ぼくのスタンス

医療は発生以来崩壊し続けている。

むしろ崩壊こそが医療だ。

生命はよく果てるのが仕事なのだから。

でなきゃ環境応答できないでしょう。

長く生かすことは生命の所業ではない。

生命は無処から生まれる無為なのだから。


健康でないことは苦しく、

苦しければ不適切であるということだ。

つまり健康とは意志の強さだ。

ここで気功とは世界を自分に適合させる力のこと。

環境を変えて歪めることが健康の証である。

ゆえに精神的豊かさは健康にはそぐわない。

豊かさは集団的豊かさであり、

個人的なそれはむしろ病的である。

一定程度無知であることは無上の叡智である。


学ぶことと調和することはそぐわない。

非破壊ではものは学べず、

破壊してしまえばそれは吸収されてしまう。


読むことは書くこと以上のアウトプットである。

インとアウトがあなたの所在を決める。

インプットする限り、あなたはそれを消化できない。

異物とは自分以外のすべてのことであり、

異物以外のすべてがすでに自分なのだから。

なにが異物であるかは知る必要がない。

知ることができないものが異物なのだから。


夜になっても眠れないのは、

自分が自分の期待にそぐわないと思うからだ。

そうやって人は進歩してきた。

いな、自分で自分をいたぶってきた。

否が応でも行動範囲を広げようと、

進化という名の落日に追われて、

自分で自分のハードルを上げ続けてきた。

それがさらなる自由に繋がると不自由にも思っているからだ。

人ほど自らに不自由な生き物はいない。

かといって特段に不自由なわけでもない。

ただ、自己矛盾的で自己目的的なのだ。

それだけだ。


ぼくは自分を愛することで人を愛すし、

人を愛すことが自分を愛すことだと知っている。

感謝然り、教育然り、成長然り、幸福然り、

笑顔然り、安心然り。

エゴとは全体のことだ。

しかし、全体とは非エゴのことだ。

やはりぼくは矛盾している。

ぼくとは矛盾のことだ。

どんな事象も貫くスタンスと、

どんな事象も防ぐスタンス、

そのどちらもがぼくだ。


以上、おわり。

次回、わたしのスタンス


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