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『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』で納涼しませんか

俺はロリコンとかそういう気はあまりないのだけれど、この映画で小学生の役を演じる奥菜恵に「駆落ちしよう」と言われてしまったら、どうするだろうなと考える。

仮に、手を引かれて何処へ行くとも知らないバス停へ引っ張られたことを想像してみる。


もうどこまでも着いて行ってしまう気がする。


「今なら通帳に10万ぐらいあるし、九州くらいまで行けるんじゃないか」

リアルな現在の自分に置き換えてそんなゲスなことを考えてしまう。

それくらい、この映画の奥菜恵という女優はあまりにも眩しく、そして男心をくすぐり倒してくれる。

この映画を見た全ての男を、あの岩井俊二の妙に発色の良い世界観に引きずり込んでしまう、そんな引力がある。


岩井俊二の映像感覚、そして奇跡的な奥菜恵のビジュアル、さらに夏休み前という作品のシチュエーション。

その全てが実に噛み合っていて、この作品を見た男子(若しくは男子だったおっさん)に刺さること請け合いなのだ。


特に大人になってしまった俺たちは、かつての夏休みに見た

害虫灯に群がった挙句、「バチッ」と撃ち落されてしまう哀れな虫たち

のような切なさでこの作品を見ることになる。

もう永遠に訪れないシチュエーションなのに。

いや、もう永遠に訪れないからこそ愛おしく、切ない。


物事は基本的には全て過ぎ去っていくものである。

とりわけ、夏をはじめ季節と女子の可愛さ、美しさというものはその移ろいを昔から対比され、愛されてきた。過ぎていって二度と訪れない儚さに趣があるからだ。

そうした文学的なことを思ってしまうほどに、ここにはあまりに美しい空想が真空パックされている。


この先も、全ての男子がこの作品に出合い、悶絶させられていくと思う。

「こういう思い出が俺にもあったらよかったなぁ」

と、起こりえないのに思ってしまう。

だが、一方でなぜか懐かしい感傷も抱く。

そんな不思議な空想の物語だ。

それでは

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