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辛い過去も、解釈をリサイクルすれば壁を越える道具になる 第3話【エッセイ】

人によっては、あの頃に戻りたいと思う中学、高校生時代。しかし私にとっては、二度と戻りたくはない時代、それがこの時代にあたります。

※話の中で、親の対応に問題があったと書くことがありますが、親も心理学の知識があるわけでもなく、おそらくは良かれと思ってやっていたことなので、親を責める意図はありません。

1、自殺未遂

中学の入学式からGWあたりまでは、あまり記憶がありません。学校生活をどう考えていたか、クラスメートのことをどう見ていたか、辿ってみても、何があったかも、そのとき感じていたはずの感情さえも思い出せないので、人見知りだったこともあり、慣れない環境で緊張が続き、何も出来事を記憶する余裕もなかったのかもしれません。

中学生活で一番最初に思い出すのは、初めてのテスト。いわゆる中間テストです。なぜこれを覚えているかといえば……結果が散々だったから。

中学最初の英語のテストでは、なんと8点。
50点満点中8点。あとで、成績下位の3人の中の一人として、先生に呼び出しを受けましたが、おそらく、テストを受けていない生徒を除けば、全クラスで最下位は私だったのではないかと思います。英語のインパクトが強すぎて、他の教科の結果は覚えていませんが、これだけは良かったというものがなかったのは間違いありません。

その後も成績の悪さが続いたため、担任の勧めで運動部に入りましたが、成績は振るわず。中学3年になっても勉強はできないままで、3年のときの三者面談で、このままでは高校に行くのは難しいとまで言われ、帰りの車の中では母親に「あなたが勉強しないのが悪い」と言われ、救いのない気持ちになり、ただ俯いて、自分のダメさ加減を脳内で反芻するだけになっていました。反芻思考というやつです。脳内でネガティブを連鎖させて飲まれてしまうこと、ですね。

あなたも経験があるかもしれませんが、反芻思考に陥ったら、そこから脱出するのは中々難しい。マインドフルネスを使えば落ち着けますが、当時はそんなことも知らないわけで、知ってる人も周りにいない状態です。

家に帰ってからも「俺はダメ人間物語」が延々脳内で繰り返され、母親は当然のように家族に面談の結果を話し、私はまた小さくなる……脳内で物語が続いている限り、頑張ろうとか、見返してやるという気持ちは出てきません。深く深く沈んでいき、ある日学校を休んだ私は、布団に入ったまま遺書を書きました。

具体的にどんなことを書いたかは、さすがに覚えていませんが、自分みたいなダメな人間は生きていてもしょうがないから死ぬことにしたとか、俺が死んでも悲しむ人はいないだろう、みたいなことを書いたと思います。そして読み直し、自画像みたいなものを遺書の下に書いて、台所に行って包丁を取り、布団に戻ると、左の手首に刃をあてました。

これで楽になれる。
どうせ誰も悲しみはしない、家族もクラスメートも、誰も……

そんなふうに思い込み、遺書は封筒に入れることなく、枕元に置いたまま、包丁を動かしました。

しかし、切れない。

もっと深くやらなければ……そう考えてもう一度、二度と包丁を動かしましたが、白い跡はついたものの、血が出るほど深く切ることはできませんでした。

「……」

長い沈黙と、擦ったような白い跡のついた手首。
結果的には良かったわけですが、そのときは、誰にも認められず、頑張ることもできず、死ぬこともできない、本当に俺はダメだな……心に広がったのは、そんな思いでした。しかし今思うと、心の底の底で、小さく輝くものがあったのだと思います。

『このまま終わりたくない』

という、小さくも強い光。
そしてこの光は、後に私の人生を変えることになります。

2、愛着スタイルが本領発揮

その後、自分なりに頑張り、結果的に次の面談のときまでに成績は上がりました。ただこれは、テストの点が飛躍的に上がったといった、目に見える結果によるものではなく、ダメなりに頑張っている生徒を、先生たちが評価してくれたのだろうと思います。

成績が上がったことは嬉しかったですが、メンタルが強くなったわけではありません。

自己否定が強いと、褒められても素直に受け取れないもので、本当はそんなこと思ってないはずだ、何か裏がある、本当は心の中で馬鹿にしてるんだ……というふうに、すべてを否定的に受け取ります。担任に成績が上がったことを評価され、褒められても、素直に嬉しいと思えなかったのです(ちなみにこのとき、親や兄弟に褒められた記憶はない)。

簡単にいえば、みんな心の中では俺のことを馬鹿にしている。

という思いが、ずっと心に張り付いているのです。私の中で、馬鹿にされることの行き着く先は、イジメです。小学校のときにトラウマ再来。

それを防ぐために、私はいつしか、自分の本音を見せなくなりました。意識してそうしたわけではないですが、無意識に他人と距離を取り、心に壁を作って、その壁を越えて入ってくることは許さない、もし入ってこられたら、ダメな自分(当時の自分が考える本当の自分)を知られてしまい、またイジメられる……その恐怖から、踏みこんでこようとしてくる人から逃げ、偽りの自分を作り、人に一切弱さを見せなくなったのです。

心理学には、愛着スタイルという考え方があります。言い方は、愛着スタイルについての本やネット記事によって、多少異なりますが、以下の4つになります。

安定型
拒絶型
不安(依存)型
回避型

安定型は、人を信頼し、良好な人間関係を作れるタイプ。
拒絶型は、人を信用せず、独立性を重視し、親密な人付き合いを軽視する。
不安型は、他人に依存してしまうタイプ。
回避型は、拒絶されることへの恐怖から、親しい人間関係を回避するタイプ。

ざっくりですが、上記のように分かれます。私は、拒絶型と回避型が強かったと思います(今でも、回避型の傾向が出てるなと思うことはありますが、気づければ行動は変えられます)。

一言で言えば、怖かったのです。
他人と接することそのものもですが、深く関われば自分のダメさを知られ、相手は必ず自分を拒絶する、誰にも受け入れてもらえるはずがない……その思い込みに縛られていたので、人と深く付き合うことも、本音を口にすることもなくなったということになります。

そんな接し方をしていれば、分かり合える友達などできるわけもありません。友達はいましたが、心の内を明かすこともなく、何を考えてるのか分からないと言われたことは、何十回もあります。分かられたら困る、分かられたら終わりだというのが、当時の私の思考ですから、他人に内面を悟られないという意味で、自分の目的は達成できていたことになります。良いか悪いかは別にして……(笑)

やがて受験のときを迎え、高校には無事に合格しましたが、その間にも、人間関係を隔てる壁は、少しずつ強固になっていったのです。

3、今回のお話で「こうしたほうが良かった」重要ポイント

今回書いた中で、これはこうしたほうが良かったという部分を上げておきます。

母親が私に言った「あなたが勉強しないのが悪い」という発言についてです。

母には悪いですが、沈み込んで追い込まれている人に、こういう言い方は完全にアウトです。相手が子供でも配偶者でも恋人でも部下でも同僚でも同様です。そして、自分自身に対しても。

上記のように言われても、そうだ、自分が悪いんだから、がんばらないと……なんて思いません。

そう考えられる人は、マインドフルに感情を見て、自分を責めることなく、どうすればいいかを見つけて行動します。上記の発言は、ボロボロになっている心に追い打ちをかける行為。やめましょう(笑)

じゃあどうやってやる気出させればいいんだよ、と思われたかもしれませんが、ちゃんとやり方はあります。

それは、質問すること、です。
責めるのではなく、質問する。

まず、自分がしんどいとき、どんなふうに言ってほしいか、と考えてみるのがいいと思います。

今のままでは高校にいけないと言われたときの私も、失敗して落ち込んでいる人も、心のどこかでは分かっています、自分が頑張らないといけないことを。

だけど、頭で分かっていても感情が追いついていない。そこに対して「おまえが悪い」「何やってんだよ」「どうしてくれるんだ」みたいなことを言われたら、さらに追い込まれて、じゃあどうすればいいかを考える余裕はさらになくなります。

だから、感情的に責めるのはアウトなのです。

感情をぶつける代わりに、まずは失敗やダメなところなんて誰でもあると気づいてもらうようにするといいです。

自分の失敗談を話すでもいいし、誰でも知ってる偉人や企業の失敗談でもいいので、失敗は誰でもするし、誤ちも誰もやってしまうことがある、大事なのはそのあとの行動なんだということに気づくようにする。その後に、

「どうすればいいと思う?」

「頑張ったところはどこだと思う?」

というふうに、気持ちが前に行くような質問をします。

前向きに考えようとか、大丈夫だよという言葉は、励まそうとしている気持ちは分かりますが、言われている本人は前向きに考えようと思ってもできないし、大丈夫? どこが? と思ってます。

そこに励ましをかけると、言われたほうはできない自分を責めて、さらに追い込んでしまうことになりかねません。

こちらの質問に対して答えが返ってきたら、じゃあそれをやってみようと背中を押すでもいいし、明らかに無理な目標を立ててるなと思ったら(失敗のあとは無理な目標を立てがち。経験ありません?)、それは無理とは言わず、いいと思うけど、さすがに大変過ぎない? と聞いてみて、実現可能な行動に変えるように導く。

物語でいうなら、親は子供にとって導き手、スター・ウォーズでいえば、オビワン・ケノービやヨーダのような存在になることが大事です。

やれというではなく、気づいてもらえるように導く。あなたは間違っている、正しくはこうだという賢者の姿勢では、人は動いてくれませんし、先程も書いたように追い込んでしまうことにもなります。賢者ではなく、導き手を意識してみるといいと思います。

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