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雪と朝とわたし...*short story


季節外れの雪だそうだ。
いつか、季節が逆転してしまうかもしれない。
四季がなくなってしまうかもしれない。
夏がなくなれば、あの厄介な蚊や蛾に悩まされることがなくなるのだろうか、と少し考えてしまったけれど。
そうなれば、キンキンに冷やしたビールを真昼間から飲む楽しみや、ベランダで一人静かに線香花火をしながら物思いに耽る、なんて時間も消えてしまうのだろうかと寂しくなる。

そんなわたしは、どちらかといえば冬が好き。
週末、近くのコーヒースタンドの日替わりドリップを片手に、その足で近場のベーカリーまで、マフラーをぐるぐると巻いて顔半分を埋めながら、ゆっくり散歩するのが好きなのだ。
土日休みのわたしは近所の生活リズムと合っている為、早朝の散歩道はとても静かで、たまにどこかから漂ってくる朝食の香りを嗅ぎながら、ポテポテと歩く。

ー今日の豆は、多分君の好きなテイストだよ。
そう言われてコクリと頷き、受け取ったカップを一直線に口元へ運んだ。
ーあ、
香りが好き。
この香りが朝から家中に立ち込めていたら、毎日早起きできてしまいそうだと思いながら、お兄さんにちらりと視線を送り、カップに口をつける。
ふあぁ、と、声にならない感歎にも似た息が漏れた。
ハハッと目を細めて笑うお兄さんは多分、わたしとそれほど歳が離れていない。男性で、眼鏡をかけているから=お兄さん、になっている。
わたしの思考はそんなもんで、だから、こんなにも寒い雪の降る朝にだって、ルーティーンのようにここまで足を運ぶことができているんだろう。

ー今日はこんな天気だし、残っても仕方がないから、ほら、これ持ってって。家になにかしら道具ある?
ひょこっと取り出した、小さな紙袋をわたしに受け取るよう促しながら、
ー今日も絶対来ると思ったし、これ絶っっ対好きだと思ったから。さっき包んでおいたんだ。
まるで、いつもそうしているようなトーンで話しかけてくるお兄さんに少しだけ戸惑いながら、ありがとうございますと頭を下げると、"スキダナァ"という言葉が耳に入った。

ー好きだなぁ、君のこと。



今朝は先週とは比べ物にならないくらいの晴天で、ぐるぐる巻きのマフラーは少し暑く感じるけれど。
この季節が終わることに名残惜しさを感じて、そこに顔を半分埋めながら、今年もちゃんと季節が変わるだろうと安心する。
冬が好きで、散歩が好きで、マフラーの柔らかさが好きなのは、お兄さんに会えるからなんだろうとあの日気付いた。
来週が最後かもなぁと、笑った目元のまま少し寂し気なトーンで言うと、カウンターから出てきてわたしの横で立ち止まる。
お兄さんは、冬にしか現れない。
2年前初めて立ち寄った時に、海外が生活の拠点なのだと教えてくれた。冬だけ、オーナーとしてこの店に立っている。
でもそれも、今年で最後なのだそう。

よくある"今更気付いたって"という言葉が頭に浮かぶけれど、そこに先ほどの言葉が重なって、よく理解できない感情で支配された脳内は、思考をやめてしまったようだ。
向き合ったままのお兄さんは、またふっと表情を和らげて、わたしのマフラーに埋まった頬に手を添えた。

ー君をどうにかしたいと思っているわけじゃないんだ。ただ、好きだなと思ったから。
もう会えないのは、寂しいね。



まだ、辛うじて冬の寒さを纏った風が吹く。少し寒い。マフラーをしてきてよかったじゃない。
いつもの道を歩きながら、ジョギングをするお爺さんとすれ違って、スーツを着て小走りの男性に追い抜かされて、パンの包み紙を抱える近所のおばさんに挨拶をされて。
わたしはいつも通り、あのコーヒースタンドで日替わりのドリップを注文する。でも、ホットはもう終わりなのかもしれない。
だってあのお姉さんには、いつもアイスしか淹れてもらっていなかったから。

ぐるぐると巻いたマフラーを軽く解いたら、いつもよりコーヒーの香りを強く感じた。






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