見出し画像

「手伝う」が苦手すぎる。

例えば、バーベキューで誰かが食材を焼いてくれている時に

「自分が焼こうか?」
「お肉切ろうか?」
「お皿追加しようか?」

と本当は言いたいけど、いつもそれを言えずに結局心の中にしまうことが多い。何でかというと…

自分が手伝うと、絶対失敗する。

と思ってしまうからだ。この恐怖にどうしても勝てないし、現に失敗する自信がめちゃくちゃある。食材をいい感じに絶対焼けない気がするし、お肉もいいサイズに切れない気がするし、お皿も余計にもらいすぎちゃうかもしれない。でもずっと焼いてもらっているのは申し訳なくてしょうがないし、かといって手伝って失敗したらやだし、かといって一言も声をかけずに無視するのも…というジレンマにいつもおそわれて、ただ席でソワソワするだけの変な人になってしまう。

厳密に言えば、「手伝う」のが嫌なのではなく「自分から声をかける」ことが嫌なのだ。もしこれが「長井くん、代わりに焼いてくれない?」だったら、めちゃくちゃ気が楽になる。むしろ張り切る。よっしゃ!気まずい地獄から解放される!役割が与えられる!このバーベキューに自分が貢献できる!!となる。

ただ、自分から「手伝おうか?」と声をかけることは
「私には肉を適度に焼けるスキルがある」
「私には食材を適切にカットできるスキルがある」
「私には皿を完璧な枚数をとって来れるスキルがある」
と同義語になる気がするのだ。そう、”できるからこそ”、声をかけられるのだ。

極端な例を出すと、サッカー日本代表の試合で三苫がピッチで足を痛めて大変そうな時に「あ、俺、代わりに出ましょうか?」と言っているような感覚と近い。「代わりに肉焼きましょうか?」は「代わりに俺がピッチに出ましょうか?」とサッカーボールを一回も蹴ったことがない自分が言っているようなものなのだ。

だから、みんなでキャンプに行くなんてもう最悪だ。「手伝おうか?」のオンパレードではないか。

「テント張りましょうか?」
「火を起こしましょうか?」
「食材買ってきましょうか?」

全部手伝うのが怖い。絶対自分が手伝ったテントは数分後に崩れるし、自分が手伝った火はあっという間に消えるし、絶対にいらない食材をたくさん買ってくる自信がある。

そう考えたら、家事や子育てなんて、バーベキューやキャンプの比じゃないぐらいハードルを高く感じる。もはや「手伝う」なんて父親が誇らしげに言ったらぶっ飛ばされる社会の中で、当たり前にできるどころか、むしろ相手の期待を超える活躍が求められているような気もする。

「手伝おうか?」には、「手伝おうか?」と言えるだけのスキルを身に付ける”準備”が絶対いると思っている。だから、コピーライター養成講座よりも自分は、「家事養成講座」「子育て養成講座」を真剣に検討している。

いつも「手伝おうか?」と自然に言える人を、尊敬のまなざしで見ている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?