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境界の曖昧な世界で生きるのに必要なこと

「お子さん、何歳ですか?」

30代に入った頃から、人からよくそう言われるようになった。
そこから、世の中の人は結婚=出産しているという認識が多い人が実に多いことに気づいたのは30代に入ってからだった。

回りの友人は、クリエイティブな分野の人が多いためか、バリバリ仕事や物作りなど独自の道を進むことを楽しんでいる人が多い印象だ。

自分の大学時代を振り返ってみても、彼氏を作ることよりも、自分が想像する世界を形作ることに熱中していて、周りもそういう人が多かったからか、地元の友人たちとは話が合わなくなっていった。

そんな自分も25歳を過ぎた頃から少しづつ、「彼氏は?」「結婚は?」と人から聞かれることが増えた。

正直、自分のやりたい事を優先して生きてきたので「居ないといけない・・のか」という世の中の見えない圧力のようなものを感じていた。

次第にその見えない圧力が焦燥感となって重く心身にのしかかるようになり、いつしか出会いを求めて合コンに参加するようになり、友人にいい人を紹介して貰うようになっていった。(その過程で今の夫と出会い、結婚に至ったので良かったとは思っている)

付き合っている時から、お互いに子どもを持ちたいとは思っておらず、両親や義両親からも要求されることが無かったため、仕事や趣味など個々の時間を尊重して生きてきている。

そんな自分も、子を欲しいと思ったことはないが、子の居る世界を想像することはある。

しかし、この世に産み落とすことへの不安や責任感、限られたリソースの中で生きていくことへのハードルの高さを考えると子を欲しいという思いにはどうしても息つかなかった。

「子どもが生まれれば、心配無用よ」

なんていう人もいるものだが、あまりにも子どもや投げかけられた人の状況に対して無責任すぎるなと思う。結局は、親の働きに掛かる部分は大きく、夫婦間のコミュニケーションを良好に保つことも中々にハードルが高いのではないのだろうか?

マジョリティのバブルを生きるということ

本題に戻るが、「お子さんは?」という質問に対して、

「あ~うち子供いないんで~」

と軽い調子で答えるのはやめて、

「あ~3歳ですね~」くらいのサラッと軽い嘘をつくようになった。

そうすると、相手もどこかホッとしたような空気になり、

「ああ、こっちの世界の人なのか」

という、その人が無意識に持つ価値観の中に入れて貰えるのだ。

世の中には言葉では表さない、社会が脈々と形成してきた価値観の境界線が沢山ある。それは非常に曖昧で、知らぬ間に自身もその境界線に踏み込んでいることもあるくらい見えないものだ。

大学時代に彼氏・彼女を作って。
初体験は早めに済ませて。
大学卒業したら新卒で良い会社に入って。
30代までに結婚して、子供を生んで。
子育てと並行して仕事もして。
家や車を買って。
子供達が巣立つまでの期間にある程度貯蓄して。

よく目にする広告やドラマなど、社会における「当たり前」とされる価値観が自分の価値観や世界観に影響を及ぼしていると感じる。

巨大なマジョリティのバブルに、マイノリティのバブルが合わさっていくようなイメージだ。

最近になって、「おひとりさま」や「LGBTQ」などにもスポットが当たるようになってきたものの、まだまだマジョリティの方が当たり前とされていて、小さなバブルはパチンと消え去るか、大きな泡に飲み込まれいく。

私自身もマジョリティの世界観の中に気づいたら生きていて、「子を持たない選択」という価値観を意識できたのはごくごく最近だ。

気づいたら飲み込まれてしまうマジョリティのバブルに抗いながら、いかに自分にとって納得感のある生き方が出来るかが大切な気がしている。


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