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生き残りの詩《うた》 20.1.17

今ここで初めて書くのだが、僕は毎日NHKの『おはよう日本』を5時から8時まで録画している。
この番組は、年末年始以外毎日放送されるので、ちょっと見忘れると、すぐさま録画機のハードディスクが満杯になってしまう。

他の早朝番組と同様、フォーマットが決まっていて、大きな出来事がない限りは、毎日ニュースとミニ特集がそれに沿って放送される。
しかし、今日は若干いつもとは違う流れだった。

5時44分ごろから神戸での中継が始まり、46分、時報の音とともに、「きざむ1.17」の竹灯篭と黙祷の映像が無音で映し出された。
黙祷後は、スタジオに戻り、そのままいつものコーナーへ。
正味3分ほどの中継。

震災直後は、民放でもこの時間に特別番組が組まれていたが、今では、この程度の規模に。


25年前のこの日の記憶は、なぜか無い。
今50歳なので、25歳ということになるが、個人的に人生がかなりきつかった時期と重なるためかもしれない。

世間的には年末にWindows95が登場して、いよいよ本格的なネット時代に突入するわけだが、その前のことで、すべてに希望が持てなかった時期と重なる。
震災後の最初の記憶として、今も覚えているのが、中華料理店で中華丼を注文して食べている時に、店内のテレビで放送していた震災関連の長時間特別番組を観たこと。

でも、震源地から遠く離れていることもあって、実感を持てたかと言えば、正直そうとは言い難い。


その14年後、今度は、東日本大震災が発生し、僕が住んでいる土地もかなり揺れ、かつ一昼夜の停電に見舞われ、自分がよく知っている地域の惨状に、阪神・淡路大震災の時とは別の衝撃を受けた。



僕は、毎日、ツイッターで、東日本大震災、および災害のクリック募金をツイートし、実際にクリックしているが、正直、毎回「あの時」のことを思い出すわけではない。思い出したとしても、精神的にきつくなる。


ただ、なんだかんだ言って、僕は生き残り、こうして拙文をみなさんに見ていただいていることができている。

今でもまだ気持ちが不安定になることもよくあり、自分がなぜ生きているのかわからなくなることもあるが、こうして生き残った以上、やることはまだまだ残っているのだろうな。


これからもまだまだ悩むだろうけど。

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