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雑草の名前。

「雑草という名前の草花はないのよ」

道端にしゃがみ込み、
そこに生える小さな草花に視線を向けながら彼女は言った。

僕が学生の頃付き合っていた彼女は、
植物学を専攻していてやたらと草花の名称に詳しかった。

アスファルトの隙間から葉を広げる草や、
空地の片隅に咲く小さな花、
公園の花壇の花を邪魔するように生える草、

彼女はそんな誰も気に留めないような草花の名前を僕に教えてくれたけど、興味のない僕は、ほとんど聞き流していた。

何度も教えてもらったはずなのに、そのほとんどを忘れてしまって、
草花の名前なんて全く覚えてはいなかった。

「例えばね」
「歴史上の人物や有名な人物、誰もが知っている芸能人」

彼女が言うには、

人間でいえばそんなメジャーな人たちが、桜だったり、薔薇だったり、向日葵だったり、
或いは、檜とか杉とか樫木とか、
誰もが名前をよく知っている草花や草木だという。

そして、僕ら一般の人間が、いわゆる「雑草」。
でも僕らにちゃんと名前があるように、彼ら草花にもにもちゃんと名称があるんだと。
それを誰も知らないだけだと。

「だから私がその名前を憶えて、ちゃんとした名前で呼んであげるの」
「この草は、カキドオシって言うのよ」

デートの途中、公園のベンチに座りながら、ベンチの足元に生えている雑草を指さしながら、
彼女は笑いながらそう話してくれたっけ。

「薄紫の花が意外に可愛くてきれいでしょ」

そんな彼女の横顔を眺めながら過ごすのが、
その頃の僕らのデートだった。


「あなたの名前を誰もが忘れてしまっても、私はずっとあなたの名前を忘れない」
「たとえ私たちが別れてしまっても」

「あなたの顔やあなたの仕草、わたしに伝えてくれた言葉や、その意地悪な性格も」
「わたしは忘れない、あなたの名前と一緒に、ずっと覚えているよ」

「だから、わたしがあなたを、絶対に雑草になんかしないわ」

僕のことを他の誰もが知らなくても、
自分だけが知っている、最高に心地好い木陰を作ってくれる大樹なのだからと、
彼女はそう言って真面目な視線を僕に向け、静かに笑って見せた。

僕は彼女の話す植物に話しには全く興味はなかったけれど、
嬉しそうに草花の話しをする彼女にはすごく魅力を感じていた。


卒業を間近にして、彼女は交通事故でこの世から去った。
大学院にいって専門的に研究するって意気込んでいた矢先のことだった。

彼女の残してくれた言葉。

「雑草という名前の草花はないのよ」

彼女が去ってしまって、僕はもう大樹ではなくなった。
いずれ僕は「雑草」になってしまうだろう。

いやもうすでに雑草でしかない。

でもね、
彼女の笑顔、仕草、言葉、そして優しい声を僕は絶対に忘れない。

僕が彼女を

絶対に雑草にしたりはしない。


「一場面小説」という日常の中の一コマを切り取った1分程度で読めるような短い物語を書いています。稚拙な文章や表現でお恥ずかしい限りではありますが、自分なりのジャンルとして綴り続けていきたいと思います。宜しくお願いします。