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【日本国記】 第二章 10 祇園祭7・日本とは世界で最も特殊な国である ―古くて新しい―   土方水月 

10 京都の祭りは葵祭と祇園祭   祇園祭 7   太秦とギルガメッシュ叙事詩と聖書     土方水月

 祇園祭の主役は牛頭天王であった。秦氏の神であり、八坂神社の摂社である疫神社の神であった。荒ぶる神スサノヲではなかった。疫神社の神はその昔、南方を旅していたという。その様子は祇園祭の山鉾を装飾するペルシャ絨毯に描かれているといわれる。ペルシャつまり今のイランから海路と陸路で東の果ての龍の棲む東海の島を目指したといわれる。これは古事記編纂の太安万侶にも関係する太秦が、メソポタミアと聖書の伝承を引き継いだためであるともいわれる。太秦弓月の元号は太安万侶と同じ「太安」であったという。

 メソポタミア文明でよく知られるギルガメッシュ叙事詩にでてくる「ウトナビシュティムの大洪水伝説」は、アッカド語で「アトラハーシス叙事詩」とも呼ばれ、旧約聖書の「ノアの箱舟伝説」のノアに当たる人物がアトラハーシスである。アトラハーシスとはアッカド語で「賢者」の意味といわれる。ギルガメッシュ叙事詩でのアトラハーシスは古バビロニア語でウトナビシュティムと呼ばれた。シュメール語ではジウスドラと呼ばれ、後にギリシャ語ではクシストロスと呼ばれた。

 太秦はこの「ウトナビシュテムの土井洪水伝説」を引き継ぐ。聖書では「ノアの大洪水伝説」となる。どちらも12,500年前の氷期の終わりに起こった大洪水を指すといわれ、それにより悪魔の海に隔たれた東海の島となった日本列島から世界中に散らばった人々が再び世界中から日本列島に戻ってきたという伝承が、下記に掲載した武内宿禰の書籍にも書かれている。

 また、古事記では大国主が聖書のヨセフのように描かれ、岩長姫と木花咲夜姫の話がレアとラケルの話のように描かれたのも、太秦が聖書の伝承を引き継いだためであるといわれる。祇園祭は過ぎ越しの祭りのようであり、疫神社の蘇民将来の神はいかにもユダヤの神のようである。 

 各町の「蘇民将来子孫なり」と書かれた法被は「蘇民将来の子孫であるから疫病よ過ぎ去ってくれ」というお札のように見える、各町の粽もそうである。ユダヤ歴の7月15日に始まる過ぎ越しの祭りでは2本の門柱と鴨居に子羊の血で赤く塗ったという。日本の神社の鳥居のように。

 エジプトで奴隷となっていたユダヤ人がモーゼを指導者としてエジプトを脱出するにあたり、エジプトのファラオがそれを妨害しようとした。それに対しユダヤの神は「エジプトのすべての初子を打つ」とモーゼに言った。そしてそれを逃れるためには家にその赤い印を施すようにも伝えた。赤く塗っている家はユダヤの家である印であった。ユダヤの神はその家にはそれを行わないとモーゼに伝えた。それはアビブ(ニサン)の月に起こった。ユダヤの出エジプトを祝う祭りである。

 古事記と聖書のつながりも、エジプトクフ王のピラミッドの内部構造と古代の出雲大社の構造が全く同じであることも、すべて12,500年前に日本列島から出ていき、帰ってきた人々の持ち帰ったものによるのであるといわれる。出雲でさえも8,500年前にインドから帰ってきた人々であった。


 つづく

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