳ねだしてしまいました。

でも、かなり綺麗な外巻きに勝手になってくれるので、好きにしたらいいじゃない、という気持ちでいます。

以前、ドネーション後に、同じくらいの長さになった時は、どうして思うようにまとまってくれないのかとイライラした記憶があるのですが、どうやら、私も少し成長したようです。

今までは、鏡を見るたびに、何となく「これじゃない……」と思い続けていましたが、今は、「そう、これだよね」と心から笑うことができています。

自分のために髪を切る選択をしたことに、心から満足しています。

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