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サタデー・グッバイの事

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今年もサタデー・グッバイした。初めて聞く人のために簡単に説明すると、2011年に逝去した元BEAT CRUSDERS(ビート・クルセイダーズ。以下ビークルと略す)のGt.Key.担当thaiこと田井ヒロユキを追悼するイベントで、彼の命日11/26周辺で元メンバーの荒木、UMU、俺の3人でLIVEをする。

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ビークル創設者の岩原(現NEIGS)にもゲストで何曲か参加して貰うのがデフォルトで、今年は初めて大阪でも開催したのでSPREADからTAKUYAにゲスト参加して貰ったり、当時の田井くんを知る人とただただ彼の思い出にまつわる音楽を奏でるだけのイベント

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とにかくこのイベントだけは徹底的に後ろ向きでやろうと決めてる。昔のやり方で昔の曲を昔の人間とプレイして、ひたすら田井ヒロユキという人間を愛でる。ただでさえ口数の少ない奴だったし、所詮素人が編集してるFuckin'ウィキにも彼の記述は殆ど無い。だから当時を知らない人間にとっては謎だらけであろうヒロユキを、俺達が当時を再現する事で何となく感じたり想像して貰えれば良いなと思ってやってる。

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こんだけ後ろ向きだと当時のリスナーにとっては相当EMOいことになってるんだろうなと想像は出来る。20年近くの歳月が流れて、ビークル脱退後は教職に就いていたヒロユキの教え子が観に来る時代になってるし。

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実際、当日の模様を上げた動画には激おセンチなコメントで溢れかえってる。それぞれのリスナーがそれぞれの思い出や思い入れを綴っている。

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ところが当事者である荒木、UMU、俺はおセンチではない。

なぜなら当事者だから。

傍観してたわけではなく本人達なので、センチメンタルに浸る暇も実感もない。ヒロユキの親族も昔から知っているし(俺に至っては地元の後輩なので家族ごと30年来の付き合いだ)、ビークルと名乗る前から友人や先輩後輩として一緒に5、6年バンド(ペセラケセライン)やってたし、ビークルとして活動した5、6年間も四六時中ずっと一緒にいて、ツアーの時はメンバーそれぞれの実家にも行って泊まって濃厚に絡んでて、解散後もたまに連絡取ったり会ったり絡んだりしてたし、2011年にはヒロユキの葬儀に出席してご遺体にご焼香もして、そこから毎年お墓参りにも行っている

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もはや家族なのだ。

家族の死に対しておセンチになりますか?

人によるかもだけど、基本的に家族に対して客観的なセンチメンタリズムは持ちにくいと思います。だから俺達はおセンチにはならない

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むしろ冷静なままサタデー・グッバイしてるんで、イベントに来て田井ヒロユキの話をしない人にはあまり共感出来ない。誰かのお葬式に来てその人の思い出話しない人に共感出来ます?

ヒロユキの事よく知らなくて話せないと思うんだったら、遠慮なく俺達に聞いてよ。何でも教えるから。俺達はヒロユキの事を忘れないで欲しいし、知らない人には少しでも知って欲しいからサタデー・グッバイやってるんだから。

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だからまず個人的な思い入れをダッーと話してこられると引いちゃうんだよね、ヒロユキ関係ねぇじゃんって。アナタのために演奏してるんじゃなくて、家族であるヒロユキのために演奏してるんです、みたいに素になっちゃう。笑

また厄介なのはビークルって俺も含めてバカでド明るいのよね……だから余計にリスナーのセンチメンタリズムと乖離してしまう。ホントに変なバンドだったのよ。笑
そんな気の触れたバンドの田井ヒロユキ思い出話に付き合いたいって奇特な人は、来年も命日周辺でサタデー・グッバイするんで気軽にどうぞ。

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いわゆる追悼LIVE的なEMOさは一切ないけど笑、俺達みたいな下手くそバンドでも、意地や情熱やほんの少しのアイデアと溢れんばかりの音楽愛があれば少しは素敵なサウンドが奏でられる事が証明されてると思うんで、色んな意味で元気にはなれるんじゃないかと笑笑

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