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SDGsから考察する「マグロ」の研究レポートその4

マグロの味の「派閥」

 マグロの味は多く食べる餌の状況にも左右されるとも言います。
津軽海峡は、九州で黒潮派対馬海流派にわかれて北上した
マグロが出会う場でもあり、
同様に日本海岸を進んだ真イカと太平洋岸に回遊する
サンマとイワシがまじわい、
二派に別れたマグロがそれらの餌をむさぼる場でもあります。

 9月すぎから11月、サンマに脂がのり、
真イカのゴロはまるまると太る頃から、
それを狙って集まってくるマグロは最高に旨みを増します。

イカやサンマがまるまると太れば、
それだけ濃厚な旨みを持ったマグロが旬になるというわけです。
よく、大間のマグロは青みのサンマをよく食べるから脂が多く、
戸井のマグロはイカをよく食うので旨みが濃いと言われますが、
正直言うと津軽海峡のマグロは、
どっちも食べてるから旨いんだと強く主張したいものです。
だって、マグロ一人一人に
「なに食べてきた?」なんて聞けないでしょう

マグロにも「旬」があります

 津軽海峡西部の松前・江良・吉岡・三厩のクロマグロは、
9月までの夏場においてはまだ餌が豊富ではなく、
マグロ自体が餌探しで消耗している状況が多く、
獲れても痩せた状態が多いと言われています。

これは、餌になるイカやサンマ、イワシなどの状況に左右されるので
一概には言えませんが、そういう傾向があるそうです。

ところが、一転して海水温が下がる1月頃になると、
今度は下りマグロが獲れはじめ、ほかにはない魚体も大きく、
脂ののった旨いマグロがよく揚がるようになるようです。
こういう点では海峡と日本海マグロの
両方のチャンスがあると言うことでしょう。

日本人はいつからマグロを食べていたのか

 ところで、ここまでマグロの「今」を調べていくうちに、
もっと知的な好奇心が湧いてきました。

人は勉強すると好奇心が湧いてくると言うのは本当のことです。
だから、子どもは「得意な科目」をうんと勉強させた方が、
学力は伸びるのかな?そんなことを考えてしまいます。
ま、この話題はほかの機会にしますが、私が感じた疑問は、

「日本人はいつからマグロを食べていたのか」なのです。

 なぜなら、このようにテクノロジーや職人技で
支えられているマグロの味は、いったいいつから
日本人は知っていたのか、
ましてや、なにも処理しないマグロを食べていたのか
という疑問に突き当たりました。

 私自身、このようにデリケートな食材であるマグロは、
意外と明治あたり、ヘタすると昭和になってからなのかも知れないな
とタカをくくっていました。

ところが、さにあらずでした。
じつは、道南一帯の縄文時代の遺跡や貝塚から、
鮭、マグロの骨が出土しているんです。

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つまり、縄文時代からマグロは食材として食べられていたし、
津軽海峡や噴火湾には豊富にマグロが棲息し、
それを獲って食料として人々は暮らしていたわけです。

ですが、おそらくは、縄文時代の丸木舟で、
たまたま獲れた小型の若いマグロを獲っていたと考えるのが妥当でしょう。

あの巨大なマグロは、
おそらく丸木舟で獲るのは不可能だと考えられますからね。
この頃は生で食べたとも考えられますけれど、
兜焼きのように丸焼きにして豪快に食べたのかも知れません。

マグロはもともとは「下等魚」だった

 平安時代に制定された「延喜式」
(=今で言えば「法令・規則」のようなもの)
には、マグロはいわば「下等魚」の部類として表されています。

しかし、この根拠は仏教の影響によるもので、
この頃の魚は白身魚が上物で、言ってみれば
血の匂いがする獣肉に近い赤身のマグロは
むしろ下手物げてものに近かったのかも知れません。

しかしながら、ときの帝にも出された食材であったことは、
記録があるからには確かです。
ただ、この出し方はあくまでも
なますとして料理されたものであったことがわかっています。

江戸時代には、駿河湾でのマグロ漁の詳細な文献も見られるように、
漁業技術が発達し、マグロ漁が盛んに行われ、
一般的にマグロが食べられるようになってきたようです。

 巨漢のマグロが大量に獲れるようになると、
一回ではとても食べきれません。
ですから、どう長持ちさせるかの知恵が生まれます。

マグロを美味しく食べる工夫は江戸時代に生まれた

 江戸時代に生まれた知恵は醤油につけること。
言ってみれば「ヅケ」です。
江戸時代のマグロの食べ方の主流は「ヅケマグロ」だったわけです。

 ところが、今珍重される「トロ」
脂が多くてすぐに傷むから、ヅケには不向きです。
だから、江戸時代のマグロはヅケにならないトロは、
なんと捨てていました。
「トロ」が復権するのは、
冷凍技術が進んだ昭和になってからのことです。

今では高級品のトロは、
明治・大正期にはいわば「下手物げてもの」で、
マグロと言えば「赤身」だったのです。

トロが高級品になったのも「技術力」

だから、寿司屋でも高級店は赤身しか出さない。
逆に大衆店の屋台の寿司屋(今で言えば回転寿司)
なんかが「トロ」を握って出していました。

ですが、昭和に入って冷凍技術が発達すると
脂がのった「トロ」の人気が急上昇したというわけです。
マグロの好みにも歴史があるわけですね。

まとめ

 ここまで一般論でレポートしましたが、
マグロは本当にさまざまな「偶然」で成り立っていると痛感しました。
マグロの味や生産工程ばかりでなく、
実は「流通技術」もあるのだと言うこと。

そこまではレポートできませんでしたが、
たとえそこの漁港で揚がったとしても、
適切な工程で処理されたと認められなければ
「ブランド」にはなり得ないという事も、
実は漁業の世界は「経済学」の世界でもあるのだということ。

そして、その味は様々な「縁」によって
実に偶然にある味であること・・。
まさに、食に対する「ありがたさ」を実感いたしました。

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