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creative notes #1

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#ロバートツルッパゲとの対話

弱い人と強い人。

弱い人と強い人。

社会的弱者という、すでに強い人の側から言っている言葉が好きじゃない。強いか弱いかは本人が一番よくわかっているから、他人を指さして「あなたは弱い」という必要はまったくないし、あなたより遙かに強い立場の人から「お前だって弱いくせに偉そうに」と言われる覚悟はしておいた方がいい。

つまりそれは絶対的な数値ではなく、相対的な感覚だ。感情といってもいい。心の安定を求めるために「自分より弱い立場の人を下に見る

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自分の能力に対する親バカ。

自分の能力に対する親バカ。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』を書いて一番スッキリしたのは、「ビジュアルとは言葉である」という、映像の文学性について言及できたことだ。

言葉を意識せずに写真を撮ることができないのは、科学的な事実だと思っていたんだけど、そこに「温度」「情念」「言葉にできない」みたいなシュガーコーティングをほどこすオカルトな人がいる。

もちろん、映像で温度や情念も描けると思うんだけど、ビジュアルは言葉の定義に隷

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友人の定義。

友人の定義。

隣のケンちゃんとは遊んじゃダメよ。
 どうして、ママ。
バカがうつるからよ。

 じゃあボク、誰となら遊んでいいの。
お向かいの、賢いタケシくんと遊びなさい。

さて、タケシくんのママは、彼と遊ぶことを許してくれるだろうか。タケシくんのママも同様に、「バカがうつるから」と言うに決まっている。

つまり、自分より賢い人と付き合いたいと思っても、その人は自分よりさらに賢い人と遊びたいのだ。これを「何か

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雨の日に行くコンビニ。

雨の日に行くコンビニ。

写真を勉強している人から「写真を教えて欲しい」と言われた。

俺は勉強する人が好きなので、教えるなんていうのは僭越だけど、疑問に思うことがあれば答えると言っておいた。学ぶ人は、悩むことができる人だ。自分に何かができないということがわからなければ、進歩はない。

こういうときにいつも感じるのは、天性の才能とか持ち前のセンスなどではなく、どんな分野においても、「今までいかに勉強してきたか」に尽きると思

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他人とは誰か。

他人とは誰か。

「自分と関係ない人とは、出会わなくていい」という言葉を聞いた。

これは冷たいように聞こえて、そうじゃないことが伝わってきた。何かの決断をするとき、他人の名前を出す人がいる。「親が」とか、「友だちが」とか。親は他人ではないだろう、と言う人がいたら、もうそれは毒されている。

自分ではない人は「他者」だ。親でも配偶者でも、「自分ではない」と認識できないと始まらない。愛情の問題とは別だ。

「親がそう

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家庭用と業務用の言葉。

家庭用と業務用の言葉。

ブリゴキには、家庭用と業務用がいる。黒くてデカいのと、薄茶色くてカラメル味の方。俺はカミングアウトしちゃうけどブリゴキが苦手なんです。人生の中で積極的には関わりたくないと思っている。駅を出た瞬間から脱線しましたけど、本題は「家庭用と業務用」について。

8年くらい前、「音楽をやっている人は面白いことが多いが、コピーライターの言葉のセンスは業務用だから、あまり面白くない」とTwitterに書いたこと

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メイクにうるさいニーチェ。

メイクにうるさいニーチェ。

たとえば、ソクラテスやプラトンが生きているときに俺が写真家をしていたとして、撮影を頼まれるとする。それはエキサイティングなことだよな。

「同時代性」というのはどうにもならないから。ソクラテスは今の人に置き換えると誰だろうと思っても、ちょっと比較のしようがない。社会の構造が変わっちゃってるからな。

シェイクスピアみたいな文学者にしても、今の小説家とは意味が少し違う。現在というのは、有史以来の過去

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所有と集合知。

所有と集合知。

先日あるミュージシャンと、「ニューヨーク」というコンビのネタについて話した。彼らは、出す曲がことごとくヒットしているJ-POPデュオという設定で、その作曲風景をコントにしている。

俺たちのファンのあいつらは「永遠」とか「LINEが既読にならない」とかいう言葉が好きだから歌詞にたくさん入れとけ、みたいに話し合いながら最終的に曲ができあがる。ある意味、現在の音楽業界をバカにしているわけだから、そのコ

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子どもが生まれて「お子さんは男の子ですか、女の子ですか」と聞かれた親が、「それは将来、この子が決めるでしょう」と答えたという。LGBTとはかくも深みのある話なのだ。