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辛い過去も、解釈をリサイクルすれば壁を越える道具になる 第1話【エッセイ】

はじめに

数年前、私は自分を追い込み過ぎて、鬱状態になっていました(当時は鬱だとは思っていませんでしたが)。不安を消したいのに、いくら頑張っても消えず、頑張ったって何も変わらないんじゃないか、なんで自分はこんなにダメなんだ、なんで決めたことをやりきれないんだ、というふうに、自己否定を繰り返してたいのですから、鬱状態になっても不思議ではありません。

そもそも、最初から無理な目標設定をしていたので、冷静に考えればできるはずがないのに、それぐらいやらなければ変われない、誰も認めてくれない……と、ボロボロの心に鞭を打ち続けていたのです。

その数カ月後に、私はある考え方を知り、心が救われ、徐々に"自然体の自信"も持つに至るのですが、それは本エッセイで追々お話していくとして、興味深いのは、頑張ったって何も変わらないという部分です。

鬱状態に陥った時期から遡ること1年前、さらには5年前、10年前の自分と比べると、私は別人のように変化していて、目に見える環境も変わっていたのに、何も変わらない、変わっていないと思いこんでしまっていたのです。

そしてその思い込みが、ずっと自分を苦しめていたわけですが、その苦しみから抜け出す方法を教えてくれたのが「本」でした。

このエッセイでは、私自身の人生をサンプルにしつつ、何に苦しみ、何が足りなくて、何が私を変えてくれたのかを、私が自分のメンタル改善のために学んできたことを踏まえてお話していきます。

人間は誰でも、まったく同じではないにしろ、似た種類の悩みを経験していたり、持っていたりします。だからきっと、あなたが今悩んでいることや、今に至るまで影響を及ぼし続けているトラウマを解消して、"自然体の自信"をもって生きていけるヒントが得られると思います。

過去にあったことは変えられませんが、解釈は変えられます。そして、解釈を変えれば、辛い過去も、今直面している問題を解決するための道具(アイテム)になります。過去がどうあれ、今の行動は変えられるのです。

白崎 秀仁(しろさき ひでと)


1、家族構成と家

周囲には林、怪しげな家、車が通れない狭い坂道。その急な坂道を登ると、畑が広がっていて、明かりも寂しく、夜歩けば幽霊とすれ違いそうな暗い道。私が子供のころに住んでいた家の周囲は、そんな環境でした。

家族構成は、両親と、兄が二人。私は末っ子です。兄とは、上とは7歳、下とは5歳離れているので、喧嘩になれば、それが口喧嘩でも取っ組み合いでも、まず勝てませんでした。私が小学校一年のとき、相手は中学生と小学六年生ですから、体の大きさも知識もまったく敵いません。

そんな家族とともに過ごした当時の家は、キッチンと風呂場、トイレを除けば二部屋しかなく、5人で住むには厳しい環境下で、子供時代を過ごしました。

2、幼稚園でのイジメ

2歳、3歳ぐらいのときのことは、おそらく誰でもそうであるように、あまり覚えていませんが、幼稚園ぐらいになると、覚えていることもあります。

幼稚園は、いずれ通うことになる小学校と、道路を挟んで向かいにありました。今は駐車場になっていて、幼稚園があった形跡は残っていません。

クラスは色で分かれていて、年少クラスと年長クラスがありました。年少クラスのころ、どういう経緯でそうなったのか分かりませんが、一人の男の子にイジメられていました。幸い? 周囲の子全員が、一緒になってイジメに加わることはありませんでしたが、私は抵抗することなく、やれっぱなしでした。

不思議と、いじめっ子の名前も覚えています。漢字までは分からないけど、フルネームは今でも覚えています(笑)

年長になるとクラスが替わり、イジメはなくなりましたが、友達と積極的に遊ぶというより、一人で遊んでることが多い子供でした。粘土遊びが好きで、しょっちゅう触って何かを作り、家でも触っていました。

内向的な性格は今でも変わっていませんが、今は社交性を身につけているのに対し、その頃はとにかく内気で、人と話すのも苦手、というか、嫌だと思っていたような気がします。他の特徴としては、いい意味でも悪い意味でも素直な子だったというか、我道を行く感じだったと思います。

あるとき、こんなことがありました。

親の知り合いの家にお邪魔したとき、ケーキかなにかを出してもらい、どうやらそれは、その家の子供のためのものだったようなのですが、その家の親御さんに食べていいと言われて、遠慮なく食べてしまうということがありました。子供たちは抗議していた気がしますが、当時は、食べていいと言われたから食べた、という感覚だったと思います。とはいえ、ちょっと無神経な感じですね……(笑)

なぜそんなふうだったのか。
もしかしたら、末っ子だった私は、基本的に何かを争っても兄たちには勝てず、無意識に、もらえるものはもらってしまわないと、遠慮したら何も得ることができなくなる、という思いを持っていたのかもしれません。

自分より強いものが後から来たら、取られてしまうかもしれない。兄たちに、何でもかんでも取られていたわけではないですが、立場的なことから、そんなふうに考えたのかもしれないなと思います。

でもそんな、ある意味怖いもの知らずのような行動をしながらも、私は臆病で、幼稚園を卒園して小学校に上がることに、漠然とした不安を持っていました。

今思えば、その時すでに、幼稚園でのイジメがトラウマになっていて、さらに人が多いところに行けば、また同じ目に遭うと考えていたのかもしれません。そしてこの予感は、後に当たっていたと知ることになるのですが……

その不安と恐怖は、行動にも現れました。
小学一年生になった、ある日の朝の通学路。周りに子供がたくさんいる中で、学校に行くのを嫌がり、道の真ん中で大騒ぎしたこともあります、行きたくないと。本当に嫌だったので、遅刻ギリギリで学校に登校することもしょっちゅうでした。

でも、明確な理由もなしに、行かないという選択肢はなかったし、今のように不登校や引きこもりに対して、一定の理解が得られるような時代でもなかったので、嫌でも行くしかありませんでした。

そんなふうにして、私の小学校生活は始まったのです。

第二話に続く


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