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カラダという自然を信頼して「待つ」。

整体指導は治療術として行っているわけじゃないけれど

整体指導を受けに来られた方が痛みなどで苦しんでいたりすると

やっぱりどうにかしてあげたいと想いを抱いてしまう。


整体指導者として活動し始めたころに比べて

技術的に自分が出来ることが増えてくると

つい自分が治しているって感覚を持ちやすくなってしまう。


整体指導で大切なのはあくまでも自力が働くように誘導すること。

無意識運動がちゃんと働いてくれる本来の在り方へサポートしていくこと。


そのときに大切になってくるのが「待つ」

自力が働きだしてくれるのを「待つ」

気が感応してくれるのを「待つ」

目の前のいのちに対する信頼がないと待てないのはもちろんのこと

自分が静まっていないとやはり待つことは出来ない。



7月25日に先生の整体指導を受けて

このままだと癌になるぞと

脾臓に自分でよく愉気をしておくようにアドバイスをもらい愉気をしていたら始まったカラダの排泄反応。

排泄はほとんど収まって痒みだけが残っているんだけど

大切だったことは「待つ」だった。


気が通りにくくなっていた脾臓に気が通るようになってきている。

どんなにわたしが痒くて、眠れなくて、辛かろうと

排泄反応はカラダが行なっていること。

排泄反応を起せていなかった状態というのはホメオスタシスが働いていない在り方であって

カラダにとっては不健全なのだから。


途中あまりに痒くて痒み止め薬を使ったり迷走してしまったけれど

結局は痒いまま待てるかどうかが一番重要な態度だった。



活元運動というのは頭を空っぽにしてカラダを緩めると

カラダが勝手にやりたいように動き出す無意識運動の訓練。

活元運動もボディワークのエクササイズに分類されるんだろうけど

通常のボディワークはすべて意識運動。

一方で活元運動は無意識運動

「わたし」という自我意識が関与せずに

カラダという無意識が勝手に動く運動なので

いつ運動が大きく動き出すかはひとによって様々。

ぼくなどは大きな活元運動が出るまで1年近く要したんだけど

ぼくの親友は初日に大きな活元運動が出てしまった。


活元運動のレッスンでは

まず最初に邪気吐きの練習をしてもらっている。

最初の目標はいつでも大あくびが出せること。


邪気吐きは正座の姿勢から

前こごみになりながら息を吐いていく。

息を吐ききると同時に脱力することで

自然と入ってくる息にあわせて上体が起き上がってくる。

動作自体はとってもシンプル。


息を吐ききって瞬間脱力することで緩みが生じる。

その緩む体感を感じとってもらう。

慌てて2回目の邪気吐きに移らずに

何もしていない、緩んだ感覚に身を委ねてもらう。


先日、邪気吐きを行ってもらっていたら

息を吐ききって起き上がってきた状態をずっと味わったまま

カラダを緩みに委ねておられる方がいた。


気が付くと既に数分が経過していた。

まだ自力で大あくびが出せていなかったので

邪気吐きを続けて行うように指示を出そうか迷った。


緩みに身を委ねて、そのまま眠ってしまったり

深い瞑想状態に陥ってしまうと無意識運動の訓練にはならない。


じっとしている彼女を観察していると

眠りに陥りかけているわけじゃなかった。

今まで自分に許可して来なかった何もしない状態

思考が静まってカラダモードになっている状態に身を委ねているように見えた。


邪気吐きの練習を続けて行ってもらうよりも

緩みに身を委ねている状態を味わい尽くしてもらったほうがよいと判断。

正座で目を閉じている彼女を見守ってみることにした。


やるべき義務感もなく

何もしなくても大丈夫という時間。

5分ほど経っただろうか

じっと待っていたら

カラダの感覚に身を委ねていた彼女が動き出した。


活元運動のレッスン初日で

まだ大あくびも出せていない状態なのに

活元運動が現れてくれたのでした。


あのとき、ぼくが待つってことが出来なかったら

邪気吐きの練習を続けるように促していたら

活元運動は現れてくれなかったかもしれない。


「わたし」という自我意識が関与せずに「待つ」

いのちを営んでいる無意識運動と向き合うときに大切なことを教えてもらった出来事でした。



※音にカラダを委ねてみる🎵












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