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「短編小説」只者になりたい男

とある理由から「暗殺者」をやめ、立派な一般庶民を目指すことに決めたアカマ。そのために、凄腕の美人暗殺者にある依頼をする。
はたして彼は、普通に生きていくことができるのだろうか?

文字数:約8000。読書時間目安:14分弱。



1 決意?

 今日から俺は、一般庶民だ。もう、殺しはやらない。

 うらぶれた路地を歩きながら、アカマは何度も自分に言い聞かせた。

 数時間前、トムに最終連絡もした。

 もう俺には依頼しないでくれ、と……。

 アカマは暗殺を生業としていたが、悪党しか殺さない主義だった。同様の者も何人かいて、トムはその元締め的な存在になっている。

 裏の世界で信頼される情報屋。さらに、独自のネットワークで暗殺者数名とつながり、依頼を受けて仕事の調整をする役割も担う。依頼者の身元調査や暗殺対象者がそれにあたいする悪党なのか確認を行い、適任だと思える者に実行を依頼する。不思議な人物で、誰もその顔を見たことはない。年齢はおろか、国籍や性別さえも不明だ。

 そんなトムとも、もう関わり合うことはないだろう。俺はこれから、普通の人なのだ。

 しかし、アカマの足取りは重く、表情もふさぎがちだ。

 これまで、まともな仕事はしたことがない。暗殺しか能がないのだ。表向きの仕事はネットを中心に活動するフリーライターとしていたが、実質それで稼いだ金などコーヒー代程度にしかなっていない。

 立派な一般庶民になるために、社会勉強としてバイトも始めた。

 だが、先ほど勤務先のコンビニで、態度の悪い客に対して思わず殺意を感じた。

 たぶんヤクザ者だ。ああいう奴は、後ろから首に手をまわし一気に頸椎をバキッと……。

 いかん、いかん、俺はもう、そういうことはやらんのだ。

 不謹慎な想像を、首を振って頭から追い出す。



 考え事をしていて、前から来た男に肩がぶつかってしまった。

 「すいません」と謝り、通り過ぎようとする。しかし……。

 「ちょっと待てよ、おっさん」

 剣呑な声が聞こえた。3人連れだった。ぶつかってしまった男がこちらを睨み、その後ろで残り2人がぎらついた目をしている。

 あちゃあ、なんでこんな馬鹿にぶつかっちまうかなぁ……。

 「すいませんで済んだら、警察いらねぇんだよ」

 男が言った教科書通りの脅し文句に、思わず吹き出しそうになる。

 「なに笑ってんだ、こいつ」

 男達がズイッと身を乗り出してくる。

 「いや、ごめん、悪かった。かっこいいよ、お兄さん達。だからもう勘弁して」

 「ふざけてんのか、こいつ? ちょっと痛めつけてやろうか?」

 こんな絵に描いたようなチンピラ、いるもんなんだなぁ……。

 「ケガすんのがイヤなら、財布とかカード出しな」

 めんどくせえなぁ、あと3人くらいっちゃってもいいかなぁ?

 (以前の)仕事前の癖で右手首を回しながら考えるアカマ。だがすぐに、いかんいかん、と首を振る。

 すると、男達の後方に、こちらへ向かってくる人影を見つけた。

 ピッチリとしたライダースーツを身につけている、美しいプロポーションの女性。セミロングの髪が風になびき、その美貌が見え隠れする。



 チンピラ達もアカマの視線を追って振り返る。そして、息を呑んだ。

 「な、なんだ? すげえ美人じゃん」

 アカマのことなど頭の中から消えたようだ。美女に歩み寄っていく。

 やめとけ……。

 そう声をかけたかったが、どうせ止めても無駄だろう。

 「お姉さん、俺らと遊ばない?」

 「楽しませてやるぜ、その体ごと」

 へらへら笑いながら声をかけるチンピラ達。

 だが美女は、そんな連中など微塵も気にせずアカマを目指してくる。

 「ちょっと、こっち来なよ」

 1人が美女の肩に手をかけ……ようとしたができなかった。

 サッと素早く身を翻すと、美女は流れるような動きでチンピラ達の合間を縫って進む。途中、彼らの首筋へ手刀を繰り出した。うっとうしいなぁ、とでもいうような表情をチラリと見せながら。

 瞬時に崩れ落ちるチンピラ達。皆気を失っている。的確に頸動脈を打たれたのだ。

 「み、みごとだな、エリカ……」

 ため息まじりに言うアカマ。

 「久しぶり、アカマさん。ちょっと訊きたい事があるんだけど、いい?」

 いい? と確認しながらも有無を言わせぬ目つきだった。

 「な、なんだよ?」

 「トムに聞いたんだけど、なんで私に、自分を殺すように依頼したの?」

 エリカの目つきが更に鋭くなる。

 その迫力に後退るアカマ。空を仰ぐと、月が苦笑しているように見えた。




2 理由

 場所を変えた。横浜港のとある埠頭に来る。

 倉庫に背を預けるようにするアカマ。その隣で、エリカは海を見ている。美しい横顔に思わずため息が出た。

 2年ほど前から横浜を中心として活動を始めたエリカ。噂はすぐに裏社会に広まった。凄腕な上に、若く美しい暗殺者がいる、と……。

 銃火器やナイフの扱い、格闘術まで超一流であるエリカと、トムの采配で以前一緒に仕事をした。アカマは露払いのようなものだったが、ともに完璧と言える仕事をこなし、認め合っていた。

 「説明してもらえる?」

 エリカが横目で睨んでくる。ナイフのような視線だ。

 「わかった。話すよ。俺のつまらない過去も含まれるけど、いいか?」

 無言で頷くエリカに、アカマは大きく深呼吸をしてから話を始めた。

 あれは数ヶ月前の出来事だ。横浜の街中を歩いていたアカマに、突然小さな女の子が駆けよってきた。

 「お父さんっ!」

 そう叫ぶように言う少女。目が合った瞬間に衝撃がはしった。この娘と何か通じるものがあると感じたのだ。

 しかし、覚えがない。いったいなぜ……?



 戸惑っていたアカマに、すみません、と若い女性が声をかける。

 聞くと、少女の名前は愛奈まな。5歳だ。児童養護施設で暮らしている。そして、若い女性はその施設の職員で、愛奈の担当でもある紀枝。

 愛奈はアカマに抱きつくと、またしても「お父さん」と呼ぶ。アカマは戸惑った末に、優しく肩を抱くようにしながら自分から離した。

 「あのね、愛奈ちゃん。おじさんは、君のお父さんじゃないと思うけど?」

 しかし、愛奈は何度も首を振る。紀枝もジッとアカマを見ている。怪訝な表情になって2人を見返すと、紀枝が説明してくれた。

 愛奈は母子家庭だったが、母が病気で亡くなったために「青葉児童ホーム」に入居することになった。彼女が持ってきた荷物の中に、一枚の写真があった。母と数年前に事故死したとされる父が並んで立つものだ。その父が、アカマにそっくりだという。

 おそらく他人のそら似だろう、と言ってその場を後にしようとした。だが、あまりにも愛奈が寂しそうな表情をするので、今度改めて会いに行く、と約束した。

 数日後、ホームを訪れた。赤間晋輔という、フリーライターとして活動する際の名前を受付で告げる。

 中まで行くと、またしても愛奈が駆けよってきた。愛らしく感じたが、自分は暗殺者で、子供と接する資格はないとあらためて思う。

 そこで、件の写真を見せてもらい驚愕した。

 「他人のそら似じゃ済まなかった、っていうこと?」

 エリカが初めて質問してきた。

 「ああ、実はな……」と言って更に説明を続けるアカマ。



 そこに写るのは紛れもなくアカマ本人だった。そして、隣りに立っているのは、以前パートナーとして暗殺活動をしていた、ナミという女性だ。

 組んで命がけの仕事をするうち、お互いを想いあい、愛しあうようになった。

 だが、まともな生き方はしていない2人だ。

 ある日、ナミは暗殺者を引退し、一緒に普通に暮らしていきたいと言った。

 しかしその時アカマは、大きなプロジェクトに参加していた。財界の大物を暗殺するものだった。なので、今は無理だと応えた。

 すると数日後、ナミは黙って姿を消した。

 しかたない、とアカマは思った。大きな喪失感を覚えながらも、裏社会で生きる者の定めだ、と……。

 「ナミさんは身ごもっていたのね? だから急に一緒になりたいと言った。でも、それを知らないあなたは応えられなかった。その子供が愛奈ちゃん?」

 エリカが更に訊く。

 「ああ、そういうことだ」

 ナミは病気で亡くなったらしい。それもショックだった。

 「ナミさんのためにも愛奈ちゃんを育てようと思った、っていうわけ?」

 「いずれはそうしたいと思っている。だが、今すぐは無理だ。俺は暗殺の仕事しかできない。そんなのが父親になるわけにはいかない。だから、これから修行して、一般人、庶民、一般市民? とにかくそういう者になろうと思った。ホームの事業にもボランティアとして関わろうと思っている。いずれまともになって愛奈を引きとり、実の父親だと言える日を迎えたい」




 「ふうん……」心なしか柔らかな視線を向けるエリカ。「それはわかったけど、なんで自分を殺す依頼を?」

 「人間なんて、弱いものだろ? 何かあったら決意なんてすぐ挫けちまう。うまくいかなくて裏社会に戻っちまうかもしれないし、また殺しに手を染めるかもしれない。だから、そうならないように、自分への歯止めをかけたのさ」

 トムへ依頼したのは、今後誰かを殺害した場合、その理由にかかわらず自分を殺させてほしい、ということだった。暗殺者のリクエストはあるか、と訊かれたのでエリカを指名した。

 「なんで私を選んだの?」

 「どうせ殺されるなら美人がいいだろう。暗殺の前にキスでもしてくれたら、なお嬉しいね」

 「今この場で殺してあげましょうか?」

 鋭い視線を向けるエリカに、アカマは震えながら「冗談だよ」と手を上げる。そして続けた。

 「あんたなら、仮に俺が往生際悪くなって反撃したとしても、確実に殺してくれるだろう? 仕事に関する信頼さ、選んだ理由は」

 エリカは肩を竦めた。そして、こくりと頷いて歩き出す。途中振り返り……。

 「銃とナイフ、どっちがいい? あなたを殺すとき」

 「い、いや」ゾクッとしながら応えるアカマ。「即死にしてくれるならどっちでもいいよ」

 「わかった」と応えて去って行くエリカ。

 美しい後ろ姿を見ながら、アカマは背中に冷や汗をかいていた。




3 不穏

 その後しばらく、アカマは自ら社会勉強と位置づけたバイトをしながら、ホームにもボランティアとして訪れ、雑用を手伝った。

 愛奈は彼を見かけると、嬉しそうに駆けよってくる。

 そのたびに胸の奥が疼く。早く立派な一般庶民になりたい、と思った。

 ある日、紀枝に呼び止められた。相談があるという。深刻そうな表情だった。アカマは夜、彼女とともにホーム近くのファミレスに入った。

 席に着く直前、数名が大声で笑いながら通り過ぎる。他の人達のことなど微塵も考えない、傍若無人な連中だ。

 微かに肩が触れた。相手は「チッ! 気をつけろよ」と吐きすてる。

 なんだと……? すぐそこにフォークやナイフがある。素早く手に取り、後ろにまわってうなじに突き刺し、脊髄をグリッと……。

 いかん、いかん……。慌てて首を振る。

 「どうかしました、赤間さん?」

 紀枝が不思議そうな顔で訊いてきた。

 「いや、何でもないです。で、話というのは?」

 「実は……」

 紀枝は、注文や料理が運ばれてくる時以外は話し続けた。

 青葉児童ホームは運営費が逼迫しており、年々存続が厳しくなっているという。今の施設長は、もし立ちゆかなくなった場合、隣の区にある「愛のこども園」という大規模な児童養護施設に、今の子供達を移す事を考えているらしい。

 愛のこども園の方も了承していた。しかしそこは、実は裏で犯罪を行っているという。

 「犯罪って、どんな?」

 怪訝な顔で訊くアカマに、紀枝は声を潜めながら言った。




 「入居している子供達を使った、人体実験です」

 「えっ?!」と思わず声をあげそうになる。

 「愛のこども園は、日の出製薬という大企業がバックについているんです。だから、資金的にも恵まれていて、設備の整った施設を運営できる。でも、その影に隠れて、新薬の実験のために子供を使ったり、もっと酷い事もしているんです」

 「もっと酷い事?」

 「臓器の密売です。病気の手術と偽り子供達から臓器をとり、それを販売している」

 「そんな……」

 唖然とするアカマ。

 「データを調べてみればわかります。あの園の子供達は、あきらかに病気になったり不慮の死を遂げる率が高いんです。でも、大企業がバックについているから、なかなか問題視できない」

 「紀枝さんは、どうしてそのことを知っているの?」

 「私の知り合いに、フリージャーナリストがいたんです。日の出製薬と愛のこども園の不正について調べていて、その過程で私に協力を求めてきました。私も最初は半信半疑だったけど、知るうちに事実だとしか思えないことが出てきて、許せないと思いました」

 「そのジャーナリストは?」

 「一ヶ月ほど前に行方不明になって、二週間後に遺体で発見されました。お酒を飲んで誤って横浜港から海に転落した事故死だと……」

 殺されたな……。

 険しい表情になるアカマ。

 「赤間さんは、フリーライターの仕事をしているんですよね? 同じジャーナリストと言っていいんですよね? 亡くなったその方を引き継いで、私と一緒に調べて不正を糾弾してくれませんか?」

 い、いや、俺は、暗殺業の隠れ蓑として名乗っていただけで、ジャーナリストなんていう立派なものじゃない……と言いたかったが、そんな雰囲気ではない。

 考えておきます、と応えてその場は別れた。




4 救出~暗闘

 それからまた数日後、社会勉強バイトを終えてホームへ行くと、例によって愛奈が駆けより抱きついてきた。

 赤間のおじちゃん、と呼んでもらうようにしている。いずれ「お父さん」に変わる日を夢見て……。

 嬉しそうな顔をしていた愛奈が、ふと不安げな表情を見せる。

 「どうしたの?」

 「ノリちゃんが、いないんだって……」

 大きな瞳を揺らしながら応える愛奈。ノリちゃんとは紀枝のことだ。

 「なんだって?」

 先日の相談内容を思い出し、不穏に感じるアカマ。

 他の職員に確認すると、彼女は無断欠勤しているという。真面目な娘で、そんなことは今までなかった。連絡しても通じない。皆、心配している、と……。

 「おじちゃん、探してみるよ」

 そう言って愛奈の頭を撫でるアカマ。一刻を争うような気がしたので、今日は野暮用ができてしまった、と言ってホームを辞去した。




 先日紀枝から話を聞き、それとなく「愛のこども園」について調べておいた。そこからほど近い場所に、日の出製薬の研究施設があることも掴んでいる。

 そして、万が一何かあったときのために、と研究施設の内部についても見立てをつけていた。暗殺者としてどこかに侵入する際には必要なことだ。

 もう辞めたんだけどなぁ。まあ、誰も殺さなければいいだろう。

 そう自分に言い聞かせ、研究施設に向かうアカマ。警備員もいるし、まだ研究員らしい者達も残っていた。通気口などを利用し、巧みに忍び込んでいく。

 数分後、拉致されている紀枝を見つけた。

 治験室らしき場所のベットに横たえられている。眠っていた。いや、眠らされている、といったらいいのか?

 幸い呼吸や脈拍も正常で、深い眠りについているだけだ。強い睡眠薬を使われたのだろう。

 眠った状態のままで救い出そうと考えた。配電盤を破壊し、研究所全体を停電にする。予備電源が作動するとしてもタイムラグがある。それを利用して、紀枝をコンテナに入れ台車に乗せて、外へ運び出す。彼女を拉致した荒事専門の連中がどこにいるかわからない。迅速に行動する必要がある。

 所内が突然の停電で慌てている間に、近くの公園まで進んだ。まわりは林なので目立たない。

 だが……。




 「おまえ何だ? 只者じゃないだろう?」

 背後から声がかかり止まる。見ると、黒ずくめの男が立っていた。さらに、音もたてずにあと2人現れ、遠巻きに囲まれる。動きに無駄がない。おそらく戦闘のプロだ。

 「只者になりたいおっさんだよ」

 肩を竦めながら応えるアカマ。

 「只者以下の、亡き者にしてやるよ」

 男達がサッと戦闘態勢になる。後から現れた2人はナイフを持っていた。

 うまいこと言うなぁ、って感心している場合じゃないな……。

 アカマも身構えたが、武器はない。

 素早く動く男達、ナイフを繰り出してくる。何とか避けるアカマ。

 最初の男がワイヤーのようなものを鞭のように扱い打ちつけてくると、避けきれず手足に受け激しい痛みがはしる。転げまわって逃げた。

 恐るべき強敵だ。

 何とか1本でもナイフを奪うことができれば……。

 それでもワイヤーの男には勝てるかどうかわからない。殺さないように手加減などできる余裕もない。命がけ……るかられるかの勝負になる。

 勝ったとしても、後でエリカに殺されるが……。

 しかたない。紀枝が無事なら愛奈のことは安心だ。それでいい。

 決意して立ち上がるアカマ。男達に立ち向かおうとした、その時……。




 疾風を感じさせる速さで、誰かが動いた。あっという間に後から現れた男2人の顎を蹴りあげ、それぞれから奪ったナイフを放つ。

 自らの武器が胸に突き刺さり、男達はドウッと倒れた。

 エリカっ?!

 息を呑むアカマ。そう、現れたのは彼女だった。

 エリカが微かに笑う。だがその首に、残った男のワイヤーが巻きつく。

 「あっ?!」と驚き目を見開くエリカ。

 男がワイヤーを引く。

 エリカは首を絞めつけられないように、両手でワイヤーを掴みながら自ら男の方に転がった。

 男の動きも速い。エリカにワイヤーをほどくヒマを与えず、その腹部に膝蹴りを見舞う。

 「あうっ!」と呻き声をあげ倒れるエリカ。

 男は足下の彼女を見ると、ワイヤーを引っぱりながら無理矢理立たせていく。自らの顔のあたりまで持つ左手を上げた。

 エリカは男の目の前に爪先立ちにされてしまった。為す術なく伸びきった体が、ガクガクと震えている。

 もがき苦しむ彼女の顔をのぞき込み、男が残忍な笑みを浮かべた。

 「威勢よく出てきたが、ここまでだ、お嬢さん。今眠らせてやるよ」

 男はそう言って、更に手を上げて締めつける。

 「うっ……くうぅぅ……」

 エリカの呻き声が徐々に弱々しくなる。ワイヤーを掴んでいた両手から力が抜け、ダラリと垂れ下がった。

 男がワイヤーを大きく回し、エリカの体をくるりと反転させた。一気に締め上げてとどめを刺すつもりだ。

 気を失ってしまったのか、エリカの体は人形のように軽々と翻る。

 まずいっ!

 駆けよろうとするアカマ。

 しかし、次の瞬間倒れたのは男の方だった。細長いナイフが胸に深々と突き刺さっている。エリカが好んで使う武器だ。素早く取り出し、反転させられた勢いを利用して放ったのだろう。さすがだ。

 倒れた男の横で、エリカはしばらく「はあ、はあ……」と荒い息を漏らしていた。

 「大丈夫か? かなり手強いヤツだったが」

 アカマが声をかける。

 ふうっ、と一息つくエリカ。「どうってことなかったわよ」と言って顔を上げた。

 「ふっ……。強がりも超一流だな」苦笑するアカマ。「それにしても、なんで俺を助けた?」

「あなたをるより、こいつらをる方が少しは寝覚めがいいと思って」フッと笑う。そして真顔に戻り「あの研究所の主要な連中は、じきに死ぬわ。依頼があってトムのリストに入ったの。だから、安心してお父さんを目指してね」

 そう言ってウインクすると、エリカは去って行く。

 アカマはその後ろ姿に、感謝するよ、と頭を下げた。




5 エピローグ

 数日後……。

 「あの日何があったのか、全然覚えていないんです。赤間さん、私、本当に公園のベンチで寝ていたんですか?」

 紀枝が訊いてきた。

 「あ、うん。たまたま通りかかって見つけたんだよ。良かった、何事もなくて」

 適当に誤魔化すアカマ。愛奈と手をつないでいた。

 「ノリちゃん、お酒飲んで寝ちゃったのかなって言ってたよ、みんな」

 愛奈の話に、首を傾げる紀枝。

 「そんなことないと思うけど……」

 「まあ、いいじゃないか。無事だったんだから」

 アカマが笑いながら言う。詳細を知ってもらうわけにはいかない。

 やれやれ、とにかく殺さず、そして殺されずに済んだな。まだまだ、立派な庶民への道は険しそうだが……。

 空を見上げるアカマ。雲の間に、いつでもってあげるわよ、と微笑むエリカの顔が見えたような気がした。
                                           Fin

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