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「古事記」をエロく読んでみる・・(コラ!)

さて、万葉集にあったように、日本の古代の方がたは
きわめて「おおらか」であったことが感じ取れます。

そこで、特別編として
「古事記」のさわりをご紹介いたしましょう。

古事記には「国造り」のくだりがあります。

伊耶那岐命イザナギノミコト伊耶那美命イザナミノミコト
の二柱の神のエピソードです。

 其の妹伊耶那美命を問ひて曰ひしく
「汝が身は、如何にか成れる」といひしに
答えて白ししく、
「吾が身は、成り成りて成り合わぬ処一処在り。」
ともうしき。
爾くして、伊耶那岐命の詔ひしく
「吾が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。」
故、この吾が身の成り余れる処を以て、
汝が身の成り合わぬ処一処を刺し塞ぎて、
国土を生み成さむと以為ふ。生むは奈何に」
とのりたまひしに、伊耶那美命の答へて曰ひしく、
「然、善し」
といひき。


【現代語訳】

 パートナーのイザナミに質問してみた。
「君の身体はどんな形をしているんだ?」
イザナミは答えた
「あたしの身体は出来てはいるんだけど、
出来ていないで、何か足りないところがひとつあるんです。」
といいました。
 するとイザナギは、イザナミに提案した。
「私の身体は出来てはいるが、よけいなものがで一つ出っぱっている。
そうだ、私の出っ張りを、そなたの足りないところに突き刺し
ふさぐことで「国造り」をしようと思うが、どうだい?」
「はい、いいですよ。」
と言った。


 ・・・・
伊耶那岐命と伊耶那美命のカップルは、
あるとき天地が別れたあとに、
初めて生まれた「性」を分かつ(男と女)神です。

このカップルには、混沌とした天地に
「国」を作る特命を神から受けていました。

二柱は天の橋の上から作った「オノゴロ島」に降り立ちます。
 本格的な「国」を作れと、特命を受け、「人のかたち」として、「男と女」の姿になったのです。

 その描写が、イザナミは、何か足らないよ。
イザナギは、何かよけいな出っ張りがある。
と言うのです。
 これは、小さいころ男の子と女の子が何もわからず
「性器の違い」に気づくようなシーンを思い浮かべます。

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 さて、お話を戻しますと。
イザナギとイザナミは、「国を作れ」という命を受けたものの、
「どうしていいかわからない」のです。
これを「子孫」と置きかえれば
なんとなくわかってくると思います。

 そこで、イザナギが思いついたのは、
身体が出来てきたが、イザナミは一つ足りないところがあり、
自分にはよけいな出っ張りが出来ている。

 じゃあ、その出っ張りを、
出来ていないで穴になっているところにいれたらいいんじゃないか?
 と、イザナミに提案するのです。

すると、イザナミは「いい考えだ、そうしましょう」と承諾します。
 で、日本初の「男性器と女性器の結合」が果たされるわけです。

ここにはまったくエロチズムは感じられません。
色気の色もなく「結合」するわけです。
そして、ばんばん「子どもを作って=国産み」をしていきます。

 ベッドでやったら何の神、次は何の神と
イザナミはイザナギの子ども=国ツ神を生みまくります。
このことを古事記はあっさりと
「ベッドでやってこの神が生まれた」と淡々と記述しています。

ところが、このことについて
「後付けの解釈」がきっちり行われておるのです。

古事記成立の8年後にまとめられた「日本書紀」には、

遂に合交せむとして、其の術を知りたまはず。時に鶺鴒有り、飛び来たり其の首尾を揺かす 二神見して学び、即ち交道を得たまふ

 、イザナギとイザナミは、セックスのしかたが、まったくわからなかったのです。 そこに、セキレイが飛んできて、長い尾を上下に振ったのを見た二柱は、セックスのやり方を知ったのです。

 成りなりしものをいれただけではダメで、
ちゃんと腰を振らないことには、
出来ないことに気づいたというわけです。

 で、もう少し掘り下げると、
セキレイの動きをまねしたとなると、
このセックスは「後背位バック
で行われたと考察できます。

 すなわち、イザナギの「余れる処」が、
イザナミの「合はぬ処」を刺し塞ぐのは
後背位で行われた。ということになります。

 ただ、日本初のこの夫婦の初産の子は流産に終わります。
しかし、試行錯誤の上たくさんの「国つ神」を生みますが、
最後には、黄泉国に行ったイザナミが醜く変貌した姿を見て、
この二人は結局離縁することになるのです。

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