『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』より気になった点

 たいへん、面白い本を読みました。

 この本の面白いところは、活動家ありがちの「素晴らしい市民意識の高いドイツ人」という描き方をしていないところです。いかにヨーロッパが進んでいて日本が遅れているかというのは、「自虐史観」だな、と思います。

ビュルガーイニシアティブについて

 日本の社会運動の議論では、「住民運動」と「市民運動」は違う意味合いを持って語られてきました。前者が地域に閉じたもの、後者が開かれたもの。前者が地域エゴによるもの後者が市民意識によるもの、といったように。

 過去の研究ではビュルガーイニシアティブを「市民活動」と直訳し、後者の意味として理解してきましたが、地域住民によるこれらの団体は全て地域の外の住民に開かれていたわけではなく、各組織の戦術によって違いがあったと指摘します(P.48)。

 私達は「市民運動」という日本語の単語を使い、諸外国の類義語を「市民運動」と訳すわけですが、そこでのニュアンスの違いについては敏感でありたいと思いました。

保守的な農民と原子力施設反対運動

 この本に出てくる反対運動の参加者たちは、農村の保守的な農民達です。自立した市民意識を持った人たちばかりではありません。ヨーロッパ人=市民意識というのは、日本の市民運動関係者の持つ大きな偏見の一つだと思います。バイエルン州のオーバープファルツのヴァツカースドルフのタスクエルデナーの森の使用済み核燃料再処理施設反対運動の場合を挙げたいと思います。

 日本の社会の保守性を表すワードとして「お上」という言葉が出てくることがありますが、オーバープファルツの住民もまた同じような価値観を持っていたと言います。

「オーバープファルツの住民にとって連邦政府は、住民を守ってくれる存在であった。困ったことが起これば、「公正な」政府の判断を仰げばよいというのが、住民の認識であった。」(P.173)

 教会勢力と闘ったブルジョア革命のイメージとは裏腹に、ヨーロッパにはキリスト教民主主義を掲げる政党があり、WW2後のヨーロッパで大きな影響を持ちました。

「ほぼすべてがカトリック教徒である。前述したように、そのカトリック教会はCDU/CSUの支持基盤を形成していた。組織としてのカトリック教会は公式には中立を表明していたが、事実上WAA計画賛成の姿勢を示し、反対派住民に圧力をかけ続けた。ただし、組織としてではなく聖職者個人として計画に反対するものは、ごくわずかながら存在した。」(P.151)

 企業と州政府の不当さをお上・連邦政府に訴えるという運動のフレームは、ある出来事で変化します。

 この反対運動には都市から若者たちもやってきました。ヒッピー青年やパンク青年だけでなく、オートノミーと呼ばれた新左翼活動家達もやってきました。農民たちは最初、若者たちに違和感を感じ、特にオートノミーに対しては嫌悪感を感じていたと言います。彼らは建設予定地を16日に渡り占拠し、警察によって強制的に撤去されます。

「それまで監視にあたっていたのは、バイエルン州警察であり、とりわけ地元の警察が派遣される場合も多かった。反対派住民と警官が顔見知りの場合も少なくなく、「警察は友好的」だった。これに対して、この強制撤去み当たって初めて投入されたのが、連邦国境警備隊とベルリンの機動隊であった。地元とゆかりのない彼らは感情を交えることなく容赦なく撤去作業を始めていった。(略)

国境警備隊や機動隊は国家権力の体現であり、地元住民は、この経験を通じて否が応でも国家権力を実感するに至ったのである」(P.179)

強制排除の対象となったのはオートノミーばかりでなく、ヒッピー青年やパンク青年、地元住民までもが拘束される事態となり、住民の認識が大きく変化していったといいます。

下火となる原子力施設反対運動と活動の場を求める反対派の人々

 この調査が行われたのは2004年ですが、1990年代以降、ドイツでも原子力施設反対運動は規模が縮小し、地域でも反対派はマイノリティの存在でした。反対派がマジョリティを占め、高レベル放射性廃棄物輸送の反対運動のあるゴアレーベンに活動の機会を求め連邦各地から参加者がやってくるという話は、この本を読む前には想像しえない状況でした(P.231)。

 この状況は、2011年の東日本大震災による原発事故により一転します。しかし、ドイツの世論が常に反原発であった訳ではないというのは意外な事実でした。

「対決型」の環境運動とナチス・ドイツの経験

 ヨーロッパ諸国というと、社会運動が盛んなイメージがありますが、多くの国では社会運動の体制内化が進んでいると言います。それに対し、ドイツでは今もなお、「対決型」の環境運動が、強い動員力を持ち、攻撃的な抗議活動が一定の支持を得ているそうです。グリーンピースの会員が多いのもドイツだとか。

 70年代のドイツの学生運動の重要論点は「ナチス時代の克服」であったといいます。ナチスの台頭を許した世代の責任を追及するとともに、その追求をする自分達は権威主義に追従しないというメンタリティをこの世代は持っていたということです。

 日本とドイツの過去の戦争への向きい方の違いが、環境運動のあり方にも波及していることに気づかされました。

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