節分に幼稚園で虐待された話

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もう50年以上前になる。私は名古屋市西区に今もある国風第一幼稚園に通っていた。今はどうだか知らないけど、クラスは「ゆり」とか「かんな」みたいに花の名前になっていて、年少か年長かわからないが、私はその「ゆり」と「かんな」の時に、鼻の横に大きなな黒子があるM野という40歳前後の女の先生から虐待を受けた。先に言っておくけど、性的なものでも肉体的なものでもなく、精神な虐待だ。

幼稚園時代の私は物覚えが悪く、クラスの園児達が普通にできることができなかった。例えば、クラスメイト達がいつの間にか吹けるようになっていたハーモニカが吹けなかったし、カスタネットを打つタイミングがわからなかったり、折り紙ができなかったりという低スペック園児で、それでM野先生から嫌われていたようだった。

おかげで私は幼稚園時代にすでに音楽恐怖症になってしまい、小中学校時代は音楽の成績が1と2を行き来していたのだけど、その後、ゴダイゴや角松敏生さんの音楽のおかげで、楽器と楽譜は相変わらず苦手だけど、作曲ができるくらいには回復している。

ある日、私はお腹を壊して幼稚園のトイレに入っていたのだけど、トイレの個室は安全のためにドアが低くなっていて、便器にしゃがんでいる私をM野先生だけではなく、クラスメイト達が覗き込んでいるという羞恥プレイ状態で排泄させられたことがあって、M野先生はどうしてクラスメイト達に覗かせていたのか、未だに疑問だ。

そんな暗黒幼稚園時代のある日、50年以上経っても節分の度に思い出す悲しい記憶がM野先生によって植えつけられた。

節分のその日、M野先生はこれから豆まきをするといい、椅子などを教室の前の方に移動し、豆まきを知っていた私は珍しく楽しみになった。

「じゃあ、鬼をやってちょうだい」

M野先生から鬼役に指名されたのは私だったのだ。しかも私だけ。普通、こういうのは大人であるM野先生やるものだろう、普通は。それで、青鬼のお面を被せられて、広く空いた教室の後ろに立たされると、お面の丸い穴からクラスメイト達が、M野先生から折り紙で作った小さな箱に入った豆を渡されているのが見えて羨ましかったのを覚えている。

「じゃあ、始めるよー。鬼はー外ーっ!」

クラスメイト達が一斉に叫びながら私に向けて豆を投げつける。まるで公開処刑だ。私には記憶がないだけで、公開処刑を受けるような罪を犯したのだろうか・・・

「福はー内ー!」

M野先生は、私がただその場に立ち尽くしているのが気に入らないようで、「ほら逃げなさい」みたいなことを言われ、私が教室の隅に逃げると、クラスメイト達から豆を投げつけられ、お面に豆が当たる音が怖くて、その場にうずくまっていた・・・

文章にすると大したことでもないように思われるだろうけど、お面の丸い穴から見える楽しそうに私に豆を投げつけるクラスメイト達が涙で歪んでいる記憶が、50年以上経った今も鮮明に残っていて、当時の自分がかわいそうで仕方ない。

ただ、私はクラスメイト達を恨んではいない。M野先生に言われるがままやっただけだし、私が投げつける側なら、不運にも鬼に指名された子に豆を投げただろう。

そして、皮肉なことに、お遊戯会では私は鬼を退治する桃太郎をやらされている。もしかすると、私だけに鬼をやらせたことに罪悪感を感じたM野先生が、罪滅ぼしのつもりで桃太郎をやらせたのかもしれないけど、目立ちたくない私には、それも一種の虐待でしかなかった。

今だとけっこう問題になって園長が謝罪するようなことも、当時は当たり前のように行われていて、昭和のダメなところだ。

現在の国風第一幼稚園のサイトには「子供たちの笑顔が喜びです!」と書かれている。半世紀でずいぶん変わったものだ・・・国風第一幼稚園の2年間が暗黒時代でしかなかった私には、楽しかった思い出は一切ない。

今日は成城石井に寄って、ちょっと高めの恵方巻きでも買っていくとしよう・・・

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