【よみもの】くるかあをちま~やさしいおまじない~
あれは、小学一年生の頃。仲良くしていた友達と一緒にいたいという、軽いきっかけで通い始めたのは書道教室でした。
書道教室は、私の人生初の習い事でした。ですが、習い事に興味を持ったのは、書道が初めてではありませんでした。
会社を経営する裕福な家庭のクラスメイトが発した言葉「私、今日、レッスンがあるから遊べないの。」という一言。耳の穴が飛び出ました。
「レッスンとはなんぞや?」
三世代同居の大家族の家庭に育った私には、初耳の言葉でした。
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「レッスンって何?」
「あぁ、ピアノのおけいこなの。」
「おけいこ?!」
レッスンに、おけいこ。その言葉の響きに思わずうっとりしてしまったのです。
「ただただ、私もレッスンしたい!おけいこしたい!」
胸の中に次々とあふれてくる熱いものを抑えきれず、即座に親に懇願。
「私、レッスンしたい!えぇと、ピアノのレッスン!」
待つ間さえない、秒殺の辺答でした。
「無理よ。そんな月謝払えないわ。」
ピアノがダメならと、今度は別のクラスメートが言っていたおけいこ、TVでみて、きれいなぁと思ったおけいこを、親に再度懇願。
「私、おけいこしたい!えぇと!バレリーナの!」
「そんなの無理に決まってる!」
ひそかにトゥシューズを履いて白鳥になることを思い浮かべていた私は、頭上でチカチカ星と一緒に白鳥の群れが回転しそうなくらいの、速攻の言葉のカウンターパンチをくらい、ふら~っとしてしまいました。
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その後、エレクトーンだの、バイオリンだの、クラリネットだの、少林寺だの、絵本だったり、TVでみたりした習い事を次々と親に、お願いって、ぶつけていった無謀な私。大家族でかつ、収入の少なく、生活が苦しい家なんて事実もわからないまま、無謀な要求をし続けたのです。
そしてある日、一番仲の良い友達、はーちゃんと遊ぶ約束をしようとした日のことです。「私これから土曜日は遊べなくなるから。」と言われたのです。
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急な宣告にショックを受けた私。なにか嫌われることでもしたのかと。
「書道のおけいこがあるから。えっと、私の家の近くの川の前のところの......」
途中から、ショックすぎて話をまともに聞くことができませんでした。
またしても、おけいこ......。
一番仲良しの友達と遊べなくなる。毎日でも遊びたいのに。会う時間が減る。
またしても、おけいこ......。
気分は、どんより。
「書道って、なんだろう。何のおけいこだろう?」
当時、習字という言葉しかわからなかった私は、書道って何だろう?と思いました。でも、できたら仲良しの子と一緒にいたいな。
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帰宅後、ダメもとで母に言いました。
「おけいこ、書道したい。」
またしてもカウンターパンチをくらうと思いきや、
「え?どこの教室?」
「え?あ、いつも遊んでいる、はーちゃんの家の近くの川の前のとこにあるって言ってた。」
「あぁ、あの教室。はーちゃんも行くの?」
「うん。土曜日って。」
「そうか。あの教室かぁ。お父さんに聞いてみるね。」
「えぇ!本当?!」
はーちゃんの通う書道教室は、家計にやさしい月謝で教えてくれる教室だったようです。そして、はーちゃんも一人で通うのが不安だったから嬉しいと言ってくれたのです。
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夢にまでみたレッスン!おけいこ!初めてのご挨拶もかねてということで、互いの親の付き添いのもと、書道教室へ。嬉しすぎ!我慢してても、すぐにスキップ足になり。
優しそうな先生。さっそく、墨の擦り方やお道具の説明などが始まり..…。初めての教室。畳の上に正座。当時、外で走り回って遊んでいた私にとって、それは予想外の空気でした。元から静かなことも平気なはーちゃんは、難なくこなしていったのですが、静かなことが苦手な私は、周辺の子に話しかけて注意されたりと、苦戦しました。
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お迎えに来てくれた私の母が、おけいこを終えた私の姿をみて驚きました。顔から頭の先まで墨汁が飛び散り、大変なことに!!その姿に先生も苦笑い。
本人にしたら、これしきの汚れ、野ッ原で遊びまわるのと、たいして変わらないというぐらいの思いでしたが、母が着せてくれた洋服が墨汁で汚れてしまったことが気になっていました。
「あのね、墨汁ってね。なかなか落ちないのよ。泥んこと違ってね。」
母が言いました。
「そうなんだ。ご、ごめんなさい。」
「これじゃあ、大勢の人の前を歩けないわね。」
そういうと母は、当時は、まだ魚の住む美しい水が流れていた川の前に、私の手を引いて連れて行ってくれました。そして洋服ではなく、私の足にたくさんついた墨汁を、素手で洗い流してくれました。
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きれいな小川の水の音。
やさしいおかあさんの手。
ゆっくりと、手をつないで歩いたの帰り道。
その後、私は家から書道教室までの道のりを一人で通うことになりました。
土曜日。はーちゃんと会えることも嬉しく、筆や墨汁との悪戦苦闘の繰り返しでしたが、どうにか続けることができました。
なんだかんだ言いながら、二年の歳月が過ぎようとしていました。すっかり書道にも慣れて、洋服を汚すこともなくなりました。おしゃべりをすることなく、書くことに集中できるようになりました。
教室の帰り道、だんだん周りの様子に慣れてきて、行ったことのない道、新しい道を発見したくなった私は、細く続いている路地を発見しました。
そこには、空き家のような建物がありました。土壁に板を打ち付けたような、いつの年代の物かわからないとても古い建物でした。ちょっと、怖くなったので戻ろうとした時、その壁に錆びたようなプレートが打ち付けられているのを発見しました。
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「くるかあをちま」
「なんだこの呪文は?」
私は怖くなってその場を走り去りました。
そして学校に行った日、仲の良い友達にそのことを話しました。
「なんか怖いね......」
そう言って、二人で肩を寄せ、どっひゃーって、怖がりました。
大人だったら知っているかな?
近所に住んでいる人だったら。
そう思った私は書道教室に行った日、おけいこの終わった後に先生に尋ねてみました。
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「くるかあをちま?」
先生は、私の書いたメモを見ながら考えてくれました。ものすごく古い空き家のことも伝えました。
しばらくして、「あー!」と、ひらめいたように笑いました。
「右から読んでごらんなさい。」
「え?右から?えーと、」
「ま、ち、を、あ、か、る、く」
「町を明るく?!あ~~~~~ほんとだあ!!」
「そういえば、あの場所、暗かったぁ。」
「字をねぇ、右から読む時代もあったのよ。」
「そうなんだぁ!」
その時、ただ単純に、書道の先生って文字を書くだけじゃなくて、文字のことにも詳しいんだなぁって思ったのでした。
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練習を続けるたびに、いろんなことがわかってきました。文字は心を込めたとおりの文字になるのだと。荒く書けば、荒い文字。丁寧に書けば丁寧な文字。書道の文字は、跳ねたり、はらったり、止めたり。力の込め方しだいで、鳥にもなるし魚にもなる。書道は、人が直接、文字に息を吹き込むことができる魔法のようなおけいこなのだと!!
「くるかあをちま」
あの日見つけたプレートに書かれた文字。黒色の筆記用具で書かれた文字。
マジックなのかどうなのかは、はっきりしませんでしたが、小さいけれど、やさしい文字でした。
あれから随分月日が経ちました。私はすっかり大人になりました。そして、あの空き家は取り壊され、周辺には新しい家が建ち並びました。
暗かった路地も、街灯が設置され、すっかり明るくなりました。
大人になってから、ふと思いました。
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「くるかあをちま」
あの言葉は、暗い路地を明るくという意味だけではなかったのだと。
書道を習い、文字を知り、言葉が好きになって、色々な文章の現れに出会いました。子供の時には、まだ知ることのできなかった言葉のふかみ。
「くるかあをちま」
あれはきっと、やさしいおまじないです。
きっと、当時住んでいた方々の、やさしい願いです。ちょっと控えめにも見える、だけど、しっかりと子供の目にも届いた文字。
伏し目がちな社会を、明るいものにしましょう。
当時の方々が、自分たちの時代のことについてだけではなく、先の時代の人たちのことを思って綴られたやさしいおまじないなのだと、私は思わずにはいられませんでした。
先行きが不安な今の時代。
大人になった私に、ふたたび灯ったやさしい言葉なのでした。
「く、る、か、あ、を、ち、ま」
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