見出し画像

文筆家そしてモノガタリストとしてのご挨拶

私は何者でもありません。

林海平(はやしかいへい・Lin HaiPing)という名前は日本でのペンネームであり活動名です。

私は、これまで複数の会社を20年以上にわたり日本と中国で経営してきました。恥ずかしながらいい時もありました。ですが、経営能力がないということを20年以上かけてようやくわかった愚かなものです。

直近ではプロデューサーとして中国と韓国のテレビ、ネットで放映配信されたアニメ(プリプロは日本人による中国のオリジナルアニメ作品)を作ってきました。その流れでアニメの企画制作やIP(版権)の取り扱いなどをやってきましたが、コロナ渦ですべての仕事がなくなりました。

それ以降しばらくひとつも仕事が決まらず悶々としていましたが、最近になって人生をリセットするいい機会だと頭を切り替えました。そして、いろいろと試行錯誤していたら、これまで学んできたことを自分なりに体系立てて、ひとつの「人文知」(人文学的な知識と知見)としてまとめたいと思うようになりました。

ただ、さすがに年を取ってきたこともあり、根性とかやる気とか人として何とかとか先入観や思い込みによる思考停止に自覚症状があるので、一から学びなおすことにしました。学びなおしながら文筆家そしてモノガタリストとして、第二の人生を歩むことにしました。


文筆家として

中国では、政治や宗教問題には触れず、主に日本の文化について、更新頻度は少ないですが、実名・顔出しで「知乎」というナレッジサイトで記事を執筆していて、3000人弱のフォロワーがいます。これは自慢ではありません。中国のネット人口は日本の10倍以上ですなので、ため息程度の影響力しかありません。

ですが、私の記事はまるで面白くないないのですが、それでも私が「日本のこと」について書くと反論もあれば、賛同もたくさんあり加熱します。ときにはえらく炎上したこともあります。

中にはフォロワーさんから日本の歴史や文化についてもっと詳しく書いくれというストーカーばりのリクエストを一日に10以上の連続メッセージをいただいたこともあります。

または近現代における具体的な日中の歴史事件に対しての、私の見解をストレートに聞いてくる人もいます。とにかく中国人は議論の熱量がめちゃくちゃ高いです。

それに対して、noteの言論空間はとても優しいと思います。自由に書いていいと思わせてくれるのがnoteのいいところです。

そういうnoteの環境に甘えて自分の書きたいものを自由に書かせていただきます。内容は特定の分野は設けず、思想・哲学・宗教・サイエンス・テクノロジー・社会・教育・言語・ビジネスなど多岐にわたりますが、「人の心と感性」をベース(趣味)に丁寧を心がけ、「人文知」を高められるような文章を書いていきたいです。

私は書くのが遅い方で、学びなおしたり、調べたりする時間もちゃんと取りたいので、記事を大量生産することはできません。かと言って、記事の更新頻度も気になるので、「人文知」とはほど遠い、日々気づいたことや考えたことも、日記やエッセイ風に気軽に書いていこうとも思います。


モノガタリストとして

「モノガタリスト」は、「物語+ist」のことで私が勝手に作った造語です。簡単に言うと、「物語の担い手」です。

モノガタリストは必ずしも物語を作る人や語り部だけではなく、物語を伝える人、物語を語り継ぐ人、物語に心を動かされた人を包括するのがモノガタリストです。


そして、物語を中心に世界を捉えなおそうとする考えを、私は「モノガタリズム」と言っています。モノガタリズムも造語で、「物語+ism」の合成語です。


物語というと小説や映画などの作品の世界の物語と思われるかもしれませんが、現在のような作品としての物語の歴史はそれほど長くなく、物語はもともと小説や映画などの作品の枠にとどまる個人的なものではなく、人々の共有のものとして機能していました。

物語とは文字通り「物を語る」ことで、もともとは語りがベースの口承物語で、長い歴史があります。ギリシャ神話は紀元前8世紀頃に遡ると考えられていますが、そのギリシャ神話に出てくるアテナはアテナイというポリス都市を守る神であり、共同体のアイデンティティでもありました。


また、世界には今でも長い間語り継がれている大きな物語があります。例えば、ひとつは万物の創造主たる神の物語であり、ひとつは世界の中心は中原とする中華思想の根拠となる物語です。

この二つの大きな物語の表舞台では、経済戦争や軍拡競争が起こっていて、見事に世界が分断されているのですが、モノガタリズムの視点からすると、グローバリゼーションの時代になった今でも、物語の違いを共有できない人間の不器用さが浮かんで見えてきます。


続いてこんな見方もできます。

敗戦国となった日本。焼け野原となった土地に生きる人々は国に裏切られ、何もかも失っただけでなく、信じるに値するものまでもなくしてしまったことは、戦争を知らない私でも想像に難くありません。

しかしそんな状況下でも、当時の人々の一人ひとりの心の中にある「なんとかなるさという物語」が、戦後の復興と高度経済成長につながったと見ることもできます。

逆に、バブル崩壊から失われた30年と言われますが、その間に人々は目先の情報ばかり見て「なんとかしなければ」というつかみどころのない先入観に囚われ、「なんとかなるさという物語」を見失ってしまったことに、失われた30年の要因があるのではないでしょうか。


このように人の行動の背景には、捉えどころのないものであっても、人それぞれに物語があり、物語が行動に影響を与えていると考えるのが「モノガタリズム思考」です。逆に言うと、モノガタリズム思考は、状況の因果律よりも、人の心の動きや人の行動の動機に寄り添うことなのです。


アニメ制作では多くのモノガタリストが関わります。

シノプシスで物語の原型が生まれ、脚本家によりシナリオが起こされ、登場人物たちがスタートラインに立つ。次に演出家である監督の絵コンテによって、登場人物たちが生きた存在として物語の中を走り回ります。そして、制作スタッフが総力戦で絵コンテをもとにアニメ作品にしてくれることで、私たちは物語に出会い感動をすることができるのです。

宮崎駿監督は、物語・デザイン・演出すべてをひとりで行い分業の必要がないので、シナリオを起こさず、絵コンテのみで制作を進めることは有名な話ですが、宮崎駿監督をはじめとして、多くの優秀な制作スタッフが力を合わせて素晴らしい作品が生まれています。

何よりも、宮崎駿監督が頭を抱えながら物語を紡ぎだし、何度も何度も絵コンテを書き直して、完ぺきな作品を目指していることを、私たちは知っています。そして、納得がいくまで、10回も20回もリテイク(修正)を繰り返して、わずか数秒のワンカットが出来上がっていることも想像がつきます。

もちろん映画の広告戦略やキャスティングをどうするかなども作品の成功を左右します。しかし、モノガタリストはそうした方法論だけを見るのではありません。ひとつの作品が出来上がるまでに、決して諦めず、生みの苦しみに耐えて耐えて作品に向き合う宮崎駿監督と制作陣の姿勢に物語を見出すのです。


こういったお話はアニメなどの物語創作に直結する世界だけに限りません。

ビジネスや組織運営、社会経済活動など、すべてが人の営みです。人の営みから物語を見出す、あるいは人の営みに物語を投影させることがモノガタリズム思考の思考法のひとつですが、ビジネスが人の営みである限り、モノガタリズム思考はビジネスにおいても有益なはずです。

失われた30年はVUCA時代の幕開けでもありました。VUCA時代にはモノガタリストの存在価値は今後増していくでしょう。私はモノガタリストのひとりとして、モノガタリズム思考の価値研究と考察を色々と進めていきたいと思っています。

VUCAという言葉は、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの言葉の頭文字をとった造語です。




サポートありがとうございます!