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元作詞家の見解「学ぶということ」

そこを抜けると明るい学びがある

きっかけ

 生きていれば失敗や挫折は当たり前に付き物です。突然予想もしなかった壁にぶつかり、にっちもさっちも行かなくなったという様なご経験は皆さんにもお有りでしょう。それ程大きなことでなくても、些細なことを長く引きずって本来の力を発揮出来ないとか、次の一歩を踏み出せないとか、
そんなケースもあろうかと思います…仕事でもスポーツでも創作でも…。
 しかしある時ほんの小さなこと、誰かの言葉とか目にした光景や文章とか、そんなものがきっかけとなって沼を脱出出来ることってありますよね? 嘘のように迷いを払い除けて力や自由を取り戻す瞬間、振り返るとそこにはあるきっかけがある訳です。

その一言

 勿論私にもそういった経験は何度もありますが、中でも特に印象深い思い出の一言(きっかけ)があります。
 作詞家の仕事にも慣れて、あれも書きたいこれも表現したいと良い意味で貪欲になる一方で、納得のゆかないダメ出しや制約に悩まされ始めることにもなりました。自信が付いて来たその副産物として、それを感じ易くなったのかもしれません。天狗になるには時期尚早の頃でも、少しずつそれがストレスになり始めたのです。
 あるレコーディング中、唄い手さんがどうしても上手くこなせない箇所があり、そのスタッフから「そこの部分の歌詞を〜と変えて欲しい…意味は変わらないでしょ?」とリクエストされました。その方も相手が二流三流の作家が故に言えたことと思いますが、先ず感じたことは、余りにも突貫リフォーム工事の発注的な心無い物言いへの不快感と、全体のバランスを台無しにしてしまうセンスに欠けた提案への不満でした。若かった私の心中は「単純な言葉並べじゃないんだよ! それよりも簡単な符割りもこなせないお宅の歌手を何とかしろよ」てな感じだったんだと思います。確かその場で考え修正して事なきを得たのですが、丁度そういった際にどこまで謙虚に振る舞うべきか等に頭を悩ませていた時でしたから、胸中穏やかではいられませんでした。そんな思いを、当時頻繁にタッグを組んでいた作曲家の先輩に愚痴ったところ
「プロなんだから自信持ってなら何を言ってもいい、ただ作品は出して、増してやスタジオに持ち込んだ時点ではもう自分の物ではなく世の中の持ち物、詩人として自己満足の世界に生きるのか? プロの作詞家として生きるのか? 考えてみろ。その場の全員を満足させて、最後にその唄い手に下手くそ、もっと精進しろと言ってやれ…笑笑」
そう言われた瞬間に何か吹っ切れて、気持ちが軽くなりました。プロである意味を改めて知った思い出です。
 その後は事ある毎にその言葉が頭に浮かび力となってくれました。若さ故の力みが抜けて、ある意味楽になれました。音楽を離れてからも彼のその言葉を今だによく思い出します。分かち合うと言うか、主張と譲歩のバランス、それを知った瞬間です。
私にとって宝になった学びをくれた一言です。

いつもお読み頂き有難う御座います。

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