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愛とは言えずと風は吹く

Bitter & Sweet chocolate

「あげる」

そういって彼がくれたものは、ぱきんと半分に折ったチョコレート。

特に高級ってこともない、明治のファミリーパックに入った小さなビターチョコをさらに半分にしたそれは、真冬なのに口の中ですぐにとろりと溶けて消えた。

職場の裏口から出たところにある、風がぴゅーぴゅー吹き込む喫煙所にはプラスチックの椅子がみっつあって、その上に座布団よろしく発泡スチロールの箱の蓋が置いてある。
お世辞にもキレイとは言えないその場所に向かい合わせで座って、ふたりでチョコレートを食べながら何でもない話をする。
ふたりとも煙草は吸わないから喫煙所はただふたりでサボる為の集合場所で、「行く?」って目配せでわかり合ってる感じが自分を特別に思わせてくれる。
秘密のデート。
もっとも、デートなんて不埒な事を考えてるのはきっと私だけなんだけれど。

「あー、チョコ。美味しいね」
「いいよね。チョコ」
もぐもぐ。

せっかくふたりになれる僅かな時間なのに何故気の利いた事のひとつも言えないのかなどと思いながら、少し色素の薄い彼の目が、笑うたびにくしゃっと緩むのを眺めていると「LINEで何時間もやり取りするより、5分間だけでも会って直接話すほうがずっといい」と言っていた意味がすごくよくわかる。
彼に言いたいことはもっと沢山あるような気もするけど、意味があるのはきっとこの時間なんだと思った。

午後8時

ともかく、その短いデートもどきは私をやる気にさせるのに必要不可欠な条件になっていて、たまに忙しくてそこに行けない日などは傍目にもわかるほどガッカリしてしまうか、逆に妙なテンションになって「今日も元気ねー」なんて言われてしまったりする。
我ながら単純かつ情緒不安定だな。
会えた日も会えない日も、小さな思い出を積み重ねた成分を身体に満たして頑張っている感じ。
結局のところ、身体にも心にも効く薬ってサプリでも処方薬でもない。

(じゃあね)
(お疲れさま)
今日は入れ違いの勤務だから、先に帰っていく彼と部屋の窓越しに口のかたちでサヨナラをしたあとホッと気が抜けたようになって暫くデスクに座り込んだ。

仲はいいけど。
それだけ。
時々言い聞かせていないと。
時計を見ると午後8時を回っていて、私は遅い夕飯を食べてそれからちゃんと仕事をした。

Tattoo

彼とは夏に3回だけ寝た。
最初はお酒の勢いだった気もするけど、私はその時点ですでに日常の彼に惹かれている状態だったし、お酒のせいにしてその誘いに飛び乗ったのだった。
飲み会を抜け出したその足で、乗ってきた自転車を飲み屋の前に置きっぱなしのままホテルへ飛び込んだものだから、同僚からの着信が凄いことになっていたけれど気がついたのは朝になってからだった。

後先を考えずに本能のままに行動するなんて何年、十何年、いや何十年ぶりだろうか。
27歳で背中に小さなtattooを入れた日も、こんな風に勢いにまかせていたような気がする。
彼の身体にもいくつかのtattooがあって、なんとなく心の中で燻っているものを持っている、それがふたりを結びつけた小さな共通点だった。

Dad

彼は時々、家での出来事も話す。
彼の小さな子どもたちがどんなふうなことで笑うのかというようなことを。
そんな話を嬉しそうにする彼に見えない線を引かれている気がして少し複雑な気持ちを抱きながら何と言えば正解なのかわからなくなってしまって、だけどもそんな事は気にもしていないという風に「かわいいね」と笑ってみたりする。
いい歳をして子どもみたいだ。
「正解とか」
鼻で笑っちゃう。
そんなものはないし、気を使ってまで守るべき関係がふたりにあるとは思えないのに。

男の記憶は上書き出来るのに、恋愛はいくつになっても上手くならない。これは私だけなんだろうか。
毎度誰かを好きになるたびに、「今ならわかる」とか「今ならうまくやれるのに」といった前の恋の教訓などなんの役にも立たないことに愕然とする。

そもそもこれは恋愛なの?
いや、私にとっては紛れもなく好きだという気持ちに基づく日々なんだけれど。
彼にとってはどうなのか、なんてことを時々考えるけどきっと聞くことはないだろうし、なにより恋をしているなどということは誰にも悟られてはいけないのだ。
けっこんをしている。
それが人の心の動きまでは抑えることが出来ないということはとうに知っていることだけれど、やっぱり、人に堂々と言えるだけの信念などない。

the end of world

はじめて会った日のことはまるで覚えていないし「池袋で飲み屋を出たらたまたまそこにありました」みたいなお誂え向きのラブホテルの場所さえ、もう一度行けと言われたとしてもまるで思い出せないのに、やたら青い室内の照明とか、冷蔵庫の中の一番小さいエビアンが300円もしたとかいうことは今でも鮮明に覚えている。

「好きでもどうしようもないよね」

あの日どっちが言ったんだったか、それがふたりの総意になった。
青い光がチラチラと壁の格子細工に反射しているのを天井をじっと見つめる彼の横顔越しに見ながら何を思っていたんだっけ。

ともかく、青い部屋を出た日から私達には何もない。
ただ、私達の世界の隅っこでチョコレートを半分こにして食べながら笑っているんだ。
まるで夏の日の出来事などなかったかのように、お互いの心の底は決して見せないで。

ワタル

全く、女とはセックスごときでというけれど、肌を合わせれば執着心は生まれるものじゃない?と思う。
男友達のワタルにそう言ったら「いや、男は逆だよ。たいていはもういいかってなる。まあ、同じ職場とかなんだったらヤり捨ては感じ悪いかな位は思うから暫くはいい顔はするだろ。まあ、何があったかは知らんけど。俺は、だよ。それこそ言いふらされたらたまんないからな、優しくはする。でもその先はなし。で、ほとぼりが冷めるのを待つ」
ぐう。
「でも」
私の反論を遮ってワタルは続ける
「そいつ、妻帯者なんだろ?しかも子持ち。大方セックスレスとか…。お前とはたまたまタイミングだったんだよ。ラッキー位に思っとけばよくないか?嫁の作った飯で出来てる身体に抱かれるなんて勝利じゃん、な?」
ワタルのバツイチの原因は「やっぱまだ遊びたいから」とか言っていたけど、違うよな。
嫁の作った飯で…か。その発想はなかった。
ワタルは否定も肯定もしないけど、だけどやんわりとキッパリと、私がそういうことだろうなぁとぼんやり思っている事を言う。
「お前は」
「俺もだけど。相手の行動の意味に自分の願望を反映させちゃうんだよな。だけど自分が思うほどの意味なんてない。いや、あるのかもしれないけど、あったとしてそれ知ってどうすんの?お前今の生活捨てんの?」
ワタルはボトルに残っていた最後の焼酎を私のグラスに注いで次のボトルを注文すると笑いながら言った。
「まあ、とりあえず飲めば?」

calendula

相手の行動の意味に自分の願望を反映させる。
例えば分け合ったチョコレートに。
出かけた先で買ってきたというちょっとしたお土産に。
異国の家族が送ってきたから、とくれたキンセンカの香りのするクリームに。
CALENDULAの意味がわからなくてGoogleで検索した話をしたら
「すぐに検索するよね」と笑われた。
バレてる、そんなことも嬉しかった。ちゃんと見てくれている、という願望。

ところがそのクリームを仕事で荒れて乾燥した手に塗っても潤わない。
おかしいな、とまた塗り込める。
余計に乾く気がする。
それもそのはずで、そのクリームはbaby用で、あせもとかおむつかぶれなんかに使われているものだったから。
彼の家族が、彼の子どもたちのために贈ったもの。
確か沢山送ってきたって言ってた。その話をした時に赤ちゃん用だから小さい子のいる友だちに分けてあげるように言われたんだよね、みたいな話をしていたのを思い出した。
それに気がついた時、私はカサカサに乾いた手を見ながらひとしきり笑い続けた。
私って馬鹿だな、ホントに。
馬鹿だなって思いながら、それに気がついたことは言わないでおこう、と決めた。
願望は、風船みたいに脆い。

Kiss&Cry

彼はいいにおいがする。
それは本当に近づかないとわからない、仄かな、けれど恐ろしく官能的な香りだ。

客観的に見れば、彼は「慣れている」
女というものに。
私はと言えば「慣れているように見える女」だ。
男というものに。
だからこんなふうになってしまったんだろうか。
そんな事を考えながら、喫煙所に続くドアを開ける。
私に気がついてくしゃっと目を緩ませて彼が笑うと、私はなんだか何もかもどうでもよくなってトスン、と向かいの椅子に座った。

「あげる」
私はそう言って、チョコレートをぱきんと半分に折って渡す。
今折ったチョコレートに私は意味を持たせているのかな?なんてことをチラリと思いながら。
それからちょっとだけ彼に顔を近づけて彼のにおいを確認すると、ふ、と彼の顔が近づいて思いがけず甘くて苦いチョコレートの味が返ってきた。
見透かされてる。
慣れてる男すごい、なんて冷静にも考えながら私の心は喜んでいる。
慣れているように見える女は見事に転がされる。

「これって…サイテーだね」
ふたりで笑った。
それを見た冬の風が、呆れたようにぴゅう、と吹いた。


©JUNKO*

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