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「Smile Cotton®︎」と私

今回、なぜ私が家業のSmile Cottonというテキスタイル会社の後を継いだのか、その理由をお話ししたいと思います。

スマイルコットンの誕生

私が住んでいる三重県北部は、明治時代から綿糸の紡績業が盛んでした。1952年に祖父がこの地でメリヤス(莫大小)ニット工場、片山メリヤスを創業しました。創業当初から様々な伸縮のあるニット生地を開発生産してきました。当時は大量生産・大量消費の時代。海外からの価格競争力のある素材の輸入や高まる化学繊維の需要の中で、2代目の私の父が大学卒業後、付加価値のある素材を作ろうと、「綿でカシミヤのような肌触り、心地よさのある生地」をコンセプトに「Smile Cotton®︎」の原型となる生地を1973年に完成させました。しかし、当時「Smile Cotton®︎」を製品化するには、技術面・コスト面が折り合わないこと、それ以上に「肌に優しいコットン」は必要とされませんでした。

それから20年という歳月を要して、私の父は幾度となく技術改良を行い、商品化にこぎつけました。そして、1995年株式会社スマイルコットンを設立しました。

当時の私

長男として生まれた私は、当時大学卒業後の進路で家業を継ぐという選択肢はありませんでした。幼少の頃から工場経営をしていた父親の大変さを目の当たりにしてきた為か、自分にはとても真似出来ないことと無意識で感じていました。自分は迷いもせず、就職活動しました。色々な業界を見て、OB訪問もたくさんしました。でも、結果、商売をしたい、関わるなら自分にとって身近な存在である繊維・アパレル業界にしようと決め、商社に入社しました。配属から退職するまで、アパレル製品部でお世話になりました。商社での営業経験、人とのつながりの大切さ、商売の難しさなど、その時に経験したことは今の私を形作ってくれました。その時の話は別の機会でお話でれきばと思っております。

家業を継ぐことを意識した衝撃的な出来事

ある冬の朝、何気なく自分のクローゼットからいつものようにインナーシャツを着ようと探してました。たまたま、洗濯をしていて普段の着用しているインナーシャツがありませんでした。その時、随分前に父親からもらった「Smile Cotton®︎」製のインナーシャツが目に入りました。最初はこれを着ていくしかないなあという思いで袋を開けて、商品を手に取りました。その瞬間、驚きました。

「冷たくない!!」「柔らかい!!」「軽い!!」

当時の自分はいつもアパレル製品を扱う上で、国内外の色々な素材に触れてきましたが、このような感覚は初めてでした。正直、「親父、すごいな」と思いました。そのあと驚いたのは、洗濯後も「柔らかさ」が続いていました。一般的に綿の特徴として水分を吸うと強くなる(強度が増す)=硬くなる、ごわっとします。「Smile Cotton®︎」はそのような感じがありませんでした。衝撃的でした。

この感動を伝えたいと思い、私のメインの取引先の大手通信販売会社の担当者様に「Smile Cotton®︎」の提案しました。当時私は31歳でした。今から15年前です。当時は今のようなECではなく、紙媒体での商品販売でした。商品説明を丁寧にして頂いた結果、その顧客様に「Smile Cotton®︎」製の商品の良さを伝えることできました。

その後、私の中でスマイルコットンを意識するようになりました。

後を継ぐことを決心したもう1つの出来事

ある日、実家に帰省した私は、偶然父親のデスクに置かれている手紙を目にしました。その手紙は、「Smile Cotton®︎」製の商品をご購入頂いたお客様からの御礼のものでした。衝撃でした。当時、営業をしていた私はOEMというお客様の依頼のもとづていて製造したものを納品して、それで終わりでした。しかし、私の父は、自ら生み出した「Smile Cotton®︎」というテキスタイルを製品化し、それを敏感肌の方、新生児向けに直接販売して、御礼の言葉を頂いているということに感嘆し、私には到底真似できないと衝撃を受けました。

この時、思いました。

このまま私が後を継がないと、父親が作った「Smile Cotton®︎」はこの世から無くなってしまう。このスマイルコットンの肌触りの良さ、洗濯しても硬くなりにくさ、吸水性と乾きの良さをもっと多くの人に伝えたいと強く思いました。

そして、33歳の時に決心をして、退職し、株式会社スマイルコットンに入社しました。


最後になりますが、8月27日(土)11時よりジュピターショップチャンネル「やわらかさと優しさに包まれる スマイルコットン」に出演します。どうぞ、よろしくお願いします。


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