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東洋医学講座 283

〇脾と思慮

▽脾と思慮の関係と働き

脾と思慮の関係でありますが、思慮とは、文字通り思い憂うること、思慮・憂慮ということであります。いずれにしろ、脾は精神的な問題から切り離して考えることは難しいのであります。思うと言うことと考えるということは少し違いますが、どのように違うかはっきり分けるとなれば、一瞬戸惑うかと思います。根っこは一つであるが故にとくに難しいわけであります。

考えるということは、知恵を使い、腎気を使います。一方、思うということは、いわゆる表面的な働き、つまり感情的なものが多く働いています。思う心をずっと強め、深めると、胸の辺りの気が止まります。さらに思いつめると、胸がつまり、食欲がなくなり、胃の働きが止まります。そうしますと消化器または全身の体液の循環系に影響を及ぼします。そのようの訳であるので、脾体の中の主体である消化性へ響くということであります。

したがって、過度の思慮は消化を損ない、思いつめると不食現象を起こしてしまいます。思いつめても食欲が旺盛な人、つまり、脾・胃の丈夫な脾旺体の人はいいのですが、肝旺体の若者は思いつめると食欲不振に陥ってしまします。

このように、思や慮は消化に深い関連を持っています。逆に言いますと、脾気の生理作用が、思いつめたり、憂慮する働きを持っているということになります。

肝と心は陽遁で、内から外へ発進させていく遠心作用の心理、つまり陽気な心であります。陽気な人は肝旺体か心旺体のいずれかであります。脾は五臓全身に通じているので、陰気と陽気の両方を持っています。また、肺と腎は、沈静する要素を持っているので、性質は陰の閉鎖しようとする働きを持っています。さらに脾は、陰陽を平衡させようとする働きがあるために、陽の発展性の心と、陰の沈思しようとする心が入り交じって、思慮の真理を発生させます。すなわち、思慮とは陽動の心を、心の内の陰内で陰陽往来させている心理作用であります。

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