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保育者の心の健康について考える〜引き算の仕事術〜

私自身人間ですからストレスにさらされます。社会で働いている以上、ストレスは避けて通れません。
大学の教員は他の職種よりも接する人が多いと思います。今年度、私の授業を受講している学生さんは本務校、非常勤併せて600人前後かな、と思います。加えて校務や研究などで他者と接し、中にはストレスを感じることも少なくありません。
これまで輩出してきた保育者の中には1年目でストレスに耐え切れずあんなに憧れていた職場を離れてしまう卒業生も少なくありません。失意の卒業生に話を聞く機会が何度となくありました。やはり保育者養成校の教員としては卒業生が順調に職場でキャリアを積んでほしいし、精一杯子どもの前で輝いてほしいと思いますから、ストレスに押し潰されてしまう姿を見るのは本意ではありません。
そこで今回は保育者のストレスケアについて考えてみたいと思います。

気合と根性だけでは乗り越えられない

私自身も学生時代、あるいは就職間もない時には「気合と根性」論の名残がありました。特に就職1年目は「俺の背中を見て覚えろ」みたいな先輩に手を焼きましたし、喫煙所で広がる人間関係に馴染めず(私は非喫煙者なので)苦労しました。
心の余裕は必然的に失われます。
その頃良く言われたこと、あるいは感じ取ったのは「若いんだから…」。若いんだからこれぐらいできるよね。若いんだから耐えられるよね、という意味でしょう。確かに若い時は体力もありますし、少々睡眠時間が短くても頑張れることもありました。ですが、若いからこそ頑張れないこともあるのではないでしょうか。
傷ついた保育者に話を聞くと、「勘と経験、気合と根性」で「何とか乗り切れ」という保育施設が多いことに驚きます。
確かに勘も経験も気合も根性も大事かもしれません(根性は…どうかと思いますけど)。でも保育者のような「専門職」は”勘と経験、気合と根性論”で若手は成長しないのではないかと思います。
ある退職した保育者は毎日6時半に出勤し、退勤は21時近くだったと言います。19時には園舎から出されるため駐車場で翌日の保育の打ち合わせをしたことがあったそうです。胃腸炎になって吐き気がしても休暇の取得は認められず、嘔吐用にバケツをもって仕事をしたこともあるとか。6月に相談があって、私は秒で答えました。「辞めなさい」。
確かに翌日の保育教材をしっかり準備して、子どもたちがいろいろなことにチャレンジすることも大事ですし、壁面装飾だって綺麗なものが良い。手作りのアルバムやお便りにも温かみはあるでしょう。
でも、です。その「キラキラした保育」に見えるその保育施設の先生の心は確実に蝕まれます。心の余裕は失われ、結果として子どもに辛く当たってしまたり、体調を崩して長期にお休みすることになったら、結果、子どもがかわいそうです。

少子化の狭間で起きていること

「待機児童」の問題は広く知られています。確かに一部の地域の、特に保育園には入りにくい状況が生じています。しかし、子どもの数は減少を続けているわけですから、幼稚園は園児募集に必死です。一部地域の保育園も最近は園児募集に力を注がなければならなくなってきました。
そんな中、少しでも「保護者ウケ」が良い保育をする必要性は理解できます。「英語が話せるようになる!」(ならない思いますが)とか、「跳び箱10段飛べるようになります!」(10段跳べることにどんな意味があるかんですかね?)、「漢字検定にチャレンジ!」とか(ん?小学校できちんと教えてくれますよ)。
こういうことをし出すと先生の負担は当然増します。
また、手書きのお便りや連絡帳、食育に園舎の清掃、最近はコロナ対策の除菌や消毒、行事前には掃除や小道具の準備などなど。膨大な仕事を抱えているわけです。
管理者の先生は加えて書類の作成や人事厚生、保護者対応などなどなどなど、あげれば本当にキリがないです。
実習の巡回に伺うと、園の自慢をたくさんしてくれて、それなりに感心するわけですが、一方で先生方の負担が心配になったりするのです。
ではどうすればこの問題を解決できるのでしょうか。

足し算だけではダメ。引き算も取り入れた仕事を!

社会のニーズは増す一方です。保育施設あるいは保育者に求められることも年々多くなるでしょう。しかし、このまま「あれもこれも」を続けていけば組織は絶対に破綻します(断言)。ではどうすれば良いのでしょうか。

組織でできる仕事の総量は決まっているわけです。例えば1人の先生ができる仕事量が100だとすると、10人先生がいたとして、その園でできる仕事の総量は100×10で1000ということになります。しかし、先生方一人一人がキャパオーバーを続けていると1人120くらいの仕事量になり、仕事量は1200になります。あふれた200は「無理をしている」部分です。この無理をしている200が500になり、800になり、1800になったりすると、その園は崩壊します。保育者の離職や病気、園内の人間関係の破綻などが確実に生じます。
ここで求められるのは、もし1200に至ってしまった場合はどこかで200を引いて、1000に戻さなければならないということです。
具体的にはどういうことでしょうか。
例えば、先生方が心をこめて作っている運動会の大道具。去年のものをリメイクしても良いのでは?壁面装飾も使い回しは罪ですか?
ICTもうまく使えば時短の武器です。
このようにして、「何か新しいことをしよう」(足し算)とする場合、「では○○はやめよう」という引き算を必ずセットで考えなければ組織は回りません。
逆にいうと、しっかり「引き算」を考えることで先生方の負担感をうまくコントロールすることができます。結果、先生方は心身ともに健康で、子どもに目一杯の笑顔を向けることができるのではないかと信じています。

しかし、課題もあります。それは、若手の先生から「引き算」を提案できないことです。やはり引き算は管理者の先生が積極的に考えなければならないことだと思います。たとえ現場の先生が「あれもしたい、これもしたい」と言ってきても、管理者の先生は保育者の負担感、健康状態、保護者のニーズなどを総合的に考えて「引き算」は必ず提案すべきです。すべては子どものためです。

積極的に「助けて」を言える職場を目指して

そうは言っても、やはりしなければならないことは次から次に押し寄せてきます。本来保育者がしなくても良い仕事も保育者が行っているものはないか、もう一度点検し、どうしてもできないものは積極的に地域に「help!」を言えることが大事だと思います。
先日、ある保育施設では運動会を前に先生方が草取りをし、石拾いをしていました。パートの先生とは言え、やはりその仕事に先生を使うのは勿体無いと思うのです。そこで、地域のボランティアさんを積極的に活用することを考えてみてはどうでしょうか?

ここで(突然で恐縮ですが)私の祖母の話をします。私には自慢の祖母がいました。すでに亡くなりましたがその祖母の家の近くに保育園がありました。祖母は若い頃から働き詰めで苦労も多かったので、のんびり余生を送ってほしいと思っていたのですが、そこは「働き者」の血が騒ぎます。自宅前は大根、じゃがいも、ニラ、豆、自宅裏では椎茸まで栽培していました。しかし、働き者の祖母のエネルギーには余力があり、とうとう近所の保育園の除草まで始めてしまいました。たしかに田園地帯にあり園の周囲は草ボウボウだったんですけども。祖母はせっせと保育園の草刈りを続けたのです。もちろん保育園から依頼があったわけではありません。登山家が思う「そこに山があるから」と同じように「そこに草があるから」私の祖母は草刈りを続けたのでした。
ある休日、その保育園では運動会がありました。
私たち孫は大きくなっており、その園とは何の関係もなかったのですが、その日、祖母の姿が自宅にありません。
外を見ると、なんと祖母は運動会中の保育園の「来賓席」に着席していたのです。そう、PTA会長とか町内会長とか偉い人が座る席に、祖母は「草刈りのおばあちゃん」として座っていたのでした。
なんとあたたかな保育園なのでしょう。
私はこんな祖母が本当に大好きでした。

高齢化社会の昨今、地域には元気な高齢者がたくさんいます。高齢者に限らず、人間は「ありがとう」をたくさん言われることで「生きがい」を感じます。ぜひ、地域のみなさんに声をかけ、環境整備を手伝ってもらい、先生方の仕事の「引き算」をしてはいかがでしょうか。その際はぜひ、行事の来賓席は多めにご準備くださいね。

まとめ

現場も知らずに勝手なことを言って申し訳ない思いもあります。しかし、この「引き算の仕事術」は今の私が最も大事にしている仕事法です。真面目な人ほど引き算が苦手です。目一杯仕事をした後でも手作りの夕食を作らなければ、と思ったり…。でも、仕事で100の力のうち100を使い果たしたなら、夕食は冷食で、もありだと思うのです。前回書いたように、私も(自分で言うのもなんですが…)真面目な部類で、休日には子どもと遊ばなきゃ!と疲れた体に鞭打って、子どもと遊ぶ時間を無理やり作っていました。でも今はどうしても仕事が忙しく力が残っていない場合は「お父さんお休みします」宣言を発出します。
「あれもこれも」は無理なのです。「あれかこれか」を考えてほしいのです。
そしてまた、元気な身体、元気な心になってそれぞれのお仕事に行ってほしいのです。
今日も長文を読んでいただきありがとうございました。

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